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 参戦を決めたジゼルはすぐさま鎖を解かれた。ユリウスの命令で、彼女専用の武器と防具も用意されることになった。「予備のものを貸していただければ充分です」と、ジゼルは断りを入れたものの、却下されてしまう。男性用の装備しかないため、寸法が合わないそうだ。用意ができ次第支給される手筈となり、装備が届くまでの間は体を鍛え直すように言われた。牢での生活が続いたため、感覚が少々鈍ってしまったのだ。

 ユリウスは近づく戦いの準備に忙しく、代わりに彼の補佐官であるニックが用事をこなしていた。ニックは几帳面な青年で、ジゼルが不便をしないよう先回りして色々用意してくれた。練習用の弓を持ってきてくれたのもニックだった。


「弓を引く時のジゼル殿は別人のようですね」

「そうでしょうか」

「殿下が貴女様を所望なさった理由が少し分かった気がします」


 ジゼルが弓の練習をする時は、監視という名目でニックが待機している。時折、ヴィッキーと弟が興味本位で覗きに来たりもする。弓を構えると雰囲気ががらりと変わるジゼルを見るのは初めてなので、二人ももれなく驚愕していた。とはいえ、呼ばれて振り返ればいつもののんびりしたジゼルであった。


「弓以外でも役に立てたら良かったんですが…」


 一日中、矢を射る訳でもないので、空いた時間はヴィッキーの手伝いをしようとした。けれども不器用なのも相変わらずで、洗濯はもたもたして手際が悪いし、繕い物は不揃いだし、包丁の使い方も危なっかしく、邪魔になるだけだった。優しいヴィッキーに困った顔をさせてしまい、とても申し訳なかった。


「人にはそれぞれ役割がありますから。ヴィッキー殿も貴女様の気持ちが嬉しかったと言っていましたよ」

「…ありがとうございます」


 ジゼルは練習を再開する。こうして新しい弓に触ると、アリシアがあつらえてくれた弓がいかに手に馴染んでいたかが分かった。使い勝手もさることながら、親友から贈られた世界でたった一つの弓に、深い愛着があったことも再認識する。だが四の五の言っても始まらない。道具が変わろうとも、ジゼルの成す事は変わらないのだ。

 守ると決めた人を守る、標的は一矢で葬る。容量が悪い彼女には、それくらい簡潔なほうが良い。

 矢をつがえ、弦を引く。的に狙いを定めて射る。感覚は体が覚えていた。弓が新しくなっても問題なかろう。


 問題は全然別のところにあった。それはずばり、寝る場所だ。

 牢の中で過ごす生活は昨日で終わり、今夜からは天幕で休むことになる。以前のような特別待遇はジゼルも期待しておらず、他の兵士と雑魚寝だろうと思っていた。抵抗が無いと言えば嘘になるが、男世帯で過ごしてきたのだから想定の内だった。

 ところが、そのことにユリウスが難色を示したのである。兵士とはいえ年若い娘を、男だらけの天幕に放り込むなんて考えられなかった。かと言ってヴィッキー達、世話係のいる場所は野営の配置上、兵士には少し不便だ。

 悩んだ末にユリウスは一つの提案をしてきた。


「私の天幕で寝起きしてもらう。仕切りの幕をつけるので、それで辛抱してもらいたい」


 王太子と同じ天幕で寝起きするほうが想定外だったが、ジゼルはとりあえず頷いた。気遣いは伝わってきたからだ。

 そして彼は「申し訳ないが」と前置きして、言葉を続けた。


「そうなる以上、貴女のことは私の情婦だと周知する。貴女も誰かに尋ねられたらそう答えるように」

「…わかりました」


 意外にあっさりジゼルが了承したので、ユリウスは僅かに目を見開く。もっと不本意そうな顔をされると思ったのだろう。


「王太子の手付きだと知りながら、良からぬことを企む者はいないと思うが、一人で行動するのは極力避けてくれ」

「はい」


 ここはニフタ国の軍中。敵対していたアザン国の人間が王太子の側にいるなんて、配下達からしたら不安しかない。しかし王太子の情婦となると話は変わってくる。戦場での性欲発散のために侍っていると聞けば、男なら十分理解できるだろう。ジゼルも何となく察していた。

