お殿様へ江戸行きの報告 <C274>
練炭を献上に行くと、そこに現れたのは... という回です。
■安永7年(1778年)3月7日 細山村
百太郎と義兵衛は、江戸のお殿様へ献上する練炭20個を箱詰めにして白井家までやってきていた。
甲三郎様への献上とは言え、一番ましなものを着ている。
白井家の土間を借りて時間調整を行っている二人へ、白髪頭の白井与忽右衛門が話しかける。
「昨日依頼を受けた、焼き物を作る燃料に使う薪については、工房の助太郎さんが必要とする充分な量になるまで運び込むように伝えてありますぞ。
なんでも、昨日までは毎日二人で木炭4俵を持っていっていた、ということだったのじゃが、今日からは、木炭2俵と薪12貫を毎日運ぶようになるはずじゃ。
助太郎さんが『薪はもう充分』と言えば、元通り木炭4俵運ぶように言っておる。
しかし、金程村では人手だけでなく、薪も不足しているとは驚きましたぞ。
どうですか、練炭を作る作業の一部だけでも、細山村と金程村で一緒にやりませんか。
なにやら神社も巻き込んで義兵衛さんがあちこち動いていると聞いておりますぞ」
与忽右衛門が、結構細かく練炭作りの動向を探っているのが、口調の端々から判る。
実際、細山組の二人から工房全体の動きは見えるだろうし、細山村にある寺子屋に通う三人の口を通して注意していれば何をしているのかは結構伝わっているのだろう。
「細山村の樵家の若者二人は実に助かっています。
この二人を手伝いに出してもらって、工房がやっと回るようになってきました。
この後生産と運搬が軌道に乗り炭屋さんとの話が固まれば、規模の拡大に乗り出すので、その時は相談に応じてもらいたいです。
それから今回の薪不足については、まだ事前に不足という話を聞いていたので、白井さん経由でお願いする余裕もありました。
しかし、まだ色々実験中というところがあって、急に何かが足りないということが起きるかも知れないのです。
こういった場合は、白井さん経由でなく、手伝いに来ている二人のご実家に直接依頼しても良いですかな。
あぁ、もちろん事後に報告はさせて頂きますよ。
それに必要な経費は、こちらから直接樵家に払っても良いです」
百太郎が、細山村の樵家との直接取引に向けて風穴を開けてくれようとしている。
こうなると、百太郎と与忽右衛門さんの腹の探りあいである。
「まあ、場合によりけり、といった所でしょう。
金程村は結構銭が流れ込んでいるご様子で羨ましい限りですな。
ところで、今回は江戸のお殿様へ補充のための練炭を献上するというのは、口実といったところもあるのでしょう。
言上する内容を事前にお教え頂ければ、ご相談に乗れることもあると思いますぞ。
いかがですかな」
与忽右衛門さんは話の矛先を変えてきた。
「いやぁ、なかなか鋭いですな。
実は、金程村がいつも木炭を卸している登戸村の炭屋さんのことで、承知しておいて頂きたいことがあるのですよ」
話が深入りしそうになった時に、裏庭でお館の東屋を見張っていた白井喜之助さんが呼んだ。
「そろそろお時間ですので、よろしくお願いします」
時間切れである。
今回は、白井家は同席する理由がないため、百太郎と義兵衛だけが東屋へ向う。
与忽右衛門さんは渋い顔をしながら送り出してくれたのであった。
百太郎と義兵衛は白井家の裏庭を通り、お館の東屋まで出た。
どこからともなく椿井家の爺が現れ、東屋の中に入るように促した。
東屋の床に座って待っていると、細面のお殿様の庚太郎様と、その弟である甲三郎様が入ってきた。
二人とも、お目見えのときのような格好ではなく、普段着のままである。
そうと知っていなければ、どこぞの村から庄屋の主人が来ている位にしか見えない。
今回のお相手は、てっきり甲三郎様だけと思っていただけに、お殿様が現れたことに驚いた。
百太郎と義兵衛は、その場で床になったかのように平伏した。
「よいよい、ここは上下を意識する場ではない。
楽にするが良い。
丁度、お城で非番が続くので、忍びで里の様子を見に帰っておったのじゃ」
お武家様が、相手が名主とは言え百姓に向って話すような口調ではない。
こちらの気持ちを読んだのか、お殿様が言った。
「そんなに驚くものではない。
椿井家も、元はと言えば尾張の百姓じゃ。
たまたま、何代か前の先祖の誰ぞやが織田信長様の目に留まって引き立てられたに過ぎん。
知行地では威張っておっても、お城では下っ端じゃ。
上のものにヘイコラする苦痛はよう判っておるので、他の者には強要はせんというのが、吾が思いじゃ。
