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天気が悪くて朝陽の光を浴びることができなくても、ジゼルの身体はちゃんと覚醒する。ゆっくり起き上がった彼女は、顔を拭いて着替え始めた。新しい隊服に袖を通し、防具を一つずつ身につけ、仕上げに銀色の髪を束ねる。隊服が変わっても、出陣前の日課は変わらない。戦いへの集中を高める儀式みたいなものだった。
なるべく音を立てないように支度をしたが、仕切り布の向こう側はすでに誰もいないらしかった。起きた気配を感じさせないあたり、ユリウスはやはり只者ではない。
今日は生憎の曇天だった。見渡す限り、分厚い雲が空を覆っている。
「雨が降るか五分五分といったところだな。大丈夫か」
「はい。風はほとんど無いので問題ありません」
「霧の中でも狙い撃ちできる貴女には、無意味な問いだったな」
ジゼルが空を見上げていたら、横からユリウスの声がかかった。彼の防具は王太子らしい逸品だったが、想像していたよりも地味であった。
「わたしは今日、どのように動いたら良いでしょうか」
今回の敵であるヤドア国は、既に領土の半分をニフタ国に奪われている。残った半分の領土を守らんと、決起の時を窺っているらしい。ユリウスの父は平和的な解決を提案したが、跳ね除けられてしまった。そのため、危険因子を早めに排除しなければならなくなった。
「ヤドア国には防御の要となっている城壁都市が二つある。それらを打ち破れば、彼らも降伏せざるをえない。国王のいる城まで侵攻されるのは避けたいだろうからな」
「攻城戦、ですか」
実を言うと、ジゼルは野戦しか経験していない。城を落とす戦いは初めてだった。
浮かない顔をする彼女に、ユリウスは「心配はいらない」と言った。
「貴女は指示がきたら矢を放てば良い」
「わかりました」
難しいことは考えなくていいようだ。そもそも他所者であったジゼルには、作戦の詳細を伝えるほどの信用は無い。指示された事をきっちり果たす、ジゼルに期待されているのはそれだけだろう。
「ニックはいるか」
「はい。ここに」
「先に行って指揮を取れ。私は後で合流する」
「承りました。それではジゼル殿、行きましょう。あちらに馬を用意しました」
「ありがとうございます。名前は何でしょうか」
「えっ。な、名前ですか?恐らく決められていないかと…」
まさに今から前線へ向かうという時に、馬の名を尋ねられるとは思っておらず、ニックは口ごもってしまう。緊張感に欠ける様子を後ろから眺めていたユリウスは、口元に微笑を漂わせるのだった。
ニック曰く、片方の城塞都市を陥落されることができれば、もう一方の都市を落としたも同然だという。ジゼルにはどういう理屈かさっぱりだったが、あの賢い王太子がそう言ったのなら納得するしかない。
「手短にですがジゼル殿を守る盾兵を紹介します。まとめ役のポール、補佐のジャスパー、以下二名の計四人です」
盾兵達の目に友好的な色は皆無で、ジゼルは強い疎外を感じた。でも、このよそよそしい感じには覚えがある。およそ二年前、彼女が訓練所を出て初めて戦場に来た時も、似たような事があった。
「皆さん、よろしくお願いします」
「………」
ジゼルが頭を下げるも、盾兵達はぎこちない会釈をするだけだ。中には会釈するせず、睨み続ける者もいる。ニックは彼らの不遜な態度を諌めた。
「我らが主人、ユリウス殿下の悲願は何であったか忘れたのか。国を一つにまとめる前に、味方同士で争ってどうする」
「ニック補佐官…しかしながらこの者は…っ」
「各々、与えられた任務を果たせ。ジゼル殿は殿下の理念に賛同してくれた、我々の同志だ」
ポール達はまだ釈然としない様子だったが、命令には従う意思を見せた。移動を始めた彼らの後ろを、ジゼルは無言でついていくのだった。
攻城戦は我慢比べでもある。
城壁を昇り、開門するのは簡単ではない。城を死守すべく、敵の猛攻を浴びるからだ。籠城している敵の食糧が尽きるのを待つのも、時間と物資の余裕が無ければ難しい。
特にジゼルは、そそり立つ城壁の前に立ったのも初めてだ。絶え間なく降ってくる槍や矢の数が桁違いだった。彼女の顔色には出ていないが、少し圧倒されていた。
