小炭団生産へ体制変更 <C2536>
近道である急勾配の坂を一気に下り、その勢いで坂を駆け上るとその先に旗本・椿井家の館がある。
義兵衛達が館の前まで行くと、そこには門番として助太郎が立っていた。
「おや、明日来るとばかり聞いていたが、何か急なことでもあったのか」
「それよりも、助太郎はここで何をしている」
「ああ、普段館に詰めている方々は皆出払っているので、門番のお役目をすることになった。
少しでも動ける者は、皆駆り出されている。工房で人の段取りをしている方がよかったのだが、一応武家に準じる身分ということで、この館の留守を任されている。それよりも、明日の昼過ぎに買い付けの一番米と一緒に館入りする予定と聞いていた。爺様の予定を狂わすと後が怖いのだが、それを忍てまで現れるとなると、よほど緊急なことが起きているのか」
「いや、実の所それほど緊急ではないのだが、時間が惜しいというのは確かだ。どうせ誰も来ないのだろうから、ここで話しをしておきたい」
義兵衛と助太郎は門の前で、小炭団が求められている切迫した事情への対応を協議した。
「結局の所、類似品による値崩れという目論見が崩れたということか。小炭団の製造はさほど難しくはないのだがな」
助太郎は責めるという口調ではなく、ポツリと感想を述べた。
粉炭を固めるという手間が同じなら、練炭のほうが1個あたりの実入りからして大きい。
つまりは、卸価格で1個4文という値段では積極的に作ろうという機運が起きなかったということだろう。
「事情は理解した。練炭は他領でも作り始めているのが、小炭団をまとまった量で作ることができるのは金程村の工房しかなく、それが無いと萬屋の信頼が失墜し今後の商売、ひいては椿井家の経理に影響が大きいという訳だな。
今6班で練炭を作る体制を敷いているが、春先までは内2班を小炭団に変えよう。詳細な検討は米さんと梅さん、それに春さんで決めてもらって構わない。道具類は、以前作った分で足りるとは思うが、不足するようなら粉炭の品質検査に使っている道具を回しても良い。なんといっても小炭団の生産は品質検査の班が行っていたのだからな。ここを主体として生産を行うとなると、品質検査の周期は多少伸びることになるが、今までの実績からして追加の道具を作るまでの間位であれば、そうばらつくものではないだろう。
お役目を放り出す訳には行かぬ故、同行はできんが、あとは上手くやってくれ」
これで助太郎の了解を得たので、工房の体制に手を付けることができる。
義兵衛は館の敷地に足を踏み入れることなく、金程村へ引き返した。
「助太郎様も随分な物言いをなされますね」
勝次郎様がぽつりと言う。
「むしろ助太郎は以前のままで安堵している。同じ歳で、同じ村から一緒に寺子屋通いをした大事な仲間なのだ。今更武家がどうのというしがらみを気にする立場ではないので、率直に意見を言い合えるというのは気持ちが良いものだ。
そして、椿井領の領民が飢饉の折どうなるかは助太郎の働きにかかっているのだから、結果として踏み違えさえしなければそれでよい」
「踏み違える、とは何でしょう」
細かい所に安兵衛さんが食いついてきた。
「これは自分にも言えることなのだがな。ここは見ての通りかなり貧しい村で、昨年までは年貢を納めるともう村には幾らも米が残っていないような所なのだ。それがいきなり年貢米は納めなくても良くなり、そればかりか500俵入る蔵に目一杯の籾米が置かれるようになった。おまけに、直接手にする訳ではないが、木炭の購入や練炭の販売で思いもしない額の金子が飛び交う真ん中に居ることになってしまったのだ。
全てはここに暮らす百姓が生き延びるために必要なもので、皆それを知って惜しまず協力してくれている。必死の思いで支えてくれている。その結果生み出されたものを、自身の欲を満たすためや安楽のために使ってしまう、というのが『踏み違える』という趣旨だ。
たまたま手にした利益は、自分ひとりで稼いだものではなく、皆の力があるからこそという意識を忘れないようにしなければならないのだ」