 第一、ユリウスが手篭めにしてくるとも思えなかった。ヴィッキー達が尊敬する王太子は、女を囲って欲をぶつける人間ではないはずだ。


「…貴女は時々危なっかしいな」

「?」


 ユリウスの呟きは、彼女の耳には届いていなかった。




 翌日には戦場に到着し、ユリウスは出陣していった。しかしジゼルは留守番だ。彼女の装備が調達できていないからである。ただ、防具は無くても弓さえ手元にあれば試し射ちはできる。今日の監視役はヴィッキーと弟のディーンだったものの、監視の役割はほぼ忘れられていた。


「ジゼルさん、もし良かったら弟に弓のコツを教えてもらえませんか?狩りの時に上手く当たらないそうなんです」

「姉さん。邪魔したら悪いよ」

「構わないわ。上手く教えられるか分からないけれど」


 二人だけになってしまった家族ゆえ、姉弟は仲良しだった。ジゼルにも義理の兄弟がいたが、一緒に遊んでもらった記憶は殆ど無い。仲の良い二人を見ていると、羨ましいような微笑ましいような気持ちになった。


 夕方までにはジゼルの防具一式が揃った。ヴィッキーから着脱を手伝おうかと聞かれたが、流石のジゼルも身支度くらいはできる。普段が鈍臭いので説得力に欠けるけれど、バルビール隊では毎日やっていた事である。弓の手入れや調整も、彼女が自分でやっていたのだ。

 まだ少し半信半疑だったヴィッキーだが、夕食の後片付けをして去っていった。ジゼルも早く休んで明日に備えなくてはいけない。ユリウスが使う天幕の中は仕切りの布が張られ、寝床もそれぞれ用意してあった。情婦という設定があるため、事情を知るニックが整えてくれたのだ。

 先に休むよう言われていたので、ジゼルは寝転んで毛布を被った。慣れない場所は少しばかり落ち着かないが、目を閉じていればそのうち眠れる。どこでも眠れなければ、兵士などやっていけない。これも訓練の賜物だった。


 軍議を終えてユリウスが天幕に戻ってみれば、ジゼルは静かな寝息を立てていた。情婦のふりでいいとはいえ、よくもまあ熟睡できるものだ。ユリウスの胸中は感心するやら、呆れるやら、心配になるやらで忙しかった。

 ユリウスは仕切り布をそっとどけて、健やかな寝顔を見つめた。


 ───もしもアザン国との同盟が無効になり、再び戦うことになったら…わたしは殿下に矢を向けなければなりません。その事をお許しくださいますか?


 ユリウス軍への加入を約束する前に、ジゼルはそう告げてきた。それが彼女が協力する条件だったのだ。「許したら貴女は私に殺されることになるぞ」と強めの言葉で確認するも、首を縦に振られてしまった。

 まったく貴族の令嬢らしからぬ娘だった。従順そうに見えて案外、掴みどころがない。彼女の感情が分かりやすく動くのを目撃したのは、捕らえた小隊長と対面した一度きり。ゆえにユリウスは、あの小隊長が彼女の恋人か想い人かと勘繰ったが、それも見当違いだった。

 本音を言ってしまうと、ユリウスにはあの小隊長のために戦う、ジゼルの心情を計りかねた。親友の幸せを願うなら傍にいて励ましてやれば良い。しかし彼女は親友の傍を離れ、女だてらに戦いへと身を投じた。常軌を逸しているとしか思えない。そうしてユリウスはますます、ジゼルが不思議な存在になっていくのだった。


(……貴女を殺すと告げておきながら、私のほうが斬るのを躊躇しそうだ)


 ジゼルの出した条件に承諾したものの、実行する事態に陥ることだけは避けたい。いかにも自分本位な想いが浮かんだユリウスは、人知れず苦笑を溢していた。

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