「ここに居たのか」
即座に反応したのはジゼル以外の全員だった。
「ユリウス殿下。お待ちしておりました」
ニックを筆頭に盾兵達も跪く。やや遅れてジゼルも片膝を折ろうとしたが止められた。
「皆も立て。戦いはとっくに始まっている。貴女には梯子を登る兵士の援護を頼みたい。できそうか」
ジゼルは眼前にそびえる城壁を見上げた。城壁を登るための梯子には、敵の攻撃が集中する。ユリウス軍の兵士達は決死の覚悟で梯子を登っているが、上からの容赦ない妨害により、一進一退を繰り返していた。壁を越えて内側から門を開かなければ、勝利は遠いままだ。
「梯子の頂上あたりにいる敵兵を倒せばいいのですか?」
「そうだ」
「わかりました」
ジゼルは射程距離を確保するために、馬から降りて進んでいった。盾兵達が慌てながらついてくる。彼女が足を止めた場所で、ポール達も大盾を構えた。
ジゼルは矢筒から一本の矢を抜き取り、弓の弦にあてがった。弦を引いて構えるまで、優雅でありながら寸分の無駄もない動きだった。矢が放たれた瞬間の、風を切る音しか聞こえなかった。
最初の矢は、敵兵の喉元を貫いた。その次の矢も、三本目も同様だった。同じように流れるような動作と、一定の間隔で、敵兵を一人一人正確に射抜いていく。
何と言っても弓を構える凛とした佇まいの美しいこと。盾兵達は暫し、役目も忘れて見入ってしまった。
「盾兵。何をぼんやりしている」
「はっ!申し訳ありません!ユリウス殿下」
次々と下から狙撃されれば、敵も警戒を強める。すると今度は射手のジゼルが、上から狙われる羽目になる。ここから盾兵達の出番だった。ジゼルは大盾の後ろへ隠れ、矢の雨を凌ぐ。
しかし攻撃は際限なく続く訳ではない。どこかで切れ目がくる。ほんの数秒だけでも攻撃が弱まれば、次の矢を放つことができる。ジゼルなら一矢で息の根を止められる。ただし、契機を見誤まることは自分の死に直結する。ジゼルの凄まじい集中力を間近で感じる盾兵達は、思わず生唾を飲み込んでいた。
「…君は彼女の腕前をどう思う。ニック」
後方でジゼルの戦いぶりを見物していたユリウスは、隣にいる補佐官に質問を投げかけた。
「……恐ろしい才能かと。他人が戦うところを見て、鳥肌が立ったのは初めてかもしれません」
「恐ろしい、か」
「はい。試し射ちしている姿は見ておりましたが…実戦となるとまた一段と変貌しますね。あまりに無慈悲といいますか…」
「無慈悲?逆だろう」
敵の喉元、または眉間、或いはこめかみへ。急所へ吸い寄せられるように突き刺さる矢が無慈悲でないなら、いったい何であろうか。ニックは訳がわからない、といった面持ちをする。
「戦場での殺し合いに限らず、じわじわと死に至るのは耐え難い苦痛だ。四肢を欠損して生き残るのも、その後の人生は苦労の多いものになるだろう。かといって一時的に戦闘不能にさせるだけでは、脅威を残すことになる」
「……!」
「苦しませず、一瞬で絶命させる事。それが戦場で敵にかけられる、最大の情けだと私は思う」
ジゼルが一矢に拘る理由は、正しくユリウスの言う通りだった。守護対象を確実に守り、なおかつ、奪う命に対しては余計な苦しみを与えない。ゆえに彼女は、深く深く集中する。そうやって躊躇、罪悪感、恐怖といった、自分の感情を揺らす因子を徹底して遮断するのだ。
「ジゼル殿はいったいどれだけの鍛錬を…」
「わからない。確かなことは、天賦の才を持つ人間が努力を惜しまなければ、傑物に変わるという事だ」
しかし芸術さながらの腕前を目の当たりにしたのに、ユリウスは微かな引っかかりを感じていた。本当に何となくなのだが、ジゼルが精彩を欠いているように見えたのである。
「………」
「殿下。どうかなさいましたか?」
「…西側へ回る。移動しながら彼女の矢を補充だ」
ぼんやりしているようで、こちらの思うようには流されてくれない。
狙いは正確無比だが、全力を出しきれていないようにも見える。
多くを語らないものの、端々から心優しさが滲んでいる。
彼女の実像が掴めそうで掴めず、ユリウスはとても歯がゆい心地だった。




