妙覚寺から法泉寺 <C2533>
妙覚寺は、円照寺と同じ臨済宗建長寺派の末寺であり、その縁もあってこの寺を輸送の中継地として選ばれたようだ。
どちらの寺も多摩丘陵から突き出した尾根を下った先に作られており、街道から少し引っ込んだ場所にある。
本堂や講堂は門から少し上った所にあり、多摩川の通常レベルの氾濫では被害が及ばない位置にあることがうかがえる。
注:妙覚寺 現)京王相模原線・読売ランド駅の東側に現存するお寺。北側の山が開発され、昔からの様相が失われつつある。
義兵衛は人足の流れに乗って門を潜り、講堂の入り口まで行った所で、帳面と算盤を手にした兄・孝太郎と顔を合わせた。
「義兵衛もここに来たのか。まあ、その米俵を講堂の端に置け。
親父に捕まって無理難題を吹っ掛けられているのかと心配していたぞ。いきなり『浮橋に使える板はないか』と来るのだから始末に負えない。こちらは、円照寺に米俵が滞留しないように、着き次第妙覚寺へ運び出す準備の最中、最初の俵を担いだ人足と同時に怒鳴り込んできたのだからな。
円照寺担当の喜之助が応対しておったが、ありゃどうにもならん。綿密に組まれている計画をぶち壊しにするのは、いかにも不味かろう。俵を担いで早々に逃げ出してきた」
早速愚痴を聞かされたが、それよりも実情の把握が先である。
この妙覚寺では円照寺と同じく650俵の容量があるが、これが溢れた場合に収容する所がない。
円照寺(3.3km)よりは近いと言え、次の中継地は下菅村・宮下郷・法泉寺までは約半里(2.2km)もある。
ただ、下菅村は椿井家知行地であり応援が頼める所なので、なんとかそこまで押し込めればどうにかなるという思いがあるようだ。
「なぜ府中・川崎街道を使わず、集落をつなぐ道を選んでいるのですか」
「うむ。そこは館の爺が先導して決めたのだが、天候不良の折に通過する集落を利用することが念頭にあったようだ。また、街道筋はよそ者が通ろう。いらぬ風評が伝わることを抑えるため、とも聞いておる。
また、大量の米を運ぶとなると、普通は街道を使うと思うだろう。思わぬ邪魔が入る余地を減らすことも考えたようだ。
ところで、そろそろ昼時であろう。炊き出しで握り飯が準備できている。かかわる人足は自由に取って良いことになっておる故、お前等も一休みしてゆけ」
境内で見ていると、運び込まれる米俵を直ぐさま次の中継地である法泉寺に送り出しているのだが、それでも講堂に溜まる米が増えていることが判る。
今日の内に350俵を法泉寺に送り出すことが最低限必要で、目標は500俵送付となっているようだ。
是政・大丸間の輸送が終わると、その人足が俵を担いで一斉に流れてくるので、その受入れ算段も考えておく必要がある。
「講堂に置ける400俵でどこまで耐えられるかが勝負で、本堂にまで積み上がり始めたら宮下へ応援を頼むしかない」
苦し気に言うものの、流石に百姓だけあって溜まっていく米俵を見て目が輝いている。
「さあ、一服し終わったら法泉寺まで米を担いでいけ」
義兵衛は自分が運んできた俵をグイッと振って肩の上に担ぎ上げると、そのまま妙覚寺の山門を潜り法泉寺へ向かった。
矢野口村を出て三沢川沿いに下って行くと上菅村(小沢城・仙谷)を経由して宮下集落に繋がっている。
宮下集落では、南側にある高台に子之神社があり、そこへ行く参道沿いに法泉寺・福昌寺という天台宗の寺院がある。
次の中継地はこの法泉寺なのだ。
椿井家知行地の下菅村は、宮下・塚戸・馬場という3集落で構成されており、名主の代替わり時期に3集落の代表が集まりどの集落の代表を村の名主とするのかを決めるという複雑な仕組みになっている。
この仕組み自体は是政村でも同じようになっていたので、案外この地域の名主は民主的なルールになっているのかも知れない。
ともかく、下菅村の名主だが今は宮下集落から出ている関係で、名主の菩提寺でもある法泉寺を借りたということの様だ。
「下菅村は知行地でしょう。とりあえずそこが終着地でも良かったのではないですか」
蔵を新設する経緯を知らないであろう勝次郎様が聞いてきた。
「実の所、500俵入る蔵を各村と館の計5ヶ所に作る予定だったのですが、実際に間に合ったのは館と細山村、金程村の3棟だけだったのです。下菅村は、3つの集落のどこに蔵を建てるかで揉めてしまい、結局敷地を3集落それぞれに整備された所止まりとなったのです。これに懲りれば来年はちゃんと蔵が建つでしょう。
そうすれば、買い付けた米の搬入先を下菅村とすれば足りることになります」
3集落の名主決めはともかく、殿から援助頂いて飢饉救済米を蓄える蔵をどの集落に置くかというのはかなり揉めた。
