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紆余曲折はあったものの、ユリウスの軍隊は無事に王都へ入った。国王への報告が終われば、また次の戦場へ赴くのだろう。そう予想するジゼルだが、当たらずといえども遠からずだった。ユリウス軍はこれから一ヶ月半ほど、任務を外れて休暇になるらしい。戦わない間、ユリウスは父親の政務の手伝いをして過ごすという。
「貴女には私の屋敷で過ごしてもらう」
「殿下の…?」
「王城では気も休まらないだろう」
「アザン国の者が入り浸るのは、確かに良くないですね」
「それだけではないのだがな…」
ユリウスは王城とは別に、私的な屋敷が与えられている。ジゼルはそこで過ごすようにと指示を受けた。家を失ったヴィッキー達も、休暇中はいつもそこにいるそうだ。
「屋敷でゆっくり療養するといい」
「ありがとうございます」
てっきりロルフも同じかと思いきや、彼だけは休むことを許されなかった。彼は他の戦場に派遣されることになった。それを聞いたロルフはというと、不敵に笑うのだった。
「融通を利かせてほしけりゃ、それだけの手柄を立ててこいって事か。上等だよ」
あれだけの騒ぎを起こしておきながら、簡単に彼の言い分を通してしまえば、周囲の不満が噴出するのは避けられない。それゆえ報酬という形がとれるよう、ロルフには相応の武功が要求されたのだ。
しかも素行が悪すぎるとして、彼は出兵が決まる日まで引き続き、牢の中で過ごすことを命じられた。本人は気に留めもせず「鎖は外せよ。体が固まる。あと飯の量を増やせ」などと要求ばかりで、終始ふてぶてしい態度であったそうだ。
ニフタ国の王都は国王が住まう城を中心に、二重の城壁で囲まれた都市になっている。ユリウスの屋敷は中心部からやや逸れた位置に建っていた。
遠征ばかりで留守が多い屋敷であるが、優秀な使用人達のおかげで隅々まで手入れが行き届いている。屋敷というより、宮殿と呼ぶほうが適切な気がしてならない。ジゼルは庭にある大きな噴水を、ぽかんと眺めていた。
棒立ちの彼女を引っ張ったのは、ヴィッキーとディーンだった。二人も初めて招かれた際は似たような反応をしたのに、その事は棚に上げて、ジゼルを物知り顔で案内したがる。
「ジゼルさん、お庭を散歩しますか?」
「姉さん、到着したばかりだよ。休憩しようよ」
「じゃあお茶を淹れますね!お菓子はあるかな…ディーン、探してきて」
「ええっ!なんで僕?」
二人はいつも悲しい過去を感じさせないよう振る舞っているが、こうしていると子供らしく無邪気だ。やはり戦地にいたら兵士達の緊張が、少なからずうつるのだろう。
「みんなで探しましょう?」
ジゼルが微笑みながら促せば、可愛らしい頷きが二つ、返ってきたのだった。
豪華な客室に通されたジゼルは、部屋が間違っていないか思わず確認してしまった。ユリウスの指示なのか、来賓のように丁重にもてなされ、恐縮しきりである。調度品はどれも最高級なのだが、ジゼルは見慣れない物に囲まれて落ち着かない心地だった。
ヴィッキー達はここでもお手伝いをしているらしく、ずっと一緒という訳にはいかなかった。ジゼルも協力したい気持ちはあったのだが、ヴィッキーに「…お気持ちだけで!」と目を泳がせながら言われてしまった。まだ鍛錬の許可は下りないので、ジゼルは久しぶりにお嬢様らしい暮らしをしている。
しかし彼女には一つ、やりたい事があった。いや、行きたい所と言うのが正しいか。
「お買い物ですか?街へ?」
外へ出たいと告げると、ヴィッキーとディーンは驚いたようだった。
「足りないものがあれば、あたしが買ってきますけど…」
「できれば自分で選びたくて…駄目かしら」
