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フランシスは相手を見て態度を変えたりしない人格者だった。泥棒であっても配下として認めたならば丁重に扱った。自身が剣の達人だからか、才覚のある者には特に目をかけ、巧みに任用していた。つむじ曲がりのロルフが上官達の中で唯一、尊敬の念を抱く人物と言っていい。だからこそ、世間知らずなお嬢様の盾兵になれと指示された時は、少しがっかりしたものだ。
しかしながら結果を見れば、フランシスの采配はまったく見事としか言いようがない。ロルフは世間知らずのお嬢様に、命をかけても良いほど本気で惚れ抜いたからである。
最初はジゼルのことを渋々守っていた。すぐに死なれて自分が責任を取らされたら困る。それが面倒だし、フランシスの命令だから守ってやろうと、ロルフは考えていたのだ。
そんな怠惰な思考は、間もなく変わる。そこそこ真面目に盾兵を務めていたある日、ジゼルは怪我をした。といっても敵の矢が耳を掠った程度で、怪我と呼ぶのも大袈裟なかすり傷だった。
問題だったのは、明らかに狙われていたのに彼女が回避の動作をしなかった事である。ロルフが慌てて警告しなければ、軽傷では済まなかっただろう。その事でロルフが怒った際、彼女は不思議そうな顔でこう言ってのけた。
───ロルフが「何の心配もせずに」って言ってくれたから。
彼の軽口をそのまま受け取ったジゼルは、敵の攻撃を一切気にせず、矢を射ることだけに集中していたそうだ。
それを聞いたロルフはというと、愕然として怒る気も失せたのである。
───アンタなぁ…オレが仕事をサボるかもとか思わねぇのかよ。
───でもロルフはきちんと全うしていたわ。
───明日はわからねぇぞ。
───そうなの?
ロルフは説教の真似事をしてみたが、まるで手応えがなかった。澄んだ瞳を持つ彼女に、人間の悪意について説いても無駄だと悟った。
その時からだ。渋々守っていたのが、守らなければという奇妙な焦燥に変化したのは。
しかしながら、純粋すぎてどうにも危なっかしいお嬢様に、明確な好意を寄せるようになった時期はあやふやだ。気が付いたら底なし沼に沈んでいた感じである。
ただただ気分が良かったのだ。全幅の信頼を預けられる事に、ロルフは味わったことのない高揚を覚えた。他人から奪い、他人から嫌悪されるだけの人生を歩んできた彼には、ジゼルの真っ直ぐすぎる信服が新鮮で、尊い気持ちさえ抱いたのである。
隣にいると彼女から絶対の安心が伝わってきた。それが戦っている時は昂りへと繋がり、休息している時はひらすら心地良かった。まったくおかしな気分であった。悪くないと思うだけならまだしも、悦びまで感じていた自分にロルフは何度も驚かされた。
そしていつしか、ジゼルを守って守って守り抜いて、その果てに死ねたら幸せだとさえ思うようになったのである。もはやジゼルの存在が、ロルフの幸福そのものだった。
それでもロルフには、彼女とどうこうなろうという気はさらさら無かった。常識に馴染みのない彼にだって、貴族の令嬢と泥棒風情が結ばれるのを夢見る事が、浅はかであると分かる。お嬢様はフィンレーみたいな同じ貴族の優男に嫁ぎ、血統を残していくのが上流階級の在り方なのだろう。
ロルフはただ、自分が死ぬかジゼルが戦場を去る日まで、彼女の隣にいたかっただけだ。
目を開けると見えたのは、木の板の天井だった。独特の匂いが、ここがまだ病院であることをロルフに教える。重症なのに激して失神したロルフは、そのまま寝かされていた。
寝台の傍にはフィンレーが座っている。左の頬が腫れていたが、それはお互い様だ。ともかく、起き抜けに見たい顔ではなかったので、ロルフは舌打ちをして寝返りを打つ。
太々しい背中に向かって、フィンレーは話しかけるのだった。
「彼女は君の怪我を心配していた」
「…そうかよ」
「治るまで括りつけておくと約束してきたので、君は完治するまで大人しくここにいろ」
「完治しても惰眠を貪ってやるから、安心してどっか行けよ」
二人はそれきり口を閉ざした。やがてフィンレーは退室し、戻ってくることはなかった。ロルフは寝台の上で大の字に転がる。動くたび体のどこかが痛んだが、どうでも良かった。何もかも全部、どうでも良くなったのだ。これからどうしようとさえ思わなかった。




