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萬屋本宅での昼餉 <C2511>

 珍しく義兵衛が躊躇いながら切り出した。


「御殿様から『御用が終わったら華さんを里へ連れていき、養祖父等へ紹介せよ』とのお話が御座いました。

 御用である興業の終わる20日以降、おそらくは11月に入ってからとなるのではないかと思いますが、

 日程などをこれから詰めることとなります。

 里へは若様の従者として向かうことになりますので、それに同行してもらい私の里、細山村と金程村へ来て頂くこととなります。

 行きは、若様のお戻りとなるため登戸の定宿で一泊します。

 里では、今後関係する方々や実父母への挨拶で2日位、里の様子を見て貰うのに1日位といった感じでしょうか。

 このあたりの兼ね合いは、里に戻ってからでないと判りません。

 ただ、行きは華さんと同行できますが、その後私は里で若様としばらく、

 年末位まででしょうか、

 お役目があって一緒に活動せねばなりませんので、長逗留します。

 流石に、そこまで華さんは里に居る必要もないでしょうし、江戸への戻り道は華さんと御一緒できません。。

 なので、帰路はどなたか案内できる方を付けて頂くことになりましょう」


 とりあえず義兵衛は必要なことを、時間をかけつつ、つまりながらも言い切った。


「早い内に華を義兵衛様の里へ伺い、御挨拶をさせて頂きたいと考えておりました。11月で御座いますね。どうにでもなるように、こちらで準備させて頂きますよ。

 戻りですが、華は長逗留させても問題ありませんよ。里の子供達が通っている寺子屋にも興味はありますし、華と同じ位の娘さんも工房で重鎮として働いて居るのでしょう。春さんでしたかね。工房の経理で頭角を現したと聞いておりますよ。実に興味深く思っております。それに、工房を実質仕切っているのも義兵衛様と似たような年頃の娘さん達でしょう。いずれ華の里となる所に居る方達ですから、今の内に友誼を深めておきたいものです。

 もし、若様とのお役目で華が足手まといとなるようでしたら、登戸の中田に申し付けください。江戸との往復は慣れておりますので、心配は御無用です。

 華、お前もそれで良いな」


 お婆様は見事なまでに言い切った。


「はい、覚悟はとうに出来ております。以前、里の暮らしぶりを聞かされた折には、私にはとても無理な生活かと思い恥ずかしいお応えをしてしまいましたが、今ではそのようには思えなくなりました。御一緒に居らせてください」


 華さんの応答に義兵衛は内心困ったことになったと思った。

 そもそも里ではどこで暮らすのか。

 一応、義兵衛は細江家の養子であり、細山村の館近くに爺様の暮らす家はあるが、客なのか嫁なのか、立場が微妙な所なのだ。

 当初の挨拶・顔見せだけであれば、客扱いで良いのだが、1~2ヶ月近い逗留ともなると、嫁のための見習いであろう。

 しかし、お婆様の思いは華を工房の運用に関わらせることにあるようで、そこに馴染んで欲しいという意向のようでもある。

 実際、工房で働く同じ年頃の娘たちの扱いは武家・百姓でほとんど差はなく、皆真っ黒になって必死で働かされている。

 いや、自分達の労働が里を豊かにし、家の暮らしを楽にし、里の将来を開くと信じて、自主的に働いている。

 ただ、工房主体で考えると、寮母である助太郎の母親、実質現場長である米さんと梅さんの指図配下となるが、とても荒仕事が務まるとは思えない。

 椿井家家臣の娘として奉公するための行儀作法、家老職の嫁としての立ち振る舞いなど、家を支える柱としての役割も今の内から学んでおく必要もありそうだ。

 義兵衛は自分が武士としての振る舞いも充分でないということを棚上げして、そう考え始めた。


「最初の数日は、挨拶回りですが、そこから後は同じ年回りの娘さん同様に工房で働いてもらうことになります。今の暮らしとは全然違うので、かなり苦労されると思いますが、そこは覚悟して臨んでください。

 後は、椿井家の家臣嫁としての心得等を里の御爺様に指導してもらうことになります。こちらは工房程厳しくはないので、多分大丈夫かとは思いますが、それが合うかどうかは実際の所判りません」


 少し大げさに脅すような話をしておく。


「いえ、どのような場所でも、義兵衛様が居られる場所であれば大丈夫で御座います」


 健気にも声を張り上げる華さんを見てお婆様が大きく頷いた。


「そうじゃ、華。よく言った。この萬屋はそもそも我が父・七蔵が大きくした店だが、その前身を作ったのは祖父・彦七じゃ。彦七は多摩川沿い中野島村の百姓の出と聞かされておる。中野島を出てから、5代にして元の暮らしに一度戻り、そこから良き夫を得てから羽ばたくのじゃ。一度屈むことで、より高みを目指すことができよう。萬屋にはまだ息子達もおる。

