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アザン国の中心部にある王城では、昼夜を問わずに議論が交わされていた。議題は決まっている。
同盟を跳ね除け、徹底交戦の構えをとるか。
制圧された領土をニフタ国に渡し、不可侵を約束させるか。
大臣達の意見は真っ二つに割れた。しかしながら最終的には、アザン王の一言で国の命運は決するのだった。
「ニフタ国との同盟に、致命的な不利益は見当たらぬ」
領土の端を失うことより、これ以上の血を流さずに戦争を終結させるほうが重要である。国王の言葉が、広間に重々しく響いた。次いで議題は同盟の準備へと変わり、大急ぎで同盟締結の場が設けられるのであった。
アザン国の返答を聞いたユリウスは、配下の兵を置いて出掛けていった。国と国の盟を結ぶとあって、持ちかけた本人が行かぬのは不義理というもの。アザン王と直に会い、立会人のもとで署名するために、彼は指定の場所へ向かったのだ。
その間、ジゼルは牢の中で蹲っていた。かれこれ三日、ずっとこんな状態だった。一応、食事は出されているのだが、彼女はほとんど手をつけていない。
「ちょっとだけでも、食べませんか…?」
「…あなたにあげるわ」
「そういう訳にはいきません!これはジゼルさんの分ですから」
ジゼルには見張りの兵士の他に、世話係の少女がつけられた。少女の名前はヴィッキーと言い、面倒見の良い性分らしく、憔悴するジゼルのことも心配してくれた。気遣いの心はジゼルに届いてはいるのだが、いかんせん少しも立ち直ることができない。
「…ごめんなさい。何も喉を通らないの」
「あたしが言ってもあれですけど、ユリウス様はとっても優しい方です。お一人で心細いと思いますが大丈夫ですよ!ユリウス様が危害を加えることは、絶対にないですから!」
ジゼルは自分の置かれた状況を悲観しているのではないが、一生懸命に励ましてくれるヴィッキーに僅かながら慰められた。はきはきとした喋り方が、どことなくアリシアに似ている。
「…ありがとう」
「いえ!困り事があれば、あたしに相談してくださいね。ただの話し相手でも良いですよ!」
ヴィッキーと話した後、ジゼルは眠ってしまった。ちゃんと食べていないせいもあるが、戦った後よりも重い疲れを感じていたのだ。
どれくらい寝こけていたか知らないが、意識が浮上した時にはユリウスが戻ってきていた。起きろと耳慣れない声がして、ジゼルは薄っすらと目を開ける。
「貴女の処遇を伝える」
敵対していたとはいっても、相手は一国の王太子だ。こちらも貴族の令嬢として、不敬な態度はとれない。ジゼルは体を起こして、居住いを正した。
「同盟は無事に結ばれた。よって貴女の身柄と引き換えに、捕縛中のアザン兵二十二名は解放する」
引き換えという事は、ジゼルはユリウスに捕らわれたまま帰れぬ事を意味する。将官級の男二十二名に対し、ジゼルひとりとは破格の条件だ。どう見積もっても釣り合わないが、アザン国にとっては好都合と言えよう。だから人質解放の件に関して疑問は出ても、大臣達が揉めることは無かった。
しかしジゼルにとっては自分だけが犠牲となり、敵国で一生囚われの身として生きていくことになる。都合の良い生贄に差し出されたも同然だった。彼女にその気は無いが、自ら命を断って死に逃げることも許されないのだ。
「この場に留まる理由はなくなったゆえ、明日には出発する」
それからジゼルは牢を移るよう命じられた。彼女がぽつんといた場所は急造の牢だったらしい。捕虜達が解放された後は本来いるべき牢が空くので、そちらで過ごすことになるようだ。
しゃんと背を伸ばして弓を構えていたジゼルが、覚束ない足取りで歩く。足枷が邪魔である以前に、気力が枯れてしまったのだ。
「……ジゼルッ!!!」
たったひと声。それだけで彼女の背筋はぴんと張る。影っていた瞳に、光が漲り始めた。
「……フィンレー…ッ!」
丁度、二十二名の捕虜達が牢から出されたところであった。その集団の中に、馴染みある金の頭髪を見つけたのだ。ジゼルは足枷のことなど忘れて地面を蹴っていた。だが体に巻き付く鎖のせいで、彼女は思い切り転倒してしまう。
「ジゼル!大丈夫か!?」
フィンレーは顔から落ちた幼馴染を見て肝を冷やした。すぐに駆け寄り、手を貸してやりたかったが、自分も鎖で縛られた身ゆえにそれもできない。
一方、面前で派手に転んだジゼルはというと、むくりと起き上がり、座り込んだまま一筋の涙を流していた。痛みや恥ずかしさで滲む涙ではない。彼が無事だった事に対する安堵の涙だ。
