里のジオラマ <C2555>
■安永7年(1778年)10月12日(太陽暦11月30日) 憑依271日目 晴
義兵衛は館で爺様へ定例報告をした後に話しかけた。
「飢饉に乗じて領内に移り住もうとする百姓について、対策の妙案はまだ何も浮かんでおりません。
また、手が足りていないはずの工房ですが、寺子屋の寄り親・寄り子が班の基礎となっているため、移り住む者へ割り付けることができる仕事はないように思えます」
「うむ、そうであろうな。そう簡単に工房の仕事ができるとは思っておらん。工房にかかわる仕事であれば、木炭や練炭を運ぶ仕事か、木炭を作る準備程度から始めるのがやっとだろう。村の者を工房内の仕事に割り付け、田畑の仕事の手伝いをよそ者に回すようなやり方で凌ぐしかないだろう、と考えておった。そのよそ者の子達が寺子屋に通うということであれば、そこから徐々に溶け込んでいく恰好になる、位のことで見当をつけていた。
まあ、答えを急いで出すことはなかろう。お前の嫁や名主共の嫁は別格ゆえ、飢饉に乗じて村に住み着くつもりの者とは扱いが違うことも織り込んでおる。嫁いで来た者を頼って、その身内が村に入ってきた時の扱いをまずは考えるのが良かろう。
身寄りがない者は、そもそも村に住み着く場所を見つけることも出来ぬゆえ、館で預かって領から叩き出すつもりではあるのだがな」
こう言った爺様は大きく口を開けて大笑しているが、叩き出されるのが『痩せた乳飲み子をかかえた母親』と春さんの言った具体例を思わず口にしそうになったが、それは押し留めた。
いずれにせよ、義兵衛が考えるようなことは、とっくに爺様は考えていたようだ。
「それで、領地を守るためにどういったことができるのかを考えたのですが、正確な地形図が必要と思いました。館に絵図ではなく正確な地図はあるのでしょうか」
爺様は少し悩む様子を見せた。
「知行地に居を構える旗本がどれほどあるのかは知らぬが、そういった家では準備をしておろう。本来、安兵衛殿に見せるような代物ではないのだが、まあこの際仕方あるまい。ついて参れ」
いつも報告に使う座敷から、奥向きの納戸のような場所に向かった。
「ここは普段使用する部屋ではない。この里に何か事がある場合に使う予定としている部屋となっておる」
重々しい声とは別に、爺様の軽い動作で引き戸が開く。
普段使わないと言ったばかりなのに、手入れだけはきちんとされているようだ。
爺様は部屋に入ると北向きの明り取りの窓を開けた。
部屋の入り口近くには棚があり、書き物が積まれている。
壁には旗指物、槍や弓矢が所狭しと並べられている。
そして部屋の中央には大きな机があり、その真ん中に何か模型のようなものが置かれているのが見えた。
「これが里の地形を現わしたものじゃ。我が家の者や殿様達が里や周囲を歩き回り、目で確かめた風景を粘土で写し取り拵えておる。館の場所がここで、知行地である細山村、金程村、万福寺村、下菅村はおおよそこの線に沿って他村と境界を接しておる。
里の風景はおおよそ一致しておると思うが、他村の地形まで正確に写し取ってはおらぬ。だが、近隣の村についても、おおよその形はあっておろう。
どうじゃ、驚いたであろう」
義兵衛は驚きながらも自分の記憶にある風景と模型を照合し始めているが、安兵衛さんは驚きの表情を示して固まっている。
「これは一体何なのですか」
「判らぬか。いざ何かという時に頼るべきは地勢であろう。具体的なものがあれば、考えることも容易で手当も早かろう。
よそ者には見せることも無く、また里の者にもこのような備えがあるとはあえて知らせぬゆえ、義兵衛が知らぬのも当然じゃ。
そうさな。この部屋は、いざ合戦という場合に備え指揮所となるべき場所として常より手入れしておる。そしてこの型は、祖先が原型を作り、代々の殿様が大事にしてきた物だ。
それぞれの領地を治めるには、どこでも似たような物を備えておるのであろう。
