表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
554/565

弥生さんへの聞き取り <C2554>

 米さんの主導で、春さんはいつもの帳面とのにらめっこに戻った。

 義兵衛は矢立を握った安兵衛さんに小声で、測量で三角関数表が必要となる理由を説明していった。


「こうやって距離が判っている離れた二点から目的とする点までの角度を測れば、計算によって目的とする点までの距離を算出することができます。仰角や俯角もきちんと測れば、これまた高低差も求めることができます。

 この算出の基礎として使うのが三角関数の数表なのです。江戸の和算家を尋ねて探せば、かならずあるとは思いますが、無理なのであれば、ここで実測し簡易な表を作ってしまうのも手でしょう。

 ただ、正確な測量をするためにも、きちんとした表を作ることが必要です。有効数字は、せめて3桁、できれば4桁分は欲しいです」


「有効数字とは何のことでしょうか」


 にらめっこしている春さんの頭がピクピクと反応している様子も面白いのだが、それを気にしていては話が進まない。


「そうですね。大きな数字を扱う時にあまり細かな数字まで意識しなくても済むことがありますよね。例えば、大きな寺院を改修する時に大名などへお手伝い普請を申し付けると、時に何万両もの金銭負担が発生しますが、そういった場合に1両以下の数字の増減までは気に止めることはありません。おおよそ、上から3桁分の数字があれば、たとえ誤差があっても5分(5%)程度で収まります。

 なので、使う数値は先頭から3つというのが、有効数字3桁ということです。

 土地がかかわることなので、縦・横を掛け合わせる関係で、4桁まで数字があると誤差が1分(1%)以下に収まるかな、という感じでしょうか。そういった訳で、10尺(303cm)の棒と紐を使って、1分(3.03mm)単位で、できればその10分の1の長さを測る作業をしましょう」


 領地をどのように測量するのかの準備の話をするうちに辺りが薄暗くなってきて、工房の作業は終わりの支度に入ったようだ。

 片づけの音が始まると、春さんは生産棟の中に走り込み、各班の机の上にある生産量を記載した帳面を回収して回り、米さんは燃焼試験室・乾燥室・収蔵部屋の順に点検を行い、最後に片づけがきちんと終わっていることを確かめてから終礼を始める。

 このあたりは、助太郎が監督している間に出来上がったルーチンらしく、義兵衛が口を挟む余地はない。

 一連の儀式が終わると、工房としての生産活動は終わり、寮に戻って夕餉となる。

 ただ、今日は米さんに連れられて弥生さんがやってきた。

 春さんは、回収した帳面から主な数字を台帳に転記するのに必死となっており、ここからが本番といった雰囲気になっている。

 どうやら春さんにはこれがいつもの風景らしい。

 頑張る春さんをしり目に、米さんは後ろに隠れようとする弥生さんを義兵衛の前に押し出した。


「義兵衛様、昼間は失礼しました。どの班も最低限の目標を達成した上で、どこまで合格品の量を増やせるか、不合格品の発生率を抑えるかに心血を注いでいるので、手が離せないのです。先日の御館の爺様から皆にお声がけがありましたでしょう。それから家族からの期待を受けて皆必死に働いているのです。

 それで『ここで働いている者達のことを教えて頂きたい』とのことでしたよね。

 私が直接知っているのは工房の要となる30人程ですが、一体どういったことを御教えすればよいのでしょうか」


「まずは、皆がそれぞれ将来どのような身の振り方を考えているのかを知りたい。それから、この工房に他所から、今までは椿井領地内からの者だけで働いているのだが、そうではなく、例えば他所の村から嫁いできた者がこの工房で一緒に働こうとする時にどんな点について考えればいいのかを教えて欲しい」


「それは近々に義兵衛様の嫁・華さんがこの村に来るのだけど、この工房でどんな扱いをすればいいのか、ということなのよ」


 米さんが義兵衛の思う所を代弁する。

 実の所は義兵衛以外の嫁や、飢饉の折に椿井領内に身を寄せる家に働き手が居る場合のことも含んでいるのだが、とりあえず最初になる予定であり、これから先の前例となるケースだけに気にしていることには間違いない。


