籾蔵の点検 <C2527>
朝晩の寒さが浸みこむようになったこの季節、小雨が降ったり止んだりする天気では、明るくなっても陽の温もりも感じられない。
六助さんとその手代を連れ一緒に西蔵院へ出向くと、和尚様が出迎えてくれた。
「この西蔵院で経理を預かっている市村源三郎です。寺の敷地にある蔵を6棟も借り上げて頂きありがとうございます。
6棟の内、椿井家様に受け渡す籾米が入っている4棟について、10月2日以降使用するのであれば1棟につき1日1両をお支払い頂けると井筒屋様から聞いておりますが、よろしいでしょうか。お支払い頂けない場合は、蔵の中の残る籾米から相応する分量を使用料として寺が差し押さえることで決着を付けて良いそうですが、そうならない様願っております」
そう説明されたが、1850俵を10月1日中に運び出すつもりで準備しているので、大丈夫だろう。
『そうならない様』など言ってはいるが、寺としては1日1棟で4俵に近い籾米を得られるのだから、口先だけのことのように聞こえる。
源三郎さんの案内で本堂の横を抜けると、厚い屋敷森がと大きく土盛りした場所があり、そこに8棟もの頑丈な蔵が並んで立っているのを目にした安兵衛さんは感嘆の声を上げた。
「これはなんとも立派な蔵がこんなに立っているとは、驚きです」
「いえ、この程度の丈夫さがなければ多摩川が氾濫した時に皆流されてしまいます。寺の重要なものはあらかたここに積んでおります。本堂が流されても蔵さえ残っていれば再興できるのです。
是政山宝珠寺西蔵院は古い寺ですが、ここに移ったのは100年程前の延宝年間です。それから幾度もの水難がありましたが、この蔵のおかげで今もこうして保つことができております。洪水の度により丈夫な蔵を建て増しして今のような状態となりました。今回大量の米の取引があるということで、なんとか6棟を空け貸し出しているのですが、檀家の方には結構な不義理をしているので、幾何かの見返りを考えざるを得ないため、棟の貸し賃を高めに設定させてもらいました。
椿井様にお渡しする分は、昨日までに蔵への収納は終えています。今日は井筒屋さんの分の収納を終える予定でしたが、この雨天ではどうしようもありません。今日の搬入は見送りかも知れませなあ」
納得できる話ではある。
真新しい蔵ではなく、手前側の古い蔵4棟が今回の引き渡し対象の籾米が入っている蔵となっている。
500俵が入っている蔵3棟と、350俵入っている蔵1棟がある。
一番手前の蔵から開けてもらうこととした。
重厚な扉を開き、手燭を掲げて蔵に入ると、左右に所狭しとばかりに米俵がギッシリと積み上げられている。
「これは凄い」
義兵衛が住む金程村の総石高は70石、つまり175俵前後が年間を通しての収穫量であり、名主である伊藤家の蔵にはどんなに多くても100俵積んであれば上等という感じなので、この物量に心から感嘆した。
義兵衛は見たこともないような量の米俵を目にしており、しかもこういった蔵がここには4棟分もあるのだ。
飢饉対策として全部を椿井家の領地へ運び入れると里の人の丸々1年分の食料となる。
「では、確認致しましょう。申し訳ないのですが、勝次郎様はこの蔵の中に500俵あることを数えてください。その時、どの俵もおおよそ同じ大きさであることに留意してください。中が少なそうな俵を見つけたら声を掛けてください。安兵衛さんは私が籾の質を確認するのを手伝ってください」
正気に戻った義兵衛は、ざっと蔵の中を見渡し、用意していた細い竹筒・刺を取り出す。
「500俵全部を見る訳にはいきませんので、50俵に1俵の割合で確認しましょう」
当然の様に、籾米を米蔵へ運び入れる時に井筒屋としても全数調べているに違いないが、念のための確認であるのでサンプルチェックでよさそうだ。
義兵衛は俵に竹筒を刺し幾粒かの籾米を引っ張り出し(刺米)、手の平に広げる。
変に痩せた籾がないか、色合いは普通かを目で鼻で手の感触で確かめる。
特段の違和感・異常を感じなければ数歩歩いて足元の俵へ竹筒を刺し、籾米を取り出す。
