屋敷でされた厳しい指摘 <C2490>
■安永7年(1778年)9月22日(太陽暦11月10日) 憑依251日目 雨天
昨日の晴天は夜半に曇天に変わり、小雨が降り始めた。
八丁堀・幸町で倉庫を兼ねた萬屋・本宅の奥座敷で目が覚めた義兵衛は回りの様子をうかがった。
「おや、起こしてしまいましたか。今手水から戻ってきた所なのですが、この部屋は温いですね。外は小雨が降っており、随分寒くなってきておりますよ。もうすぐ明け6ツ(午前6時頃)ですが、日が出ないので暗いままでしょうね」
安兵衛さんが義兵衛に話し掛けると、隣で寝ていた勝次郎様が跳ね起きた。
「あぁ、もう朝でしたか。頭の中は昨夜の円様のお話がぐるぐる回っておりました。大変興味深く聞かせて頂きましたが、あれを父上に報告せねばならぬと思うと、もうどうして良いのやら。安兵衛さん、いっそのこと、円様からお話し頂いたほうが良いと思われませんか」
安兵衛さんはゆっくり首を横に振った。
「御奉行様はお忙しいのです。お婆様の御話しの要点を抜かすことなく簡潔にまとめ報告することで、御奉行様の時を節約し、本当に必要なことに時間を注いで頂くことができるようにするのが、我々の仕事の一つでございましょう。お婆様の面白話も御奉行様の憂さ晴らしとして時には良いかも知れませんが、この程度のことで怯むようでは義兵衛様の付き人は務まりませんよ。
話の中身より、お婆様が持つ商人としての感覚について、いかが思われましたか。我ら武家とは大分違いましょうが、御奉行様が知りたいことの一つではないかと思っております。勝次郎様にこの感覚を身に付けて欲しくて、私、いや義兵衛様に同行させているのだと推測しております。私もこの半年で世の中の見方が随分変わりました」
義兵衛は安兵衛さんの身も蓋も無い言い方に、今更の様に思わず口を挟んだ。
「安兵衛さん、最近やたらと御奉行様からの内情をお話になるようですが、宜しいのですか。この場は他の者がいないとは言え、普通の商家です。どこで誰に聞かれているか判りませんよ。
それで、安兵衛さんは以前は無口でおりましたので、何かあったのかと訝っております」
「ああ、以前は私ひとりでしたが、今は勝次郎様も居りましょう。御奉行様は勝次郎様を育てるつもりで私に預けたものと見ており、折に触れ私の考えを教えているのです。
それだけでなく、実の所、勝次郎様と一緒に行動することで私自身の負担も随分と軽くなっているのですよ。特に、殿への報告が楽になりました」
最後の本音が無ければ完璧な返答であるだけにちょっと残念な安兵衛さんだ。
「それはそうと、今日はどのような仕儀になりましょうか」
「昨日、萬屋さんから預かった500石の証文で、実際に籾米を里の蔵に運び込む算段をせねばなりません。10月1日が是政村での引き渡し日なのですが、当日の夜は御城で玄猪行事があり、殿が初めてかかわる大事なお役目であることから、私も待機する必要があると考えます。一方、籾米を納めた是政村の宝珠寺にある蔵について、同日以降は椿井家で借り上げておく必要があり、費用は毎日4両と聞いております。できれば、受け渡し後は1850俵もの籾米を速やかに多摩川対岸にある大丸村の円照寺へ移し、更には大丸村から今回建てた館や村々の蔵に運ばねばなりません。
この対応を速やかにすることで、費用を抑えることが必須なのです。搬出が1日短くできれば4両(40万円)が浮き、たとえ1棟でも蔵を空にして借りるのを止めることが出来れば1両(10万円)が浮くのです。このためには里の大人を動員しなければなりません。大丸村まで来れば細山村の館まで山越えをしていくことになります。これもかなり辛い運搬となりましょう。
そういったことの段取りをしておいて、現場で指揮できる人に伝えておかねばならないのです。まずは、紳一郎様に報告と相談でしょう」
