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瓦版版元の當世堂 <C2517>

■安永7年(1778年)9月28日(太陽暦11月16日) 憑依257日目 晴


 朝からとても笑顔を見せる勝次郎様に、義兵衛は多少引き気味になった。


「昨夜、教えて頂いた手順と、店の評価を沢山得る工夫について報告した所、久々に父・いや殿(北町奉行・曲淵甲斐守)に褒められました。元は全部義兵衛様の知恵ではあるのですが、それでも私が理解できた範囲のことを、あたかも教えるが如く伝えるのですよ。それが、かくも気持ち良いものとは思いませんでした。私が述べる新しい方法に、いちいち『もっとも』とばかりに頷いて頂けるのです。時に質問もありますが、それはそもそも私の言葉足らずですので、補い納得できるように報告すると『ほほう』といった顔を見せるのです」


 勝次郎様は嫡男ではないため、今まであまり相手にされていなかったに違いない。

 父親に少しでも認められたことが大層嬉しかったのだろう。

 義兵衛とても次男坊であったため、もう遠い記憶のような感じではあるが、その気持ちが解るような気がする。


「それはよかったですね。昨日書いた下書は概ね良いのですが、一部不足かなと思う所に朱を入れましたので、それを参考にしながら清書してください。集計を行う版元に渡す手順書のほうも出来ておりますので、あとは道具の仕上がりを待つだけでしょう」


「道具を使った手順説明の実施場所についてですが、先日『奉行所で』などと申しましたが、昨夜の報告を聞いてからは『当初のつもりで良い』と殿から聞いております。奉行所から新たに人は出さず、我ら二人がきちんと判っておればよいそうです。『義兵衛様から直接教えるのは版元だけで良い』とのことですので、後は私が引き取ることになるのでしょう。昨日のお手伝いで、相関の理屈はともかく概要と手順書の中身はどうにか理解できておりますので、なんとかできそうです」


 安兵衛さんはいつもながらしっかりしている。

 相関の計算方法を何度か試した結果を見てから、安兵衛さんが算学者にその方法を伝える算段のようだ。

 善四郎さんに説明する資料の清書も終わり一息ついた時に、丁度都合よく善四郎さんの使いの丁稚が屋敷に来た。


「主人から『道具が出来上がったので、瓦版版元の當世堂までお越し頂ければ幸いです』との伝言を預かって参りました。

 なお『當世堂の主人に仕出し膳の番付を作ってもらうことの説明はしておりますが、まだ納得されておらず、このあたりの説得をしてもらいたい』とも言っておりました」


 善四郎さんも義兵衛に丸投げしてくる。

 そういえば、版元にしてみれば料理の番付を自分の所で行う利点について善四郎さんに説明した覚えはない。

 善四郎さんとしては、『自分の関与が薄い場所で番付を作ってもらえる』という話におおいに利を感じて飛びついたに過ぎず、任せる先の當世堂にどのような利益があるのか、まで理解してはいなかったのだろう。

 確かに大変な作業となるので、これを行うだけの利益が版元にあるか、は実際のところやってみるしかない。

 いずれにせよ、ここで見ていては始まらないので、紳一郎様に日本橋の當世堂に終日居るであろうことを伝えて屋敷を出た。


「善四郎さんが當世堂さんにどう持ちかけたのか、心配ですね」


 勝次郎様がこう声を掛けてくる。


「おそらく善四郎さんは見えておらず、相手・當世堂さんにとってどのような利益があるのかきちんと説明しきれなかったのでしょう。私とて納得できるように説明できるのか、いささか自信はありません」


「いえ、義兵衛様が『役に立つ』と言えば、當世堂は無条件に受け入れるでしょう。それだけの利益をもたらしております。興業に版元を引き入れたのは義兵衛様でしょう。その恩義に報いる絶好の機会ではないですか。

 それでも、もし断るというのであれば、他の版元に声をかければよいのです。仕出し膳の興業に参入したい版元も大勢おりましょう」


 新な支店を出すなど、當世堂は他の瓦版と一線を隔す勢いで事業を伸ばしている。

 これも、仕出し膳の興業の内側に居り、他版元が得られない情報をいち早く入手し版木に起こすことができるという立場があってからこそできるわざなのだ。

 ちなみに、他の瓦版はどうしても2~3日遅れるため興業にからむ瓦版の売り上げはサッパリとなっており、中には興業関係の瓦版については手を引くところもあると聞いている。

