神明社への立ち寄り <C2560>
■安永7年(1778年)10月15日(太陽暦12月03日) 憑依274日目 雨
一昨日からどんよりとしていた曇り空から霧雨のような冷たい雨粒が山間の村に降ってくる寒い朝、雨雲に隠れて太陽が見えはしないが、それでも辺りが薄っすらと明るくなる頃、登戸行きの荷駄に並んで義兵衛と安兵衛さんは工房から細山村の館へ向かった。
雨天であるため、馬に乗せる荷はいつもの半分程で、その分、水に濡れないよう小炭団や練炭は厳重に菰に包まれている。
馬子や荷駄が吐く息は暗がりであるが故に白く映り、本格的な冬がすぐそこに来ていることが感じられる朝である。
今日は、細山村の館に出向いた後、御爺様(養祖父・細江泰兵衛様)の御供をして上麻生村の三井家屋敷を訪問する手筈なのだ。
今は『江戸でのことがいくら気になってもどうしょうもない』と慮外に追いやり、まずは目の前のことを逐次片づけていくしかない。
「今は小雨だが、この寒さだと月末であれば雪として降っているのかも知れないな。道に雪が積もるようなことになると、夏場のように勢いで運ぶ訳にもいかない。如何せん、この坂道は悪天候だと難儀だ。天気が良い時に、工房から細山の館へ練炭を運び込んでおこうか。それと、坂道がいよいよ危なくなる時期を見越して、登戸までの真ん中あたりに一時集積する場所を設けたほうが良いかも知れぬ」
金程村は山間の村だけに谷戸に沿ってできた斜面の途中に集落があり、工房は斜面を切り開いた場所に作られている。
雪は積もることがあっても陽のあたる所ではせいぜい3日もあれば融けるのだが、その間は荷運びが容易ではない。
ことに斜面の北側はいつもでも雪が消えず、北側斜面を通る道はいつも厳しい状態となる。
なにより、最近の冬の寒さは尋常ではないような感じなのだ。
天明の大飢饉は、浅間山の噴火も一因ではあるが、地球全体の寒冷化・小氷河期にあたっており、欧州でも寒波による不作が続いていたとも聞いている。
今までは3日程度の交通網の遮断・封鎖で済んでいたのかも知れないが、その倍の6日程度輸送できない事態を考えていたほうが良いに違いない。
幸い、原材料の確保は春さんの厳密な計画の下、最低でも平時であれば10日分程度は工房内に確保しており、製造作業自体は雪で道が封鎖されようと、6日程度であれば問題ないように準備は整っている。
ただし、生産された製品の保管場所は6日分を貯めこむ程の場所はないと見ていた。
おまけに、この乾燥した冬場は練炭の出来は早く、天候次第では搬出量より生産量のほうが上回っているのは明らかだ。
手始めに館に積載所を確保できるように相談してみよう。
「その方が言わんとすることは判った。米蔵の1階部分の半分は空けさせよう。あと、登戸までの道筋で貯めておける場所だが、やはり所領内に留めるほうがよかろう。細山村の入り口にある神明社の宝物殿を借りるのが妥当かな。そこからであれば、津久井往還道まではほぼ平坦である故、天候で荷運びしにくい状況は少しだけでも軽減できよう」
館の爺様は早速に館の米蔵の片付けを男衆に命じた。
「今日は高石村から弘法の松へ向かい、その先にある三井家の館を訪ねる予定故、神明社は通り道じゃ。
宝物殿と大袈裟なことを言ったが、祭り神輿を置いてあるだけの蔵ゆえ、その脇を借りるだけのこと。毎日使う拝殿や社務所などとは違い、今の時期なら出番もなかろうから、声掛けしても差し支えあるまい。何にせよ話をしてみるだけでも価値はあろう。
ああ、手ぶらでは切り出しようもなかろうと思い三井家には七輪と練炭を手土産に準備しておる。義兵衛、その方が背負え」
さすがに無駄がない。
荷駄はとっくに登戸へ向かって横門から出発しており、そこから結構遅れて3人は門脇のくぐり戸を出た。
今回は義兵衛主体の訪問であるはずなのに、爺様の御供で安兵衛さんが、そして荷物持ちの義兵衛という風になっている。