八丁掘の萬屋・本宅でのんびり・まったりしている余裕は無いことに気付いた義兵衛は、事情をお婆様と華さんに説明した後、早々に朝餉を戴いてから本宅を出た。
ここで、安兵衛さんだけ北町奉行所へ報告に戻り、同行するのは勝次郎様だけとなる。
要領よく報告するには、勝次郎様ではまだ力不足と考えたに違いない。
勿論、報告が終われば速やかに椿井家か義兵衛の行き先に急行することを勝次郎様に説明しており、椿井家門番の所で所在を知ることができるように念押ししていた。
義兵衛は椿井家江戸屋敷に駆け込むと、紳一郎様に早速状況を報告した。
「『玄猪の日についてその方の待機は不要』と殿からの指図が既に出ておるが、そう言えばそちには話しておらんかったのう。あと、里では館の爺・泰兵衛殿が籾米搬入の指揮を執るという話になっておる。なので、里の者達をどのように動かせば良いのかの擦り合わせは必要であろう。
府中近郷の村にある米蔵から500石分の籾米を運ぶのであろう。今の所考えておる存念を説明してもらおう」
義兵衛は、多摩川北岸の是政村・宝珠寺(西蔵院)から大丸村・円照寺の蔵まで送り込み、そこから山越えして直接館まで運ぶつもりであること、大丸村で人足を募っても良いつもりであることなどを話した。
「それでは量が捌けぬであろう。大丸村から登戸村を経由してはどうじゃ。馬を使って練炭を金程村から登戸村まで運んでおろう。帰りは空荷であるゆえ、これに籾米を載せればよかろう。大丸村と館の間は2里(8km)であるが、かなり急な山越えをせねばならぬ。それに比べ大丸村と登戸村間は同じ2里だが、おおむね平坦であろう。遠回りにはなるが、既存の運搬道を活用したほうが都合が良いのではないか」
萬屋の登戸支店の蔵がある程度使えるだけでなく、かつて同じ村の中の糀屋さんの蔵も借りることが出来る様に話を付けていたことを思い出した。
更に、料理屋である加登屋さんやその伝を使うこともできそうだ。
「ありがとうございます。籾米の搬送で登戸村を使う方法、頭から抜けておりました。私の考えていた方法より確かと思います。こうなってくると、是政の渡しから対岸に渡すのではなく、直接登戸の渡しへ舟を出すのも良いかも知れません。はじめから考えておれば、籾米集約の村を登戸寄りで多摩川沿いの場所が交渉できたかも知れません。私の思慮が至らぬばかりで申し訳ありません。船については手配できるか調べます」
「いや、その船の準備は、今から始めては間に合わぬであろうし、足元を見られる可能性も高い。
それとな、実は里で立てた蔵の収蔵量の見積もりが間違えておると爺から連絡が入っておる。
今年の作柄を気にしておったが、平年並みの500石分の収穫であった。特に、金程村では『塩水選』と言っておったか、春先に何やら工夫しておってか、良い実りであったそうな。『その工夫は里に広めるように』と殿より沙汰があったぞ。
それで『当座館で必要な80石分、つまり200俵(12t)の玄米を各村で年貢として納める以外の分は、籾米でそれぞれの村で蓄えよ』と館から指図した所、籾米60石分、玄米だと150俵なのだが、籾米にしておおよそ220俵が想定より多く蔵に積みあがってしまっている。こちらで買い入れる米が500石分の1250俵と看做して、想定より多かった分が蔵にからはみ出すことになる。その上、買い入れは1850俵となると、820俵もの籾米が今の里にある蔵に納めることができぬ。名主家や館の空き部屋に積み上げたとしても、おおよそ500俵程度の籾米が納まらぬ気配なのだ。
そこで、殿は『米を運ぶ途中に使う蔵がいくつもあろう。それを5年程借りて蓄えておけばどうか』と言っておられた。
抜かっていたそのあたりも、直ぐにでも調整してくるが良い。まずは是政村、そこから対岸に渡り大丸村、下って登戸村、そして館へ向うが良い」
義兵衛の想定が随分と甘かったことを厳しく指摘された。