 そういったところに声をかければ、乗ってくる可能性はある。

 だが、ここで當世堂以外の版元を引き込むという選択は、実質的には考え難い。

 そうすると、番付を付けるのに関しては膨大な手間が見込まれるので、それに見合う収入を提示できるのか、という所が鍵となるに違いない。

 義兵衛は考え込んでしまった。


「當世堂さんも商家です。利益が見込めないとなると、果たして賛同して引き受けてくれるかどうか。慈善事業ではないだけに、説得の糸口を見つけるのはちょっと難しいですね。また、利益が上がっている當世堂さんであればこそ、ちゃんと番付できると見ているのです。他の版元を引き入れるのはどうかな、と思いますがね」


 そんな話をする内に當世堂に着いた。

 先の丁稚が先回りしていたのか、善四郎さんが店の前で待っており、義兵衛達を見るなり店の座敷へ引き入れた。


「今回も大工に急がせましたよ。さあ、この出来を見てください」


 義兵衛が描いた図の通り、大型ではあるが8×8のシートと結構な数の数字札が置かれていた。

 そして、これを仕上げた大工が義兵衛と版元の主人が義兵衛の顔をじっと見ている。

 義兵衛は、数字札を手にとり、樋の中に並べたり滑らしたりしてみたが、実に滑らかに動く。

 樋自体も簡単に移動させることができ、行単位で動かすことに無理がない。


「まさか、これを考案した者のことは聞いてはおりましたがこんなガキ・いや若造・失礼、若い御武家様とは思いませんでした。弁当箱のような物であれば、まあそういったこともあるかと思っておりましたが、今回頼まれたものは一風変わっており複雑でしょう。使い方までは、こちらでは判りませんでしたが、どんな具合ですかね」


「こんなにも早くできるとは思っておりませんでした。これならば充分実用に耐えられます。素晴らしい出来です」


 義兵衛の言葉に驚いた顔の大工を後目しりめに善四郎さんが胸を張った。


「さあ、これで道具は揃いました。それで、どうするのでしょうか」


「いえ、道具を使って見せる前にせねばならぬ話があるでしょう。番付を作るためには膨大な集計作業が必要となります。これを當世堂さんにお願いしたいと考えて進めておりますが、肝心の當世堂さんは全体や引き受ける作業内容が見えておらず、躊躇されているのではないですか。もちろん、この話は他の所へ持ち込んでもなんとかできるのですが、私としては納得して頂けるのであれば當世堂さんに是非お願いしたいと考えております」


 善四郎さんは顔を赤らめ、當世堂・主人はもっともという表情をした。


「義兵衛様の持ち込まれる話であれば、引き受けることに否はありませんが、何分どのようなことになるのか見通せないまま引き受けることは返って無責任になると思っておりました。

 興業の行司として末席を頂いておりますが、実のところ膳の良し悪しはどう判断して良いのかさっぱり分からないのです。恥ずかしながら、膳の内容から料亭の名を推測し、それを手掛かりに優劣の票を投じていたような次第です。このような者でも『膳の良し悪しを判別し番付ができる方法があるので、引き受けてもらいたい』と善四郎さんに畳みかけられてしまい、今に至っております」


 結局の所、ほんの一部の食通人を除き、大多数の人は料理の良し悪しではなく店の評判で判断しているに過ぎない。

 この評判に大きく影響しているのが、ここで発行している料理番付なのだ。

 江戸で有数の料亭・八百膳の当主・善四郎さんの肥えた舌での判断を権威の裏付けとして、今の番付表がある。

 これを、一介の當世堂という瓦版屋が決めるということがどれだけ恐ろしいことなのか、當世堂の主人は知っているに違いない。


「ごもっともです。ここは、今後の動きにかかわる大事な所なので、番付の関係者だけにお話ししたいと考えております」


 義兵衛はこう言い、その場に居る丁稚や大工を遠ざけた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 確かに「ミシュランに載っていれば間違いなかろう」みたいなところはありますけど、それを個人の主観ではなく客観的に判断する公式を作ろうって話かな。 そういえば金沢市に住んでいた頃に近所のラーメン…
[一言] あれ?何かこう…… 頭の明るいラーメンの人がちらついたんですが 「情報を食っているんだ」 食べ物屋を扱うとどうしても避けられない所なんでしょうか
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