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上麻生村へ建てる蔵 <C2563>

 西に向かって開けた少し高台となっている三井家の屋敷を出た一行は、名主・井上甚七の案内で津久井往還道を西に向かう。

 弘法松から尾根道を下り谷戸の底に出ると、そこは山口という谷戸の入り口になる。

 そこから直ぐ先に津久井往還道と片平村・五力田村・古沢村へ通じる道との辻があり、どうやらここが上麻生村の中心地(現:小田急線柿生駅南口近辺)のようだ。


「私はこの場所・大ヶ谷戸おおがやとの名主ではなく、もう少し片平村寄りで、片平川と麻生川が合流する与田川戸で名主をしております。

 そういった事情もあり、先ほど話に出たこの辻に米蔵をどうこうできる立場では御座いませんが、もう少し万福寺村寄りに、ということでしたら、大ヶ谷戸との境の場所は提供できましょう。いえ、そこに蔵を建てましょう。

 幸い、私の集落は椿井様の所の手伝いで多少潤っておりますので、巫女の神託のためということでしたらお役に立てましょう」


 意外にこの甚七さんは使える感じがする。

 爺様も同じ思いなのか、甚七さんの申し出に深く頷いている。

 実際に辻の周囲には軒を連ねて家が建っており、道に面した場所を確保するためには立ち退きが必要となる。

 そうすると、新規に蔵を建てるのであれば少し外れという選択もあるかも知れない。


「甚七。そこは洪水の時に水が来ぬ場所であろうな。

 折角の備蓄もそれを置いた蔵ごと浸水してはどうにもならぬ。また、集落外れの場所ということであれば、荒らされる可能性もあろう。村中の人目があってこそ、野盗から守られることもある。そのあたりの加減も必要じゃ。そういったことからすると、三井殿の屋敷周りのほうが安心できるのだが、そこよりマシと思える場所であれば考えても良い」


「いえ、集落の境とは言え直ぐ隣の場所なので、辻から2町(約220m)程入った道沿いです。集落境を示す道祖神の祠横が丁度空いており、私の家の横にもなるので都合が良いと思った次第です。

 この後の御予定に差支えなければ、家にお立ち寄りください。御都合がつかないようであれば、せめて祠と拙宅の位置関係でも見て下され。

 ああ、麻生川の心配でしたね。田への水路を部落双方の境としているので、川が増水した折に祠が浸水することは時に起きます。私の知る限りでは2回程ありましたが、拙宅は被害にあっておりません。なので、拙宅同様に敷地をかさ上げして回りを柵で抑えれば、これを超えるような水害に遭うのは、せいぜい数十年に一度程度かと思います」


 辻から集落境の道祖神祠まで引っ張られるように案内された。


「この後は小野路宿まで出て、図師村を経由して木曽宿、それから戻る予定としている。まだ日のある内に戻りたいので、今回は井上殿の家に寄るのは控える。今回の米貸出の件を三井殿承知の折には、また寄せてもらうこともあろう」


 こういった会話をするうちに、集落境を示す祠の前に着いた。


「この祠の横に、そう大きくはありませんが空き地がありましょう。この先にある拙宅が見えておりますが、ここを拙宅同様に嵩上げして土台を作り、そこに土蔵を作りましょう。

 細江様、三井様への承諾有無とは別に、当村が、いえ私が椿井様から借米するとすれば如何ほどの量を貸して頂けますでしょうか。

 椿井様の御領地で飢饉に備えて米を備蓄する、という動きを見ていると、当村でも何か備えておく必要をとても強く思うのですが、入れ物を作っても中に入れる物の算段がついておらず、困っておるのです。

 今年も年貢米として300石(玄米750俵)という結構な量を納めましたが、それでも御殿様にとってはまだ不足するということで60石(玄米150俵)ほどの追加を求められました。つい先日、自分の所用として置いておいた米を当ててこれに応じ、米問屋が受け取りに来ました。