この蔵の中にある500俵から10俵の俵を選び籾米の質をみたのだが、問題はないようだ。
勝次郎様からも『きっちり500俵あります。また、変に思える俵もないです』との報告があった。
「どうやら籾米の質に問題はないようです。次の蔵に移りましょう。当然のことでしょうが、井筒屋さんとしても確認はされているのでしょう」
六助さんは頷いた。
「そもそもは年貢米ですから、間違いがあると大変なことになります。それを御役人様から買い付ける恰好になりますが、手前供としても買い付けた中に悪質な米があると信用を無くしますので『蔵に運び込む戸口で逐一見させるよう』と主人・伝兵衛は申しておりました。昨夜聞いた所では、あまり良くないと判断し戻した俵も数俵程あったように聞いております」
名主の所からこの蔵へ搬出する時には名主自身で確認しているはずなのだが、それでも不具合と思える俵があるというのが不思議ではある。
これは追及する必要がありそうだ。
「不具合が出た俵ですが、名主さん達には何か思いあたる節はないか、尋ねてみましたか」
六助さんの連れている手代が答えた。
「不具合のあった俵は3俵。いずれも常久村の吉野定右衛門からのものでした。常久村はハケの上にある村で取れ高270石ですが実際の米はそう多く作ってはいないのです。年貢米分だけという感じでしょうか。もともとハケの下に居た百姓村が洪水で村ごと流されてしまったためにハケの上に移って出来た村でして、用水が充分確保できないことから田より畑作などを主にするようになっております。府中宿を相手にすることも多く、農作以外の馬などを使った人足業が多い所なのです。
今回400俵の籾米搬入を代官所から仰せつかりましたが、仰せつけが遅かったこともあり、収穫した米で年貢として納める108石分のうち幾何かが籾米ではなく玄米となっていました。そのため、他の村から不足する籾米を回してもらったのですが、その中に不具合の3俵がまぎれていたようです。おおかた安く買い叩いた挙句、意趣返しでもされたに違いありません。日数もないためそのまま納めようとしたことから、問題のある米俵をそれと見極めず持って来た、と申し開きしておりました。
椿井様にお渡しする分は、是政村360石と押立村140石の米なのでそれぞれの名主が責任もって間違いのないものを入れております。小田分村28石と押立村の36石は井筒屋分の蔵に入れ終わっております。こういった経緯もあって、常久村の年貢のうち残りの50俵が今日の搬入となっています。常久からの米が届いたら、私はそちらで米の確認になります。
それと、こういった経緯からして、常久村が既に納めた350俵は念入りに調べておりますよ」
井筒屋としても不良の米をつかまされる訳にはいかなかったようで、きちんと調べていたようだ。
正直に話してくれたので判ったのだが、今回の取引は直前でお上からの介入があったため、結構ドタバタした中で起きた問題のようだ。
ただこの分であれば、こちらが搬出する籾米には問題なさそうに思える。
井筒屋分の172石650俵の籾米については、要注意かも知れない。
そこはきっちりこの手代が見極めてくれるだろう。
残りの3棟も同様に調べ、特段の問題もないようだ。
確認した蔵については、以降に人や俵の出入りを厳重に監視するよう源三郎さんにお願いをした。
「さて、蔵の確認は終わりました。これなら明日の早朝に証文との交換が出来そうです。天気さえ持てば、明日中に1850俵全部を運び出す手はずが整っています。
では、押立村の代官所へ挨拶に伺いましょう」
西蔵院は是政村でも西の端にあり、代官所は押立村でも東端(現:府中市立押立文化センター近傍)の方にあるため、1里弱(約3.8km)程度離れている。
六助さんを案内にして、是政村から押立村まで歩く間、義兵衛はどのようにお代官様を説得するか一心不乱に考え続けた。
『一応650俵の籾米について120両で買い付ける話はしたが、これをお代官様が相応の値段で引き取るというのであれば、それに越したことはない。どうやって納得させるのが良いのだろうか』
「義兵衛様、勝次郎様、お待ちしておりました」