「将来の身の振り方ですか。

 私達ほとんど皆が親から言われるままの暮らしをしていて、自分から進んで道を切り開こうとは考えたこともありません。工房で働く前は、家の手伝い、水汲みや洗濯・掃除、子守や畑仕事の手伝いを言われるまましていました。嫁に行くのも、婿を取るのも親が決めることで、夫が決まればその言に従って働くだけです。子を産んで、育てて、……。そう、母のように。

 工房で練炭を作るようになって、家の手伝いはしなくて済むようになり、実の所はとても楽させてもらっています。まあ、御武家様の家の方はちょっと思う所が違うかも知れませんが、ほとんど私と同じ百姓娘ですから、将来のことなぞ考えたこともありません。親から『工房での手伝いを止めて、誰それの所へ嫁げ』と言われれば、残念ですがその通りにするのでしょうね。私はたまたま選ばれて、領地外の村・名内村や木野子村で暫く暮らしたので広く見聞できた方だと思いますが、そこで暮らす娘さん達も同じようなものだと感じました」


 一般論過ぎて、参考にするのも難しい。

 梅さんや米さんの考えや行動が、飛び抜けているのが良く判った。


「それで、義兵衛様の嫁・華さんのことですが、寺子屋での寄り親がいないので、工房の中で働いてもらうのは難しいと思います」


 弥生さんは、寺子屋で面倒を見て来た寄り子を集めて自分の班を構成していることを説明し、他の班でもそうなっていることを語った。


「もちろん、皆が皆そうしている訳ではなく適性に応じて仕事の内容で他の班の面子と交換したりしていますが、こういった入れ替えが拗れる場合は梅さんが強権を発動して行っていました。私もこういった強権を使って全体最適を図る立場にさせられているのですが、文句を言えば済んだ立場から文句を言われる立場に代わって、どんなに難しいことを米さんや梅さんに言っていたのか、恥じ入るばかりです」


「結局は寺子屋で一緒に学んだ仲間でないと、工房内で練炭作りをさせるのは無理、ということなのですよ。

 来年になれば、新しく寺子屋に通う童が来ますので、まずはそれを鍛える中に華さんも入ってもらうのが早いと思いますよ」


 米さんはそう言うが、華さんは新入生と歳が倍ほども違うのだから一緒に、という訳にはとてもいかないだろう。


「少し観点は変るのだが、館の爺様から他領から来た百姓達が領内に住みついた場合の人の扱いについて聞かれていて、解決策がないか考えている所なのだ。工房は生産のための人手が足りてないように見えたので、渡りに船と思っていたのだが、どうも違うようだな」


「はい、物を作る時に班員の意識が揃っていないと不合格品が増えます。この意識を揃えるというのが、結構難事なのです。私も班長の役割を後継の者に早く譲らねばと思っているのですが、米さんや梅さんが出来たことを上手くできなくて困っているのです」


 後進の育成は難しい、というのはいつの時代にもあることのようだ。


「うむ、おおよそのことは聞けたのだが『武家の家の者は思う所が違う』と言っていたな。そちらも直接聞いてみようか。呼んでもらえるか」


「いえ、御武家様の家の方は寮に寝泊りせず、細山村からの通いです。そういった訳で、今日はもう呼び出せません。

 寮暮らしではないので、始業・終業はそれぞれ小半刻(15~30分)程度の遅刻・早退を認めています。明日、寺子屋での講義時刻に抜けて義兵衛様の所に行くよう伝えておきましょう。

 ああ、その班の明日の生産目標値は、春さん、延べ半刻人分減らしておいてくださいな」


 どこからこちらの話に耳を傾けていたのかは判らないが、春さんは大きく了解した旨の返事をした。

 結局、実情が判っただけで、解決につながる糸口は見つかってない状況に変わりなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