27
予定が一日遅れてしまったが、王都へ向けて再出発となる。元から口数の少ないジゼルは、とうとう無言になっていた。口を開くのは挨拶と、短い返事をする時のみ。あとはひたすら静かに馬に乗っている。
ロルフの処遇はまだ決まっていない。決定権を握る主人へ、ニックはアザン国に帰すよう進言したものの、賛同は得られなかった。
「いつ殿下に刃向かうか分からない奴を、ここに留めておく理由は何です?」
「身柄の返還が妥当だろうが、同じ事が繰り返される気がしてならない」
その答えにニックは押し黙った。確かにあの男なら返還しようと流刑にしようと、それこそ死ぬまで何度でも目の前に現れそうだ。彼の態度からは強すぎる執念を感じた。
「とは言え、彼女の傍に置くのもな…」
あの男を御せるのはジゼルだけだ。しかしながらユリウスは、そうさせるのが面白くなかった。否、はっきり言おう、嫌だと思った。形容し難いむかつきが、腹のあたりに巣食うのだ。
「ジゼル殿は何と…?」
「話がしたいと言ったきり何も言ってこない」
「ではジゼル殿に説得してもらうのはどうでしょう」
彼女がアザン国に帰れと頼めば、聞き入れるかもしれない。会って話したいというジゼルの願いを叶える対価として、彼の説得を命じるのも悪くない。
ところがそれを実行するより先に、またしてもロルフが暴れ出したと報告が入るのだった。
聞けば、発端はディーンが口を滑らせたことらしい。涙目になって何度も謝るディーンを宥めた後、ユリウスはニックを伴って牢まで走った。
「おい!あのガキから聞いたぞ!テメェ、アイツを戦場に引っ張り出してるらしいな!」
「この方を誰だと思っている!無礼者!口を慎め!」
「しかも怪我させたって言うじゃねぇか!使えねぇなテメェの部下はっ!」
ニックが厳しく嗜めるものの、ロルフには微塵も効果が無い。それどころか、彼の怒りは激しくなる一方だった。
なんせロルフは知らなかったのだ。彼女はユリウスに捕まっているだけで、戦場に出されているなんて思わなかった。弓を持ってきたのは、あれがジゼルの大切な物だからに他ならない。そうしたら食事を運んできた子供が、ジゼルの活躍を嬉々として話すではないか。
ディーンからしたら、場を和ませる世間話のつもりだったのだろう。目つきを変えたロルフに問い詰められるまま、ジゼルが矢傷を負ったことまで白状させられる羽目になった。
それを聞いた際の、ロルフの怒り様は凄まじかった。ジゼルが慰み者にされただけでなく、弓の才能を利用され、挙げ句の果てに負傷したのだ。暴れずにはおれまい。ロルフは何も事情を知らないので、怒るなというのが無理な話だった。
「アイツを戦場に立たせるならオレを盾兵にしろ!」
「貴様みたいな奴を味方にできると思うのか!」
「あ゛あ!?だったら王太子サマの靴でも何でも舐めてやるよ!とにかくテメェらみたいな愚図に任せられるか!」
「殿下。此奴を即刻、死刑にしましょう。暗殺未遂に度重なる侮辱、罪状は充分揃っています」
「落ち着け。君らしくない」
熱くなるニックをおさめ、ユリウスは一歩進み出る。
「君を盾兵にしたとして、私にどんな利点がある」
「テメェの部下の百倍働いてやるよ!」
「では私が彼女を娶ると言ったら、君は私を殺すか」
ユリウスの発言に、驚いたのはニックである。どこまで本気か測れないが、たとえ冗談でも主人がこんな台詞を吐いたことは、ただの一度もない。
しかしロルフは驚きもせずに即答する。逆に荒げていた声を鎮め、滔々と告げたのだった。
「アイツが自分で選んだなら文句ねぇよ。頭は鈍くても、勘は鋭いからな。屑みたいな野郎だったら本能的に拒絶してる」
「彼女が君を選ぶと言ったら?」
「そん時は死んでも譲らないし、殺してでも奪い返すに決まってるだろ。そんな夢みてぇな事が本当にあればだがな。馬鹿なこと聞くんじゃねぇ」
憎たらしいほどに潔い男であった。愛という文字が似合いそうにない風貌のくせに、ジゼルを想う心は海より深く、青空より澄み切っている。
「それよか早く頷け。オレを盾兵にするってな」
「…返事は彼女の意見も聞いてからだ」
もっとも、あまり必要なさそうだとは、付け加えないでおいた。そこまで言ってしまうのはユリウスも癪だったのである。