「…あなたは殺されてしまったと、思って…っ」
「ジゼル……」
ユリウスが語っていた通り、彼は小隊の長を生かしておかなかった。しかしフィンレーだけは唯一の例外として生け捕りにしたのである。理由は、ジゼルの情報を聞き出す為。ジゼルについて知る貴重な情報源として、生かされただけに過ぎない。
でもジゼルには理由なんて何でも良かった。幼馴染が生きていた事にこの上なく安堵した。これで彼を、親友のもとへ帰してあげられる。フィンレーが帰らないという恐怖を、味わせないで済んだ。
しかし喜びに溢れたのも束の間だった。
「勝手な行動は慎んでもらいたい」
ユリウスは冷ややかな表情で、ジゼルの鎖を持っていた。彼女は抵抗しなかったが、フィンレーはそうもいかなかった。
捕虜の扱いは軍律に定められているものの、実情は守っている者の方が少ないだろう。面白半分に嬲られたり、憎悪をぶつけられて悲惨な目に遭ったりと、碌な話を聞かない。バルビール隊は生真面目なフィンレーのおかげで規律が守られていたが、同じ事を敵国に期待するのは愚かである。
特にジゼルのような見目の良い女がどんな末路を辿るか、想像に難くない。
「待ってくれ!こんな…こんな事ってないだろう!なんで君が…!」
「いいのよ」
枷を嵌められ、鎖で縛られているが、ジゼルは今度こそしゃんと立っていた。その口元には穏やかな笑みさえ浮かんでいる。
「戦いは終わって、あなたもわたしも生きているのだから」
フィンレーは歯を食いしばった。ここで自分達が足掻いたところで、何も変わらない。何一つ変えられないのだ。所詮、戦争なんて権力者の一存で左右されるもの。前線で戦う兵士は、自国のために消費される駒でしかない。苦しい思いをして鍛えてきたはずなのに、フィンレー達は悲しいほどに無力だった。
「……伝言はないか?」
「家族と隊のみんなに、今までありがとうと」
「分かった」
「ロルフの怪我が心配だわ」
「完治するまで寝床に括りつけておく」
離別はすぐそこまで迫っている。フィンレーもジゼルも、短い言葉を選んで伝え合う。
「アリシアに…謝ってもらえるかしら」
「ああ。君の代わりに怒られてくるよ」
時間切れだ。互いの鎖が引かれる。引き離される寸前、ジゼルは大きく息を吸って下腹に力を込めた。
「アリシアと幸せになってね。必ずよ」
言葉を交わしている間、ジゼルはずっと静かに微笑んでいた。対照的にフィンレーは窒息しそうな酷い顔だった。彼女の最後の頼みにも、ごく小さな頷きを返すのが精一杯であった。かける言葉を失ったまま、フィンレーは帰国しなければならなかった。
二人を乗せた荷馬車は、正反対の方向へ走り出す。フィンレーは自国へ、ジゼルは何も分からない敵国へ、それぞれ運ばれていくのだった。
王太子ユリウスに仕える補佐官は、怪訝そうに疑問を呈した。
「前例の無いことですよ、殿下。これで宜しかったのでしょうか?」
何がと聞き返すまでもない。女兵士ひとりの命で、二国の同盟を結ぶなど前代未聞もいいところである。
同盟には両国に得が生じるような条件が提示される。とりわけ此度はニフタ国が勝利を捨ててまで、不可侵を申し出たのだ。もっと利のあるものをユリウスは要求できたはずである。国境地域のほんの一部を貰っただけ、人質はさして身分も高くない令嬢ひとりでは、割に合わない。しかも王命ではなく、ユリウスの独断だ。配下達が眉を顰めるのも道理であった。
「弓の名手は戦場において厄介極まりない。彼女は脅威だ」
「脅威である事は否定しませんが、いささか高く評価しすぎでは…」
「彼女に狙われたからこそ分かる。見える敵より見えない敵のほうが、得てして恐ろしいものだ」
強いと知りつつ正面から挑む敵より、不意に襲ってくる正体不明の敵の方がよほど心臓に悪い。そうはいっても同盟の証にしては、軽すぎる条件であることに変わりはない。補佐官は「もしや」と遠慮がちに問うのであった。
「…殿下はあの弓使いに惚れたのですか」
補佐官の彼もジゼルのことを近くで見る機会があり、浮世離れした美人だと思った。麗しい王太子と並べば、さぞかし映える二人になるだろう。これまで異性に関心を示さなかったユリウスが目に留めるのも、分からなくはない。
しかし当のユリウスは、意味深な笑みを浮かべるだけだった。
「惹かれるものが彼女にあるのは間違いないな」
彼の瞳にあったのは色恋のそれというより、初めて見るものに興味を持つ幼な子のような輝きだった。