ジゼルの手元にはまとまった金がある。今回の戦いの報酬だと言って渡されたものだ。途中で離脱した身で褒美を貰うのはどうかと悩んだが、彼女は敵の隊長や将官を幾人も倒していた。だからこれは至って正当な対価である。
「外出は禁止されてないので、良いんじゃないですか。あたしもお買い物したいので、一緒に行きましょうよ!」
「本当?嬉しいわ」
その後、ちゃんと許可は貰ったのたが、女子供だけで出掛けるのは宜しくないということで、ニックが呼び出されたのだった。
今日は日和も良いので馬車は使わず、徒歩で街を散策することになった。
「ニックさんも忙しいのに我儘を言ってすみません」
「気にしないでください。俺の息抜きにもなりますから。ところでジゼル殿は何が欲しいのでしょう?」
ジゼルは遠慮がちに剣が一本ほしいと告げた。
「護身用ですか?」
「いえ、わたしではなくて…」
尻すぼみになりながら、彼女はロルフの名を出すのであった。
彼はジゼルの弓は汚れも付かぬよう運んできたのに、腰に帯びていた剣は刃こぼれしているような粗悪品だった。本人はそれでもお構いなしだろうけれど、ジゼルは気になったのだ。出兵の日が決まったと聞き、できることなら戦地へ発つ前に新しい剣を渡したいと思ったのである。
ニックは若干表情を曇らせたものの、すぐに気を取り直して案内を始める。
「王都には腕の良い職人が集まっていますから、きっと気に入るものが見つかりますよ」
市場には様々な露店が所狭しと並んでいる。もちろん、武器商もいた。ジゼルは親友に連れられて普通の買い物はしていたが、武器を買いに来たのは初めてだった。一件ずつ、興味深そうに眺める彼女の横から、ヴィッキー達も顔を覗かせる。
「これ、格好良いですよ!」
「僕はそっちのが良いと思います」
「高い方が頑丈よ、多分」
「高けりゃいいってものじゃないよ、姉さん」
どう見てもお嬢様なジゼルと明らかなお子様、という客に店主は怪訝そうな顔をしていた。「これは兵隊さんに売ってるもので、おもちゃじゃないぞ」と怒ってきた店主もいたほどだ。
「なかなか見つかりませんねぇ…」
「ちょっと腹ごしらえします?」
それも良いかもしれない、と頷きかけた時だった。ジゼルはとある武器商の前で足を止めた。彼女が見ていたのは柄や鍔、鞘まで黒一色で統一された剣だ。装飾は無く、使い勝手だけをとことん追求したような見た目である。
「いらっしゃい。その剣が気に入ったのかい?」
店主は目尻にいくつも皺を刻んだ、老年の男だった。年の功なのか、ジゼルの容姿を見ても態度を変えなかった。
「男性用だけど、良かったら手にとって見てごらん」
「はい。ありがとうございます」
勧められるまま、ジゼルは剣を持ち上げて鞘から抜いてみる。鞘が黒いぶん、刀身の銀が青白く光って見えた。横にいたニックは良い出来の剣だと感心する。ジゼルに彼ほどの目利きの力はなかったが、それでもこの剣が気に入ったので、購入を決めたのだった。
手に入れた剣は、ニックが持つと言ってくれた。そうすれば好奇の目を向けられることもないだろう。
「このまま俺がお預かりして、ロルフ殿に届けましょうか」
ニックの提案にジゼルは頷きかけたが、すかさずヴィッキーが却下する。
「贈り物は直接渡すべきですよ!」
「でも会えるかしら?」
「出発前の見送りくらい、みんなやってますから!」
「…それでは後ほど、行軍の進路を調べてお伝えします。先回りして待っていただければ、ロルフ殿と会えると思います」
「良いんですか?ニックさんの仕事が増えてしまいますよ」
「大した手間でもありませんし、ジゼル殿のお望みとあらば」
「…お手数をおかけします」
ジゼルが頭を下げると、彼からは穏やかな笑みが返ってきたのだった。




