試演して判ったこと <C2474>
9月20日に開催される江戸西地区の料理比べ興業の余興として、愛宕神社参道を舞台とした水運び競技を行うこととなり、愛宕神社・円福寺・料亭百川・料亭八百膳のそれぞれから人を出して試演を行っている。
最初の4人が石段を駆け上り、そして降りてきた。
何の問題もなく柄杓を次の走者に渡し、2人目が池の水を汲んで石段に挑み始める頃、何か行事が行われている風を察したのか、近隣の住民が集まり始めた。
愛宕神社・円福寺の周囲は武家屋敷が並ぶ所なのだが、地続きに増上寺があり、そこへ参拝する衆の内目ざとい者が寄ってくる。
また、この愛宕神社の近辺はちょっとした高台になっており、後に日本初のラジオ電波の発信所が設けられるほど見晴らしがよい場所、つまり色々な場所からもよく見える所なのだ。
そこを使って、太鼓を鳴らす競技が始まり、そして歓声が聞こえると目を引く。
武家屋敷を抜けたあたりにある宇田川町・日陰町あたりの町人が騒ぎ始めると、東海道沿いの町ということもあり、道行く人が足を留め、何事かと人が寄ってくる。
庶民は娯楽に飢えており、珍しいことがあるとそれを知り、どこぞで自慢げに話すのが常となっている。
こうして何の宣伝もしていないにもかかわらず、どんどん人が集まり始めた。
今までの幸龍寺、秋葉神社・満願寺では見られなかった事態に義兵衛は焦りを覚えた。
その時、八百膳の第二走者が10段目辺りで足を滑らし柄杓を落としたのだ。
水が石段にぶち撒けられ、空となった柄杓が石段下までころがり落ちる。
「亀。大丈夫か」
善四郎さんが石段下から大声で叫ぶ。
丁稚の亀吉さんは石段を掴んでころがり落ちることは避けられたようだ。
よりにもよって『亀』とういう名前を持つ者を、速さを競う競技者に選ぶというのはいかがなものだろうか。
この組み合わせの妙に周囲の観客はドッと沸いた。
競技が正常に行われる場合の準備はできていたのだが、こういった異常が起きた場合のことは想定されていなかったようで、石段に座り込んだ亀吉さんは、このあとどうすれば良いかの判断に迷ってキョロキョロ見渡している。
「亀、ケガがなければ下まで降りて柄杓に再度水を汲んで来い。走るのに支障があるなら、鶴吉に柄杓を渡して走者を代われ。
ともかく、石段を降りろ。場合によっては柄杓をこちらに投げて寄越せ」
善四郎さんが大声で指図する。
柄杓が店の代表で、競技者はそれを運んでいるに過ぎない。
神社境内の盥の水が評価される価値で、下から上に柄杓が水を運んでいる主体なのだ。
咄嗟に善四郎さんはそう考えたに違いなく、それゆえ『柄杓を投げて寄越せ』との指示が出たのだろう。
だれも不思議に思っていないが、もし転んだのが八百膳の亀吉さんでなければ善四郎さんからは別な指示が飛んでいた可能性もあるのだ。
亀吉さんは石段を這うようにして降り、そして柄杓を鶴吉さんに柄杓を投げると力尽きたようにその場に寝転がった。
よく見ると、右足を石段に強くぶつけたのか大きな青痣ができているようだ。
鶴吉さんは、自分の居る場所に飛んできた柄杓をはしっと受け取ると、池から水を汲み石段登りにとりかかった。
その間に善四郎さんは亀吉さんに駆け寄り、様子を確認している。
そして選手交代できる柄杓を置いてあった場所が、控え所になっており、そこへ善四郎さんが亀吉さんをひきずってきた。
亀吉さんの足は折れてはいないようだが、もうこの男坂を、柄杓を持って昇降するのは無理のようで、青い顔をして何か善四郎さんに説明している。
「善四郎さん、亀吉さんの様子はいかがですか。
ところで、今回指示された柄杓を投げて寄越すというのは無理があります。これが許されるなら、石段の上から先に柄杓を投げて走者が後から降りてくるということを咎める訳には行きません。
やはり走者が柄杓を途中で手放したら、その時点でその組は失格という規則を入れるべきです」
義兵衛の言葉に、愛宕神社の神主さんが大きく頷いた。
「善四郎様。興業の事務方・勧進元の元締めとして、想定されていない事態が起きたのですから、声がけされたのは仕方ございません。しかし、義兵衛様が気付かれたように、柄杓を投げて渡すというのは問題がありますでしょう。
事態を試演という立場から冷静に見ておられた義兵衛様には驚くばかりでございますが、競技途中で選手が怪我をしたからと言って興業を止める訳にも参りません。『決められた場所で柄杓を次の走者に手渡す』が事前の取り決めでございましたから、『手渡しできないことを認めた時点でその組は失格とする』は妥当な判断に思われます。
