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ユリウスの軍は北方の国、ヤドア国へと進路を変更した。到着と同時に開戦となるだろう。ジゼルはその時までに、兵士として復帰するか否かを決めなれければなかった。彼女が一人で捕虜の牢を使っているのは、軍にとって迷惑でしかないのだ。
あの後もう一度、ユリウスと話す機会があった。そこでは主にジゼル自身のことを尋ねられた。女の身で兵士になるなど、生半可な理由ではなかろうと哀れまれたようだ。
恨みはないと話した手前、婚約者の仇打ちを理由にするのは辻褄が合わない。だからジゼルは正直に、親友の婚約者を守るためだと告げた。するとユリウスは意表を突かれたような顔になり「…別れ際に話をしていた隊長か」と呟いていた。
───すると貴女は…たった一人の友ために、大勢の人間を射殺してきたのか。
ジゼルはユリウスのような気高い理念など持ち合わせていない。国を背負う彼にしてみれば、友人を守って満足しているジゼルは浅慮なのかもしれない。だけど、何をするのも最後だった人生の中で、アリシアだけがジゼルを「一番」の親友にしてくれたのだ。
養父母はジゼルに、最後であるのが当たり前、離れて見ているだけで良い、何でも素直に従うのが良い子の証、そう教えた。ジゼル自身もそれが普通だと思い込んできた。しかしアリシアだけが、その教えを否定した。アリシアがいなかったら、自分にも一番になれるものがあるのだとジゼルは知らないままであった。
だからジゼルは一番の親友として、アリシアの幸せを一番に願うと決めていた。それだけの話だ。ロルフの言葉を借りるなら「馬鹿みたいに単純」な事である。
(そういえば…ロルフだけね。『一番がいいなんて、アンタにも人並みの闘争心があるんだな』なんて、言われたのは)
ジゼルが黙り込んだのは、ふと思い出した会話があったからなのだが、ユリウスは気落ちさせたと勘違いしたらしかった。「軽んじるつもりはなかった。気を悪くしたらすまない」とすぐに謝られた。
───今度は貴女の力を友だけでなく、より大勢の安寧のために使ってほしい。
そう言い残して彼は去っていった。
ユリウスの語る理念について、反発する気持ちは生まれなかった。分裂してきた民がいきなり一つに纏まるかは疑問だが、そういう難しい事は国の頂点にいる者達の仕事である。きっと賢いユリウスの頭の中には、今後の計画がびっしり詰まっているのだろう。なんせ祖父の代から受け継がれてきた理念なのだ。単なる夢物語で終わらせるはずはない。
ジゼルが決断に踏み切れないのは、やはりこれ以上、人殺しをしたくないという思いが強いからだった。五つの国を統合するなんて規模の大きな話を聞かされても、その一端を担う自覚が全然湧いてこないのだ。
「ジゼルさん?体調が良くないですか?」
悶々と考え続けていたら、いつの間にか日が暮れていたらしい。気付けば、夕食を持ってきてくれたヴィッキーが心配そうに立っていた。
「体調は大丈夫。考え事をしてただけよ」
「悩み事でしたら相談に乗りますよ!」
ユリウスの軍には男しかいないため、ヴィッキーは同性とお喋りできるのが楽しいと言う。どうしても暗い話題が多くなる場所だから、ヴィッキーのような明るさは貴重だった。
「ヴィッキーはどうして軍に?従軍できる年齢ではないでしょう?」
「あれ?話していませんでした?あたしと弟は戦災孤児なんですよ。逃げてる途中でユリウス様に助けていただいて、恩返しのために兵隊さん達のお世話係をしてるんです」
辛い記憶のはずなのに、ヴィッキーは気にした様子もなく赤裸々に話してくれた。
ヴィッキーが家族と暮らしていた家は、丁度いま向かっている北部のあたりにあったそうだ。しかし付近が戦場となり父親は出兵していった。それきり父親は帰ってこず、母親は逃げる途中で襲われた際、子供達を庇って死んだ。残されたヴィッキーと弟のディーンは、しばらく戦災孤児が集まる施設にいたのだが、そこにも戦火が迫ったために再び逃げることになった。あともう少しで死んでしまうところを、ユリウスに救われたらしい。