 華、後のことは心配せずに、飛び込んで行け。わたくしの孫であれば、それ位のことは容易たやすかろう。

 さあ、堅苦しい話は終わりにして、皆で美味しく昼飯ひるげを頂こうではないか」


 お婆様の迫力に押されるように、勝次郎様は箸を動かし、ついで安次郎さんも飯椀を手にとった。

 そして、千次郎さんもと続き、やがて酒も入っていないのに、この身内話で盛り上がり始めた。


「これで、里から戻るといよいよ婚礼となりましょうか。いや、そもそも里に行く前に婚儀というのも良くはありませんかな」


 昼間から酔っている訳でもないのにドキリとするようなことを千次郎さんが口にする。

 これを聞いた周りは一層どよめき、華さんは真っ赤になっている。


「いえ、まずは里に馴染めるかどうかの見極めでしょう。江戸屋敷の長屋暮らしか、他の家臣家同様に里暮らしが良いのか、婚儀の時期も全ては御殿様の意向が先でしょう」


「義兵衛様の婚儀は、普通のように江戸で行うととんでもないことになりますよ。実情を多少でも知る方々は関与したがるでしょう。すると大変なことになります。いっそ、里でこっそりと済ませてしまう、というのもありかと思いますよ」


 義兵衛の常識を踏まえた返しに、さらに調子付いた安兵衛さんが、平気で恐い意見をする。

 確かに、宴に八百膳を始めとする面々が割り込んでくるに違いない。

 武蔵屋の女将が仕切る宴を想像してブルッと震えた。

 そもそも江戸の屋敷で行う宴席に、御殿様が関与するのだが、どういった賓客が座っているのだろうかを想像することすらできそうにない。

 皆口々に江戸屋敷での披露宴がどうなるのかを話し盛り上がってきたところで、本店の丁稚が駆け込んできた。


「義兵衛様、勝次郎様、安兵衛様。奉行所から急使があり、至急戻ってきて欲しいそうです」


 昼餉の席の雰囲気が一気に冷えた。

 義兵衛は『今日も長い一日になりそうだ』と思いながら、手早くお婆様、千次郎さん、華さんに挨拶を済ますと本宅を辞した。

 この所、特に20日の愛宕神社での興業以降は、息をつく暇も無い程目まぐるしく追い立てられている感じなのだ。

 21日、八百膳の寄り合いに参加、帰路井筒屋に寄り、萬屋本宅で一泊

 22日、萬屋本宅から屋敷へ戻った所で、米運搬の不備から里での調整を行うべく、そのまま細山村へ出立

 23日、実家へ挨拶、工房を視察

 24日、細山村から江戸屋敷へ戻り、壬次郎様用人の和田新五郎様を八百膳へ紹介、屋敷に戻った所を奉行所から呼び出し

 特に、昨日の里から江戸へ移動後に浅草・山谷へ行き、その後で屋敷と奉行所間の往復は、流石に距離的にも厳しいものであった。

 義兵衛もそうなのだが、同行している安兵衛さんや勝次郎様も限界を試されているような感じに違いない。

 その上で、善四郎さんに教えた、理屈も仕組みも判らない案件について報告せねばならないのだ。


『せめてゆっくりと昼飯だけでも食べたかった』


 呉服橋に向けて駆けながら、口に出せない言葉に代わって出そうになるため息を押さえつけていたら、勝次郎様はこらえきれなかったようにため息を吐いた。


「はぁ~」


「勝次郎様、ため息を吐くと幸せが逃げる、ということを聞いたことがあります」


 ため息を止めさせるための言葉とか、ため息を吐かねばならぬほどの生活は不幸な生活、などがその真意とも聞く。

 しかし、ここでのあとひと踏ん張りが、飢え死にする誰かを救えるのかどうかの瀬戸際と思えば、頑張るしかない。


「でも、深呼吸して頭をしっかりさせるのは、今こそ必要なことですよね」


 義兵衛は自分も両手を思い切り広げ『スゥ~~』、ゆっくりと下げながら『ハァ~』として見せた。

 その様子を見た安兵衛さんも若干明るい顔に戻るころに、3人は北町奉行所に到着した。


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― 新着の感想 ―
[一言] よろず屋側からみたら、自分たちの十倍にはなるだろう身代にとどくのではないか、という里を率いる男に娘が嫁入りするのだ、と現状を正確に理解してるんだろうね。 この時代なら最も大きな女の出世頭、…
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