とはいえ、今回は試演でございますから、決まっていなかったことでもあり、鶴吉さんへ柄杓が渡ったこととして進めましょう。問題を見つけることが、試演の目的でございましょう」
皆それぞれの組を熱心に応援してだんだん熱くなってきている。
この試演のことを知らずに集まっている群衆まで、いつしかまとまって勝手に声援を始めているのだ。
そういった環境の中で神主さんが冷静でいられるのも、愛宕神社の組が先頭を独走しているからと思われる。
愛宕神社の者達は、朝夕だけでなく何事につけこの石段を毎日昇降しており、手馴れているに違いない。
神社の組を先頭とし、わずかに遅れて料亭百川の組が続く状況で4回目の登攀が終わると、山の上の神社境内から太鼓の音が響き決着がついたことを知らせてきた。
結果は、わずかの差で愛宕神社の組が盥を水で一杯にした、として勝者となった。
競技時間としては半刻(約1時間)もかかっておらず、円福寺で行われる料理比べ興業の間に行われる余興としては充分と思われた。
競技前後の設定・撤収時間を含めても1刻半もあれば充分だろう。
実際に試演で決着がついて、撤収後に円福寺に関係者が集まり協議が始まったのも昼七ツ前(午後3時前)だった。
ここで話し合われたのは、やはり亀吉さんの負傷にかかわる競技の細則と、盥が一杯という判定にかかわるものだった。
百川の走者は、神社組に数歩遅れているとみると、盥のかなり手前から柄杓の水を盥に向ってぶっかけたそうだ。
流石に料亭の丁稚だけあって、水の扱いは手馴れており、あらかたの水は盥に届いたそうだ。
そうなると、柄杓を傾けて盥に水を注いでいた神主組にわずかに先んじて、盥に水を満たしたと看做すこともできる。
そういった所作を認めるかが難しいのだ。
これは盥への水を注ぐにあたり、その前段に漏斗を設け、ここから盥に導かれた清水で盥が溢れたときを一杯と判定することとなった。
漏斗への注ぎ方は、離れたところからのぶっかけも認めることで決着した。
「それで皆様、かなり大勢となるであろう観客はどうなされますか。今回、突然の試演でも大勢の者が足を向け、男坂を中心に群がりました。予告して人が集まるとなると、見物人はおそらく1万人位に跳ね上がると思いますし、人が流れるようにする工夫が重要となりましょう。最初から最後まで見届ける人と、たまたま通りかかって何が起きているのかを知りたいだけの人など、上手く誘導することを考えておかねばなりません」
義兵衛の発言に、百川の茂左衛門さんは言い放った。
「円福寺のお堂内の興業は、この茂左衛門が仕切らせて頂きますが、お堂の外で行われる余興は円福寺と愛宕神社で責任を持って事故が起きないように仕切って頂きたい。料亭の応援団がからむこと故、全く関係ないとまでは言いませんが、少なくとも仕出し膳の座としては、いえ、今回の興業の勧進元としては、あの群集を見て出張るまでの根性はありません。男坂は愛宕神社の参道です。独自の興業となされても充分やっていけるでしょう」
とても『興業の目玉がない』と言っていた者とは思えない発言なのだが、集まった群衆を見て怯えたのは良く判る。
おそらく義兵衛の『一万人を越える』発言に驚き、想像して怯えている様子が見てとれるのだ。
ただ、瓦版版元だけが鼻息を荒くしている。
「押し寄せてくる方々の整理については、隣接する青松寺様の協力を仰ぎましょう。それでも目処が立たないようであれば、思い切って増上寺様のお力を借りるしかありません。後は愛宕神社の権禰宜様、お任せいたします。ともかく時間がありません」
愛宕神社の神主さんは、思い切り青い顔になって頷いた。
「そうです。今、この嵐のような状況を乗り切れば、一万人を越える参拝客です。一人4文の賽銭だとしても、たった1日で10両(100万円)を集めることができるのです」
義兵衛の言葉に意を強くしたのか、神主さんは応えた。
「義兵衛様、萬屋さんから卓上焜炉の件で知恵をつけて頂いた方と以前よりお聞きしておりましたが、とても若いお方なので見誤りをしていた様です。今の見通しを聞いて、すっかり事情が判りました。おっしゃる通りに致しましょう。
円福寺の座主様、よろしゅうございますな。これから青松寺、増上寺様に一緒にお願いをしに参りましょう」
これで試演の場は解散となり、それぞれが課題をかかえて戻っていったのだった。
読者の皆様、ごめんなさい。月曜日0時(日曜深夜)の定期投稿は続けたいと努力はしておりましたが、やはり暗礁に乗り上げてしまったようで、次話475話を2021年4月25日に投稿、はできそうにありません。少しでも話しを前に進めたいのですが、思うように執筆できず止ってしまいました。ちょっと休むことになるかも知れませんが、ご容赦ください。




