江戸からの帰り道にした商売の話し <C291>
江戸で軟禁されることもなく、無事に江戸から脱出します。
■安永7年(1778年)3月12日 日本橋 → 金程村
萬屋さんで朝餉を頂き、番頭の中田さんと一緒に登戸まで帰る。
帰路は、船は使わない。
多摩川を船で遡るのは随分時間がかかるので、帰路は船を使わず陸路を辿る。
日本橋から京橋を渡り、新橋から溜池を右手に見ながら進むと赤坂御門に出る。
すると、そこからは以前に父と一緒に帰っていった矢倉往還道(=大山街道)、津久井往還道を辿っていく。
道々、中田さんと商売の話しをする。
「中田さん、今回披露しなかったのですが、七輪・練炭の売り込み先として、江戸市中で見かける屋台を考えても良いと思っています。
天麩羅や蕎麦といった暖かいものを提供するところを狙うのがミソです。
こういった屋台にとって、七輪の1000文はいかにも高く、屋台を始めるにあたって購入するためのお金を準備するのは難しいと考えられます。
そこで、七輪を貸して賃料を取るという商売が考えられます。
例えば、練炭の小売相場が280文であれば、七輪に練炭1個をつけて300文で一日貸し出すという具合です。
七輪を50回転させれば元は取れますし、貸し出しの都度、練炭は確実に1個売れます。
どうでしょう」
七輪のレンタルという商売の提案なのだ。
貸し本屋はあっても、消耗する練炭と一緒に七輪を貸し出すなんて発想は、まああるまい。
「それは面白い商売のやり方ですね。
七輪さえ準備できれば、成り立ちそうですね。
昨日の夕餉の時に、なぜ披露されなかったのですか」
「もし、あの場で言ってしまったら、お婆様に間違いなく監禁されて、村に帰れなくなってしまいます」
中田さんは、明るい笑い声を上げた。
「はっはっはっはっ、確かに何か恐いものが見えた気がしましたぞ。
そして、間違いなく、その場で番頭の首を挿げ替えていたに違いありません。
こうして、番頭のまま登戸に帰れることを良しとしましょう。
ところで、なぜ今その話を教えてくれるのですか」
どうやら本音を正直に話す場面のようだ。
「それは、中田さんに炭屋番頭を続けていてもらいたいからです。
この商売の案を本店で披露できれば、千次郎さんはともかく、お婆様は間違いなく乗ってきます。
屋台の株仲間に話しをつけさえすれば、おそらく、思惑通りになるでしょう。
この七輪の貸し出し元を萬屋で独占する代わりに、練炭を市中の小売価格より割り引いた値段で屋台に卸す、という条件を飲ませることができれば、江戸市中の3000台と言われている屋台が全部、萬屋のお客様になります。
これだけの儲け話を、お婆様は見逃さないでしょう。
すると、中田さんの番頭の地位は磐石です。
そうすると、僕を信頼して頂ける強力な味方が重要な場所にいて、イザとなったら助けて貰えるという寸法です」
「すみませんが、ここから日本橋の本店に引き返してよいですか」
中田さんが、真顔でとんでもないことを言い始めた。
「いえいえ、それでは中田さんの手柄になりません。
例えば、資金面をきちんとお考えになりましたか。
始めるにあたり、まずは七輪を3000個用意するのですよ。
ざっと、750両になります。
金程村から買うと掛け買いにせよ500~600両も、七輪を準備するために支出するのですよ。
七輪1個1日で300文とすると、七輪部分はたったの20文分にしか過ぎません。
お金を準備できますか、そして運用できますか。
僕の話は結構細かいところを詰めていないので、お婆様はともかく、千次郎さんは指摘してきます。
考える切っ掛けは僕でも、実際に出来るように色々な角度から検討したのは中田さんとしなければ、中田さんの株を下げるだけですよ。
中古の七輪を安く下請けしそれを貸し出しする、なんて技もありますが、きちんと詰めておかないと千次郎さんやお婆様に足元を見られますよ」
中田さんが、なるほどという表情に変わった。
「確かにおっしゃる通りなんでしょうな。
飛びつくと禄な目に合わないことは判りましたが、今聞いた商売は捨て難い魅力があります。
江戸市中と登戸村では、人の集まりようが違うので商売のやり方が違う。
登戸村にひたっていたのでは、とても江戸での新しい商売を考えるなんて難題なんですよ。
なんで、金程村みたいなどん詰まりの山奥で江戸での新しい商売を考えることができるのか、不思議でしょうがない。
しかし言われたように、商売の方法を詰めてから本店に伝えるのが良さそうだ」
俺は、本当に戻りかねない中田さんの引きとめに成功したようだ。
こんな話をしながら、多摩川の対岸・猪方村へ着いたのは昼過ぎである。
渡し船で登戸まで行くと、懐かしい風景が広がっている。
江戸に10日に発って12日に戻って来たのだから、長く居た訳ではない。
しかし、人の多さ、家の密集する様、掛け声の大きさなど、まるで異世界にずっといたように感じる。
緊張していた気持ちがだんだんほぐれていく。
「真っ直ぐ帰るのではなく、店で昼飯を食べていかないか」
その誘いに乗って、中田さんについて、そのまま炭屋に入っていった。
炭屋は、番頭の代わりをしている小僧が取り仕切っていた。
丁稚達との賄い飯が終わったばかりだったようで、2人分の支度は直ぐできるということだ。
「番頭さんが江戸に行っておられる間に、七輪4個と薄厚練炭276個は全部掃け、普通練炭18個と炭団が534個売れています。
なので、普通練炭は5個、炭団は779個残っています。
売上金額は46520文で、金程村の取り分は37216文(=約93万円)です。
小判で金8両と、残りを銀50匁分に4文銭54枚で準備します」
まだ売れ続けているようだ。
今回の売れ行き増加は、七輪があったからかも知れない。
「小僧さん、七輪を購入したお客さんはどんな人だったか覚えてますか」
「はい、2人が2個を買っていかれました。同時に普通練炭と薄厚練炭を沢山購入していかれました。
お二人は川下の溝口と小杉の商家の手代の方でした。
七輪が売られている話を船頭から聞いて飛んできたとか」
一生懸命思い出そうとしているのか、ポツポツと話してくれた。
「最初は小杉の米問屋の方で、小判を2枚出されて『七輪を2つ、あと普通練炭と薄厚練炭を金額内で目一杯買う』とのことでしたので、普通練炭5個と薄厚練炭50個を用立てました。
次に溝口で料亭をされている方で、同じく七輪を2つと薄厚練炭を残り全部の200個、練炭を8個、炭団を8個買われました。
料亭をされている方は、なんでも加登屋さんの知り合いだとかで、なにかと自慢話を聞かされているとぼやいていました」
米問屋と料亭以外に売れたのは、炭団が主体で一般の人は練炭を買っていないのがうかがえる。
「その後からも、もう七輪はないのかと問合せされた方が何人もおりました。
都度、加登屋さんならお持ちかも知れないということで紹介すると、そちらへ向っていました」
購入した客の聞き取りを終え、昼食も食べ終わった。
そして、大金を持っているので、何処へも寄らず炭屋から真っ直ぐ金程村へ戻ったのだった。
商売の方法について、中田さんにレクチャしますが、これがまた先にどうなるかです。
次回は、自宅で百太郎に報告です。
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