 米問屋への借財返却に充てたのでしょうが、おそらくは一番安値で引き取られており、何か悔しい思いをしております。

 年貢米を免除してもらい、それを備蓄に回すというようなことはしてもらえそうにないのですが、隣の御殿様から借りた米であれば理不尽に取り上げられることもなく、また端境期の高値の折に金子に替えることもできましょう。村で売ってしまった分は、収穫した米で補充すれば良いのです。また、御殿様は、他から借りている米であれば、これを奪うという暴挙をためらうことも考えられます」


 爺様と園十郎様が話している間に色々と考えたであろうことを話し始めた。


「三井殿であれば無利息で50石(125俵)を貸すこともやぶさかではないのだが、村を相手として貸すのであれば利息を付けるしかあるまい。そうさな、年率1割、50石貸して12俵半を翌年に利息としてこちらに寄越すということであれば、こちらも納得はできようが、果たしてそれで村方の皆が収まるかな。利息が足らぬ場合は、その分追加貸した米として扱うのだがな。

 それに、備蓄米があるとなれば、殿様が追加で百姓分の米を取り立てるやも知れぬなぁ。そうなると、返すあてが無いまま借米数だけが膨れあがることになろう。

 まずは、そのあたりを他の集落の名主達と良く話し合ってみてはどうであろう。この場所であれば蔵だけでも建て始めるのが良いと思うがな。いずれにせよ、三井殿には経緯も伝えておかねばなるまい」


 双方が納得できる所、つまりは先延ばし、で話が終わり、挨拶をして別れた。

 そして、高石神社の神託・大飢饉の噂は結構浸透していることの確認はできたが、対応については手付かずとなっていることを知ることもできた。

 おそらく、この近隣はどこの村でも同じなのだろうと思える。

 上麻生村から図師村へと津久井往還道を西へ向かう。


「この道、結構な荷駄が通りますね」


 安兵衛さんがボソッと呟く。


「あれは金程で加工する原料となる木炭を運んでいるのじゃ。聞いた所では、王禅寺村に相模国から来る木炭の拠点があり、そこから金程の工房との間を往復する便があるそうだ。上麻生村は素通りして、その奥(金程村から見て)に拠点を作られてしまったとは、この村の者は見る目がなかったと言えよう。集積拠点となるのと運搬するのでは、儲けが違う」


 王禅寺村、そこは柿産地の中心地であり、明治の代になって周囲の村を合併して柿生村と名付けられる所以となる場所でもある。

 地元名産の柿を上手に商売道具として売り込むあたり、商売所に勘が働く者が居るに違いない。

 土地の高低差や地場生産物の違いから、偶然こうなったとも思われるのだが、その経緯に義兵衛の興味は募った。


「これは中々面白いことです。王禅寺村ですか。今日はゆとりがありませんが、どうなっているのか調べてみたいですね。できれば、木炭を買い集めて工房に送り込んでいる主と直接話がしてみたいものです」


「いや、義兵衛が知らぬはずはなかろう。助太郎や経理を預かる小娘(春)なんかは掛け合いをしておった。歳の甲で押し負けしそうな折にはワシに泣きついてきよった。年端もいかぬ小娘を言い負かして泣かせる位のことは当たり前にしてくるのでな。

 ああ、そういった交渉は、江戸におったので出来ぬゆえ、助太郎に丸投げしておったか。

 いずれにせよ、時折荷駄に混ざって工房の様子を見にきておる。財布を握っている小娘に言っておけば、工房で会うことは容易かろう」


 工房に出入りする部外者について、まだ認識できていないことを義兵衛は今更ながら理解した。


「義兵衛様、抜かりましたね。これは問題ですよ。工房に誰とも判らぬ者が入り込めるなど、あってはならぬことでしょう」


「確かに引継ぎができておらん所だな。米さんがしっかり締めていると思って任せていた。戻り次第、検めることにしよう」


「うむ、工房の人の出入りは館でもそれとなく見ておる。それは義兵衛も知っておろう。

 ただ現場を見ている責任者がそれを把握しておかねば、不測のことが起きた時に的確な指示は出来ぬであろう。

 心して掛かれ」


 今まで里では万事卒なくこなしていたつもりの義兵衛だったが、爺様から思わぬ叱責を喰らってしまった。


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