「俺は反対です。あのような下賤な者を殿下のお側に置くなんて…」
その日の晩、どうしても納得のいかなかったニックは、ユリウスに意見するためにやって来た。
「君の言いたい事はわかる。だが有能な者は身分、年齢に関わらず登用するのが、父上と私のやり方だ」
「それは存じておます!しかし…あの男が適任とは思えませんっ」
「適任か否か、一度やらせてみない事には始まらないだろう」
昼間のうちにジゼルには話をした。案の定、彼女はたちまち顔を明るくした。よほど固い信頼関係があるのだろう。ユリウスはある種の寂しさを覚えた。だが、憂いを帯びた横顔を見続けるよりは、喜ぶ顔が見たかったのも本心である。
「何より、勝負は真っ向から挑まなければ男が廃るからな」
ニックは主人の微笑の意味がわからず、怪訝そうに首を捻るのだった。
ちょうど同じ頃。ジゼルは許しをもらって、ロルフに会いに行っていた。彼はジゼルが来た事にすぐ気がついた。
「ロルフ…その、お腹は空いてないかしら」
「第一声がそれか?」
積もる話があったはずなのに、ジゼルは何だかそわそわしてしまい、話す内容が飛んでしまった。
「腹は減ってる。両手が使えねぇと思い切り食えねぇし、ちょっぴりしか寄越さねぇんだ」
「何か持ってくれば良かったわね」
「期待しないで待ってるぜ」
「そう言えばロルフ。ディーンを怖がらせたでしょう」
「は?誰だよそいつ」
「世話係の男の子よ。自分より小さな子供を怯えさせてはいけないわ」
「説教ならいらねぇよ」
「ちゃんと謝ってね」
「覚えてたらな」
離れる前と何も変わらないロルフに、ジゼルもいつもの調子を取り戻していく。
「怪我は大丈夫だった?かなり傷が深かったでしょう」
「どこかの誰かが心配してくれたもんで、完治するまで隊長サンに縛り付けられたよ。アンタこそ、ヘマしたんだろ」
「ええ。でも大した怪我じゃなかったわ」
ジゼルは軽く肩を回して見せた後、彼にそっと笑いかけるのだった。
「ありがとう。ロルフ。ぼろぼろになるまで守ってくれた事も、わたしの弓を持ってきてくれた事も。まだ盾兵でいてくれる事も、全部。本当に嬉しかった」
「…隊の連中が持ってけってうるさかったんだよ」
これは嘘だ。白い弓を持っていくと言い張ったのはロルフである。
「理由は何でもいいのよ。嬉しかったのは一緒だもの」
「あっそ」
「フィンレー達は元気にしていた?」
「ああ。けど隊長サン、兵士は辞めて文官になるって聞いたぜ」
「まあ…!じゃあバルビール隊は解散になったの?」
「いや。親父サンは引退してないから、隊はそのままだった」
「そうなの…でも戦場から退くなら、ようやくアリシアも安心できるわね」
「…オレも聞いていいか。アンタ、王太子サマに手篭めにされてんのか?」
ロルフはあくまでも"ついで"を装っていたが、いまだに虫唾が走って仕方がなかった。
彼の質問から、あの時の出来事が連想されたジゼルは、少し慌てた様子で首を横に振る。
「何もされていないわ」
「堂々とキスしてたのに何もないは違わねぇか」
「あ…あんな事されたのは初めてよ。情婦というのは表向きの弁解なの」
「ふーん?」
「嘘じゃないわ。殿下の提案で…」
信じようとしない態度のロルフに、ジゼルは必死になって真実を主張した。しかしそこまでしなくても、彼はジゼルの嘘を見抜くことができる。だから彼女の言葉に嘘は含まれていない事くらい、余裕でわかっていた。
やや言葉足らずの説明だったが、ロルフはユリウスが情婦役をやらせた理由も察した。バルビール隊にいた頃も、ジゼルは別の隊の男共から言い寄られそうになっていた。酷い時など強姦を企てる連中までいた程だ。そういう害虫は全てロルフが秘密裏に駆除していたので、実害は無いまま終わったが。
似たような事が起きてしまわないようユリウスが手を打ったのだと、ロルフには正しく伝わったのである。とはいえ、事情が判明しても気に食わないことに変わりはなかった。
それからもう少しだけ話をして、ジゼルは戻っていった。気に食わないことは多いが、控えめに微笑みながら話す彼女と対面してやっと、ロルフは張り詰めていた気持ちを解いたのだった。




