あたふたとする曲淵様 <C2506>
飢饉対策を合戦に見立て、領地を守る方策をさらりと言ってのけた御殿様に義兵衛は仰天していた。
「お前の驚いた表情で安心できた。定信様への説明方針も、これで目途がたった。要するに飢饉による飢餓をどこでどう食い止めるか、その算段をする、ということを理解させることが肝心なのであろう。合戦という言葉は、使い方に気をつけねばならぬな。武士の棟梁筋の方にとっては、ちと刺激が強かろう。
さて、今日はお前の供は不要である。まずは北町奉行所であったかの。景漸様もやっかいな宿題を頂き御苦労なことだ。お目にかかれたら、よろしく伝えてくれ」
御殿様はカラカラと笑いながら紳一郎様が執務している部屋を出て行った。
執務している部屋、といっても特別な部屋ではなく、玄関に近い来客の控えのような場所である。
普通は御殿様が直接足を運ぶような場所では無い。
実際石高500石の旗本にしては広すぎる拝領屋敷(約1000坪あり、本来は2000~3000石の旗本向けの広さ)の敷地に建てられているこの椿井家の屋敷は、家臣の住む長屋を含めて部屋が多すぎ、今や人の出入りもさせずに封鎖している建屋すらある。
居住する人数・業務と比べ部屋数が多いため、元貧乏旗本屋敷でありながら間取りにゆとりがある。
ただ、敷地は周囲を他の旗本や大名に囲まれている、いわゆる旗竿地の形状であるため、通りに面した長屋を町人に貸し出すという小遣い稼ぎが完全に封じられている。
そしてよく見ると、屋敷にいる少しばかりの奉公人は、一日中屋敷の掃除で明け暮れているような気もしてきた。
この奉公人達、家臣達が皆江戸で暮らすと費用がかかるため、必要最小限を江戸詰めとし、そこで不足する人手を補うために季節毎に雇っている。
家臣も大方の家族を里で暮らす方針としたため、家臣団を江戸在住とした旗本とは違い、大名家に近い組織になっている。
江戸に連れて来ている数少ない家臣も、多少とも手隙となると屋敷の中に作った畑でせっせと作物を作り、これを皆で食すという百姓並の暮らしぶりなのだ。
家臣等は家族を含め里でも半農という状態で、里では武士というより刀を差した百姓という風体で暮らしている。
明治維新で大方の武士は食い詰めたという逸話は多くあるが、こと椿井家に関しては、殿様一族やその家臣は、単に知行地に戻り百姓になれば間違いなく暮らせるに違いない。
他の旗本とは随分と違い誠に質素な、実に戦国の風を残した家なのだと、今更ながら義兵衛は気付かされた。
「今更驚くようなことではあるまい。殿とお前とでは立場も違えば経験も違う。見えているものが違うのだから当然であろう。それよりも、今は早く奉行所へ向かわれよ」
紳一郎様の言葉に促されて義兵衛達は屋敷から奉行所へ向った。
奉行所に向う義兵衛の頭の中は、知行地である細山村・金程村・下菅村・万福寺村を中心とした武蔵国絵図と、隣接する相模国絵図が広がり、主要街道である東海道、甲州街道と、その間にあって知行地と関係がある大山街道、津久井道、早道などの支線、それらに点在する村をつなぐ府中街道・川崎街道、鎌倉古道などを思い描き、それぞれの拠点となる地域・村名を思い浮かべていた。
それほどまでに『里を守る合戦』という御殿様の言葉が心に響いたのだ。
「義兵衛様、先ほどの主計助(椿井庚太郎)様のお話は、そのまま殿(北町奉行・曲淵景漸様)へ伝えても良いのでしょうか」
勝次郎様がそう問いかけてきた。
2人が居る場所で語ったということは、伝えても良い、ということだろう。
むしろ『田安定信様には大飢饉対策を本邦の大戦と説明するので、他の所への根回しは頼む』ということに違いない。
景漸様は、明日にも意次様へ『一橋様への事前説明案』を報告する必要があり、今日呼び出されている原因でもある。