細山村との境界近くにある神明社は大鳥居から下った先に社殿がある。
普通の神社は、鳥居から奥向きに社殿があるため多少でも昇る場所に作られることが多いのだが、珍しい逆大門になっている。
言い伝えでは、地勢を考慮して東向きに社殿を配した所一晩で社殿の向きが逆転し『村の鎮護のためには西の伊勢の方向へ向けよ、大門が逆になっても良い』とのお告げがあった所から、鳥居を社殿の西に置いたものらしい。
爺様を先頭にしてまず社殿へ向かい参拝を済ませ、社務所へ入り案内を乞おうとした。
殿様が不在の時は里を束ねる役目を持っている館の爺様が、直々に社殿で参拝しているのを見ていたのか、案内を乞う声が爺様の口から出ると同時に神主自らが飛び出してきた。
「この神明社に何か不都合でもございましたでしょうか」
神社仏閣は寺社領を持つ所も多く、また別当制度や本山という形態があることから、一般の行政とは異なる独特な支配体系を持っている部分がある。
そのため皆身内とも言える椿井家知行地の里の中にあって、必ずしも寺子屋に紐付かない者が居る場所になる。
今ここを治める神主は、近隣の王禅寺村の神明社の出であり、その王禅寺村413石はすべて寺社領(増上寺383石、王禅寺30石)となっているため、代官・旗本の配下ではなかった。
そういった背景を持つ神主の基へ、ここの土地を束ねる筆頭とも言える館の爺様が早朝に不意の訪問をした状況で、何か失態があったのではないかと疑ってかかってしまうのも仕方ない。
ましてや、先の籾米運搬では里の入り口としての役割を担い、そのお礼と称して館から10俵もの米俵を賜った上に、数合わせと称して名主達からも同じく10俵もの米俵を受け取っている。
多少やましい気持ちがあってこの挨拶になってしまったものと推測した。
「いや、この里の冬場を乗り切るため、依頼したいことがある」
実の所、爺様は数合わせで名主が米俵を融通したことも知っているのだが、そのようなことはおくびにも出さずに、小炭団・練炭の仮置き場を借りたい旨を話した。
「そのようなことでしたら、どうということもございません。殿様からは常より過分の奉納も頂いており、少しでもお役に立つことができますのは幸いです。ただ、宝物殿は管理が行き届かないこともあり、商品が雨風を避けるために保管するにはいささか不安でございますので、大門脇の部屋を空けますので、そちらをお使いください。
先日の籾米運搬時に御役方の控え室として提供しましたので、運ぶ物は違いましょうが勝手は御存じと思います」
爺様は大きく頷き、協力を感謝する言葉を述べると神明社を後にした。
「まあ、上出来ではある。何を勘違いしたのか、一刻も早く立ち去って貰いたい感で一杯であったからな」
カラカラと笑っている爺様ではあるが、義兵衛としては何を隠しておきたかったのかの方が気になってしまった。
「安兵衛さん、一度神明社の神主さんに話を聞きにいくべきと思いましたよ」
安兵衛さんの耳元で、極小さな声で義兵衛が囁くと、安兵衛さんは小さく頷くとこう切り返した。
「神明社だけでなく、高石神社も十分色々とありそうですね。金程村・細山村・万福寺村で三方を取り囲んでいる形ではないですか」
義兵衛は頷き返した。
一行は高石神社の東側を回り込んで津久井往還道へ出、そこから高石村の村域に入る。
ここから半里(約2km)程、主要街道である津久井往還を西へ進むと、津久井往還道のランドマークである弘法松に辿り着く。
そこまでが高石村(133石)の村域で、旗本・加賀美殿の知行地となっている。
ちなみに、当主は大御番十番方・加賀美金右衛門殿で、ここ以外にも離れた知行地があり、総知行高は500石と殿様と同じである。
この弘法松までくれば、三井殿の館まで2町(約200m)程でしかない。