寺子屋で武家も小作人の子供も同じ席で学ばせておるじゃろ。
男も女子も同じじゃ。
里を富ませるには、真に知恵がある者、力のある者を引き立てねばならん。
身分などに拘っておっては先へ進まん。
ここは裏じゃ。さ、顔を上げんか。直答せねば、話が進まんではないか」
百太郎が上半身を少し起こすと、それに倣って義兵衛も上体を少し起した。
「このたびは、先に献上しました練炭につき、再度献上させて頂きたく、お持ち致しました。
宜しくお納めください」
百太郎がそう述べると、義兵衛は横に置いた風呂敷の上の練炭20個を、風呂敷をずらしながらお殿様の前に押し出した。
「うむ、大儀じゃ。
江戸の屋敷で、献上されたあの七輪は随分助かったぞ。
寒い日には、日長一日抱えこんで手放せなくなるほどじゃった。
屋敷に来た同僚との歓談やら、出入りの商人の挨拶を受けるときにも、もう手放せなんだ。
すると、珍しいものを見たかのように、皆一様に驚いておったわ。
これは、吾が知行地の特産品じゃ、と説明しておいたので、売りにいったら面白かろう。
丁度、練炭が無くなったところであったので、此度の献上は本当にありがたい」
そう言うとお殿様は、カラカラと笑った。
「実は、申し上げて置きたきことが御座います。
この七輪・練炭は、全く新しいものでございますため、炭屋でも値段の付けようがなく、従来の木炭のように卸すことができませなんだ。
それで、公開の競りに似た仕組みを考え、炭屋に委託販売という方法で置いてもらい、売れる都度銭を受け取ることとしました。
また、委託販売であることから、これを他所へも卸してよいという条件をつけさせてもらい、同じ登戸村の小料理屋へも直売りをしておりました。
こうやって、金程村では銭を直接手に入れ、この銭を使って練炭をつくる工房を広げているというのが現状でございます。
ここまでは、甲三郎様に申し上げている通りでございます。
ところが先日、炭屋へ練炭を持っていったところ『江戸・日本橋にある炭屋の本店から、七輪・練炭の商について、特に七輪について炭の株仲間で扱うべきものかどうかについて、作っているところの人に意見を貰いたい』旨の意見を寄せられました。
金程村としては、炭屋の中で何が起きているのか、七輪・練炭を考案した義兵衛に直接見てきてもらいたいと考えております。
長い目で見たとき、義兵衛に見聞きしてきてもらうのが一番と判断しました。
そのため近々、義兵衛を江戸・日本橋の炭屋・本店に行かせるつもりでおります。
義兵衛の江戸行きを、ご承知頂きたく、よろしくお願い申し上げます」
甲三郎様が、百太郎の言上に被せるように、悲鳴のような声を上げた。
「それでは、一体、守り仏はどうするつもりなのじゃ。
あのことは、兄上様ももうご承知じゃ。
折角与えられた村への寵愛を、今手放すつもりか」
「いえ、守り仏は我が家の仏壇にしっかり収め、わたしが預かりますゆえ、大事ないと思っております」
百太郎は自信ありげにこう訴えた。
お殿様は、ふっと思い出したように言う。
「そういえば、出入りの炭屋主人・萬屋千次郎が興味深げに七輪を見ておったのを思い出した。
大方、七輪の横に彫られた金程村という文字に気づいたからであろうな」
百太郎は、義兵衛から聞いた内容を伝えた。
「数日前、登戸村の小料理屋へ売った七輪と練炭を、出先の炭屋番頭が購入して日本橋の本店へ持ち込んだ様に聞いております。
また、お殿様のお屋敷で見た七輪と同じものと言っておりました。
おそらくそれが元で、この話が出たものかと存じます。
経緯は、こちらにおる義兵衛が、小料理屋主人と炭屋番頭から聞いており、また本店の主人も義兵衛を指名してきており、こういった次第に至っております」
「なるほどのう、義兵衛が江戸・日本橋へ行くことは承知した。
商人というのは、義や情には欠けておる輩も多い故、義兵衛、充分気をつけるのじゃぞ。
戻ったら、仔細を甲三郎に報告するのじゃ、よいな」
お殿様の声に、一層平伏した義兵衛であった。
この言葉で、献上の儀は終了した。
東屋から裏庭を通り白井家に戻った百太郎と義兵衛は、与忽右衛門さんと喜之助さんに迫られ、一部始終を説明させられたのは言うまでもない。
お殿様への報告が終わりましたが、白井さんがしつこいのです。そして木炭加工というプロジェクトについて、今年の需要推移と狙うべきポイントを助太郎に示すというのが次回のお話です。
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