義兵衛が朝起きた時点では、もし景漸様から相談されたとしても碌な受け答えもできないかな、と思っていたのだが、御殿様からの言葉で手助けできる目処が立ったようなものだ。
いや、こうなることを見越して、わざわざ普段入りもしない紳一郎様が執務している部屋へ来た可能性もある。
この分であれば、明日には壬次郎様へも何らかの含みを持たせた情報を送りつけるに違いない。
「この件は、何をおいても真っ先に伝えるべき話でしょう」
その先に何が起きるか想像できていない勝次郎様はニコニコとした笑顔で頷いた。
多分、発言の裏の事情を汲み取ろうと細かく下問されることは間違いなく、言葉に詰まって義兵衛に助けを求める姿しか思い浮かばない。
「その折は、安兵衛さんも一緒に補足して頂けると助かります」
流石に安兵衛さんはそうなる展開を読んでいたのか、義兵衛の言に苦りきった表情になっている。
そのまま、北町奉行所の呉服橋御門に近い勝手口から奉行所に入り、例の土蔵の2階に案内された。
「結局は『この土蔵の中でする話が一番外に漏れ難い』ということになりまして、椿井家にかかわる報告は奥座敷ではしないという不文律ができてしまいました。最初は殺風景な場所でしたが、勘定方の方を交えて説明された頃から調度類も整えられるようになり、随分と変わりました。一階には、寝具も整えてありますよ。土蔵の扉を閉めてしまえば、呼び出した人物の監禁も容易ですしね。
ああ、時間もないこともあり、殿は直ぐ来ると思いますよ」
安兵衛さんが語り終える間もなく、ドタドタと御奉行様らしからぬ体で景漸様が駆け込んできた。
「さて、早速のことだが、御老中様から頂いた件での相談である」
「父上。まずは今朝ほど椿井庚太郎様が義兵衛に話した内容を私から報告させてください」
勝次郎様が逸る景漸様を押さえ込む。
人目のある場所では立場の違いから多少他人行儀の風を装っているのだが、土蔵の中では距離感が身内に戻っている。
『遠慮のない状態のほうが、知恵が出る』と踏んだのか、景漸様は特に咎めもせず続けるよう促した。
勝次郎様が、今朝ほどのあらましを伝えると、景漸様は質問をせず黙り込んでしまった。
「殿、どうなされましたか」
安兵衛さんが沈黙に耐えられず思わず声を発すると、景漸様は唸り声を上げた。
「うむぅ。合戦とまで言うかぁ。
『飢餓難民から里を守る合戦に備えて、しばらく嫡男と義兵衛を里へやる』とは、大いに興味を引くことであろう。
なるほど、心に響く言い方である。
それで『義兵衛を里へ隔離』という案が出た経緯はどうなっておる。もしや、義兵衛が言い出したことなのか」
「いえ、昨夜奉行所から屋敷に戻る時に『私の困る顔が見たい』との理由で戯言を殿が言い出したのが発端です」
義兵衛は昨夜のこととそれぞれの反応、それから自分が考えたこと、朝に養父・紳一郎様から言われたことと殿への進言内容などをこと細かく伝えた。
「おおよそのことは判った。
それにしても庚太郎殿も何気なく、このように興味深い案を言い出すとは、まるで義兵衛が二人居るようなものではないか。ただ、庚太郎殿は義兵衛と違い、旗本としての立場・知行地があり、動く範囲や影響は大きい。その上で、今後は田安様の引き立てが当てにできる。昨日、御老中が『今時には珍しい異能を持つ者』と評したのだが、これほどまでとは思わんかった。
義兵衛であれば、ワシの所から人を貼り付けることもできるが、旗本であればいかがしたものか。
いや、そこは若年寄の扱いになるか。そのあたりも含め、至急、御老中に相談したほうが良さそうだな。
義兵衛、折角来てもらったが、今日の内、しばらくは放免する。
勝次郎、安兵衛。行き先はいつものようにはっきりさせておけ」
景漸様がドタドタと足音を立てて土蔵を出ていった。
土蔵に残された3人は顔を見合わせた。
「では、これからのんびりと萬屋にでも行きましょうか」
安兵衛さんが、気が抜けたような声で次の行動を促した。