「……大変な思いをしたのね」
「大変でしたけど、あたし達が特別って訳でもないですから。むしろユリウス様に拾われて幸運でしたよ」
自分の身の上話をしたヴィッキーは、ジゼルの話も聞きたがった。お嬢様の暮らしに興味があるようだ。壮絶な体験を聞いた後では恐縮だったが、ジゼルは請われるままに話した。会話の流れで、ユリウスから協力を依頼されていることも打ち明けていた。
アリシアも聞き上手で話しやすかったと思い返し、ジゼルは少しだけしんみりする。
「ジゼルさんが味方してくれるんですか!」
ジゼルの寂然をひっくり返すかのごとく、ヴィッキーは手を叩いて喜びを表した。そんな彼女の喜び様が、ジゼルは不思議だった。
「どうしてそんなに喜んでくれるの?」
「だってジゼルさんは弓がすごく強いって聞きました。あたしは戦いじゃお役に立てないので、ユリウス様の味方になってくれたら心強いですよ!」
「でも、わたしはついこの前までアザン国の兵士だったのよ?」
「ふふっ。それ、ジゼルさんが言うんですか?」
「えっ?」
「あたしのこと、一度も敵視しなかったじゃないですか」
死が迫る経験をしたためか、ヴィッキーは兵士ほどではなくとも敵意に敏感だ。捕虜の世話をするのはジゼルが初めてではなかったが、敵意や警戒心を全く感じない相手は初めてだった。
「それにですよ?ユリウス様は戦争の無い国を目指しているんですから、同盟を結んだ相手とは仲良くするべきです」
「…あなたのご両親を殺した相手だとしても?ヴィッキーが辛いだけだと思うわ」
「辛いですよ、もちろん」
そんな一言で片付けられる悲しみではないはずだ。でもヴィッキーは話している間もずっと、陰りの無い眼差しをしていた。
「…あたしも弟もいつか絶対、お父さん達の仇をとろうって考えていました。だからヤドア国の捕虜が連れてこられた時、復讐しようとしたんです。あたし達がどれだけ泣いたか、どんなに悲しかったか、おんなじ目に遭わせてやらなきゃ、怒りは消えないと思いました」
復讐のための刃を握り締め、ヴィッキーは弟と二人で夜中にこっそり、捕虜の牢へ忍び寄ったそうだ。
「だけど…捕虜になった人達が、誰かの名前を呼んでるのが聞こえました。大切な人を想って泣いていたんです。その時、あたし気付いたんです。ここであの人達を殺したら、別のどこかであたし達のような人が生まれるんだって。そうやって憎しみが続いていって、いつかあたしや弟に降りかかるんだなって…」
「………」
「ユリウス様には全部、お話しました。叱られると思ったんですけど、ユリウス様は『憎まれ役は私が引き受ける。恨むなら敵ではなく、戦争を止められなかった私にしなさい』って仰ってくれました。それからあたしと弟は、憎むのを止めることにしたんです。難しい時もありますが、ユリウス様はもっと辛い役目を背負ってくださっていますから」
明るく話してくれるが、ここへ至るまでヴィッキー達はもがき苦しんだだろう。憎しみを捨て去り、また普通に笑えるようになるため、いったいどれだけの涙を忍んできたのだろう。
「考えてみればこの国に根付く憎しみの芽を、あたし達が一つ摘んだんですよね。あたしと弟の自慢です!」
ヴィッキーは歯を見せて笑った。その笑顔を見た瞬間、ジゼルの瞳から迷いが消えていく。
「…ヴィッキーの考え方はとても崇高だわ」
「す、崇高!?それは褒めすぎですよっ」
「そんな事ないわ。ヴィッキーのような人達こそ、守られなくてはいけない」
「ジゼルさん…?」
「ヴィッキー。伝言をお願いできるかしら」
「あっ、はい!何でしょう」
「ユリウス殿下に『返事が決まりました』とお伝えしてくれる?」
急いで走っていったヴィッキーにより、ジゼルのユリウス軍への加入が伝えられたのだった。