「でも、義兵衛様。萬屋に義兵衛様だけが使えるお金を結構お持ちでしょう」
安兵衛さんは痛い所をついてきた。
確かに、萬家で売り出している練炭について想定より高い値を付けて卸しているが、その差額の半分は義兵衛の懐金扱いにしてもらっている。
更に、華さんの持参金も『義兵衛の一存で自由に使って良い』と御婆様から言われている。
「だからこそ、本来の趣旨を忘れないようにと自分を律しています。
萬屋さんの所にあるお金は、もともと御婆様の父上が万一に備えて秘した千両で、それをお借りしているに過ぎません。そして先に見込みはあるものの、実の所今は借財だらけ。必要な時に資金手当てをしないと困る所も出てくることを想定しているので、素早く動かせるように備えているのですよ」
季払いの多い江戸では、借財の具合によっては手当できないこともしばしば起きる。
取り立てできないと支払いができないという場合なのだが、こういった場合に両替商に立て替えを頼むこととなり、手数料や利息などややこしいことが起きるうえ、実質の実入りが減ることになる。
無事新年を迎えることができたとしても、目算が狂うので、一般庶民はともかく商売をしている家は大変なことになっている。
渦中の萬屋はともかく、七輪や焜炉を作ってもらっている深川の辰二郎さんの所は手厚くしておかねばならない。
「例えば、辰二郎さんの所なんか、商売気がないでしょう。ああいった所には思う存分物作りさせてあげたいのです。そのためには、しっかり財布を握って、出さねばならない所には大胆に出すという戦略が欠かせません。そういったことも考えて手元に現金を用意しているつもりです」
そう言えば、辰二郎さんの所には長いこと顔を出していない。
事業をしっかりさせるために、甥の栄吉さんを仕込むと言っていたが(354話)、その後は特段の関わりを持っていなかった。
一度財務状況を確かめに行く必要があるだろう。
場合によっては、萬屋が山の様に積み上げている証文を形に、土を仕入れている石島町・山口屋清六さんとの間を取り持って整理しておくことが良いのかも知れない。
そう考え込んでいる内に、工房へ帰りついた。
「米さん、助太郎との話はついた。練炭作りをしている6班の内、2班を小炭団作りに振り替えてくれ。あと、粉炭の品質管理をしている組とも面子を一部入れ替えして小炭団作りに参加させてもらいたい」
事務棟で米さん・梅さん・春さんを相手に詳細な説明をする。
1つの班は6名構成でこれを一度バラして品質管理4人の内の2人を入れ替える。
梅さんが班分けした案を出して説明してくれた。
「こんな所でしょうか。この班には練炭作りの作業を止めて小炭団を作らせる段取りをしてきます。一度関係する担当者をここへ呼びますので、訓示してください」
しばらくすると、今回業務内容を変更することになる14人が事務棟に入ってきた。
皆緊張して義兵衛の方を見ている。
「急なことで申し訳ないが、今の状況ではどうしようもなく、ここにいる面々の力を借りたい」
義兵衛は今小炭団が必要となっている事情、練炭の生産が他領で進み相対的に必要性が減ってきていることなど説明した。
「今、里には飢饉対策として全部で1500俵もの籾米が蓄えられようとしている。これらの米は皆が練炭作りに励んだ結果得られた成果である。いずれ来るであろう大飢饉では、この米が村の皆を飢えから救うことになる。ただ、1500俵ではまだ足りておらず、これからも努力を重ね1俵でも多くの米を蓄えることに協力してもらいたい」
義兵衛の訓示が終わると、米さん・梅さん・春さんが皆を引き連れて作業棟へ出て行った。
「この場面で訓示は必要だったのでしょうか」
「うむ、ただ命じれば良いというものではないのです。何のために努力しているのか、努力の結果何がどうなるのかを直接知ることが重要とは思いませんか。それを責任者から直接聞くことが、一所懸命に働く動機となるのです」
勝次郎様の問いに義兵衛はさらりと答えた。
勝次郎様は黙ってしまったが、これは多分自分に与えられた使命を自問自答しているのだろう。