いざ、という時の備蓄食料は手元に置いておきたい、と思うのはいつの時代でも変わらないものらしい。
実際には、米が多く作れる塚戸か、氾濫に縁がない馬場か、間を取って宮下かということだったのだが、先を見据えて3集落それぞれに500俵蓄える蔵を置くことになった。
「ただ、下菅村から館まで重量物を運ぶのは馬場集落を通り山越えしなければならないので、結構難しいでしょう。それで、下菅村から登戸を経由して五反田川に沿って細山村へという道程の結局はなってしまいます。
ここで山越えするなら、大丸村から山越えして金程村や細山村へ行くほうが近いのですから」
こう説明しながら歩いているのだが、米俵を担いだ人足の数が妙覚寺へ向かった時の半分もいない。
それに気づいた安兵衛さんが声をかけてきた。
「人足がこんなに少なくて大丈夫なのでしょうか。たしか、妙覚寺から法泉寺へは500俵送り込むのが目標とか言っておりましたが」
簡単な算術なのだが、安兵衛さんは見えていないようだ。
また、勝次郎様も表情を見るとこのあたりのことが全く理解できていない。
「よろしいですか。人足が各1俵を運ぶとしましょう。
是政の西蔵院から大丸の円照寺までは延べ1850人が往復します。そして円照寺に650俵留め置きます。芦川家の150俵は、予備ということで員数外にしますよ。
そうすると、円照寺から妙覚寺までは延べ1200人が往復します。妙覚寺は400俵留め置きます。収まりきれなかった場合に使う本堂の250俵分は、予備ということで員数外ですね。
今度は妙覚寺から法泉寺ですが、ここは延べ800人の往復です。
こう考えると、最初の1850往復がここでは800往復ですから、ここが他より半分以下の人足で何ら不思議ではありません」
安兵衛さんは腑に落ちたようだ。
「なるほど。員数外にした所も使うとなると、円照寺・妙覚寺間は1050往復、妙覚寺・法泉寺間は400往復で最低限なんとかなるという見込みなのですね。それで、各拠点に積める容量を気にしていたのですか」
あとは、各拠点間の人足の往復時間と人足数をパラメータとして加味すれば、輸送計画が見えてくる。
法泉寺に800俵の受け入れが可能であれば、初日としてはまず成功と考えてよい。
寺への報酬は、今回輸送する対象となっている米俵を各10俵分(3石相当=3両)残すことで決着している。
もっとも、この地域では見たこともないような量の米俵が積み上がっているのを見て余計なことを言い出さなければの話なのだが。
道が三沢川沿いから少し離れると百姓家がぽつぽつと並んでいるのが見えてきた。
宮下集落である。
米俵を担いだ人足は、名主家とおぼしき多少立派な板塀で囲われた家の角を曲がると三沢川を渡り山へ向かっていく。
少し進むと手前右側に山門があり、どうやら法泉寺についたようだ。
人足についていくと本堂前に下菅村の名主さんが待っていた。
「おや、義兵衛様ではございませんか。人足かと思いましたぞ。ああ、米俵はそこにおいてください。直ぐに持っていかせます」
そして、この法泉寺では250俵まで受け入れることを聞き出した。
「おや、妙覚寺からは今日中に500俵送り込むと聞いておりましたが、溢れた分はどうなさるつもりでしょう」
「250俵を超えた分は、ワシの家の蔵に仮置きします。それが一杯の場合は馬場と塚戸で引き受けることになっており、全部で400俵は納まると見積もっております。ちょうど650俵と他の拠点と変わりありますまい。
それに、ここから登戸宿まで半里もありません(約1800m)。登戸の糀屋さんが人を出してくれているので、直ぐにでも運び出しますよ。ほら、新手の人足が待っておるでしょう」
ここまで運んで汗だくになっている人足とは違い、溌剌とした男達と一部には元気のある女達もいる。
「登戸宿では人足賃を一日200文ではなく120文に抑え、その代わりにここから糀屋まで一俵運ぶ毎に20文を渡す決まりとしました。4俵以上運べば他より賃金が良いことになるので、運び込んで来る米俵は奪い合いですよ。
このやり方で足は出ましょうが、他の拠点より貯める量が少ないことを銭で補っているのですよ」
義兵衛が運んできた米俵は早速登戸へ行く人足の背に乗って外へ出ていく。
工夫していることを理解した義兵衛は、次の拠点となっている登戸へ行くこととした。
是政・西蔵院から大丸(南多摩)・円照寺、そして矢野口・妙覚寺、菅(稲田堤)・法泉寺と昔の地図を片手に歩いてみました。この道を多少軽いとは言え、1俵=50kgを超える俵を担いでどの程度の時間で実際に歩けるのか、そんなことを疑問に思いつつ辿ったことも参考にしてこの部分を書いています。