そうか、安兵衛殿は知らぬのか。あえて秘すものでもあるから、安兵衛殿の殿様が明かしておらぬだけかも知れぬのだがな。いや、もはや戦の無い時代、このような地形の型なぞは、もはや用無しかも知れぬな。『古いからといって全部捨ててしまうのは誠に惜しい。先達が大事にしてきたものは、いつか役に立つはず』と大殿が常に申しておってな、それゆえワシや殿はここを大事にしてきたのじゃ」
爺様の愚痴とも思える呟きを安兵衛さんは黙って受け止めているようだが、衝撃を受けていることはその様子からもうかがえる。
地図というのは、それだけで戦略的価値があるので、明らかにすべきものではない、というのがこの時代の常識なのだ。
ただ、国の外廓は領地であることを明確にするためにも示しておいたほうが良いのは確か、というのは後世からの知恵だろう。
「これは感服しました。このようなものが既にあったとは、恐れ入ります」
「いや、義兵衛。これをきちんと受け継いでいくのが重臣の役目じゃぞ。それで、これを目にしてどう思う」
確かに、知行地とその周囲の村はきちんと再現されている。
この時代のジオラマとしては完璧な部類だろう。
「素晴らしいものです。しかし、知行地だけでは勿体ないと思いました。
矢野口村、平尾村、黒川村、栗木村、片平村、五力田村、古沢村、上麻生村、王禅寺村、高石村、五反田村、上菅生村、中野島村まであるのですから、もう一歩先まで作れないのでしょうか」
「それはそうなのだが、きりがないであろう。これを作り上げるのにかけた手間は、とてつもなく大きいことを判っているなら、そのような無茶を言い出せはせぬはずだ」
「いえ、天然の要害である多摩川と境川、せめて鶴見川に挟まれた部分、丘陵の途切れる所までで良いのです」
義兵衛は懐にあった紙を取り出し、安兵衛さんから矢立を借りると、紙一杯に大きく2本の円弧を描いた。
「上側の円弧が多摩川、下側の円弧が境川、左上で円弧が接近している所が八王子辺り、上側の円弧が右下で切れていますがそこが川崎で、そこから南側に向けて海岸線の円弧が始まります」
そう言いながら、義兵衛は更に一本の逆向き円弧を付け加えた。
「この円弧と下側の円弧の間から下に向かって三浦半島が突き出ています。実の所、この3つの円弧の間が丘陵地帯となっており、椿井家の知行地は、この規模で見ると丘陵地帯の点でしかありません。ですが、こういった規模で地形を見ることが出来ると、災害なんかの異常事態が起きた時に備え、どういった準備をすればよいかがとても考えやすくなるはずです。
もっとも、どの程度の大きさで地形図を作るのかが重要なのですが、そこは指揮水準に合わせてと考えるべきなのでしょうね」
あんぐりとする二人を尻目に、上機嫌となっている義兵衛は上側の円弧・川崎の直ぐ下側から始まる所から内側へ線を付け加えていく。
この時代として似つかわしくないレベルのジオラマ、それも里の実物に近いものを見せられた興奮が抑えきれていない。
『ほれ、義兵衛。実のところ俺は地理も強いのだぞ』
頭の中で久々の竹森氏が爆走するのに調子を合わせるだけなので、義兵衛は若干気楽に筆を走らせ、解説を口にする。
「これが鶴見川で、途中から分かれて横に走るのが恩田川、その次に鶴見川から分かれて縦に走るのが麻生川。この先に金程村と平尾村があって……。
あまり正確ではないので、ここは目安位に見ておいてください。
そして、多摩川もこの丘陵に向けていくつか支川が伸びていて、溝口から平瀬川、登戸から五反田川で、この先の高石村手前で折れた先が細山村と。ほれ、大きな川の支流の分水嶺が里になっていることが良く判りましょう。
多摩川に戻って、矢野口から三沢川、関戸から乞田川とその北側に大栗川、高幡不動辺りから日野川と分かれるので八王子に向けて伸ばし、いやもう八王子はあるのだから、これは多摩川をそのまま左上に伸ばして羽村まで伸ばすのが実態に近いのかな、と。
こんな風に、川を細かく加え、どのような地勢になっているかが判ると…… ……」
義兵衛は爺様と安兵衛さんが発する気から、蝦夷地の地図を描いた時以来、久しぶりに大きくやらかしたことを悟った。




