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興業の目玉に何か <C2471>

 いつの間にか、義兵衛達が案内された奥の座敷に、料理比べ興業の関係者がわらわらと集まってきた。

 中には今回の興業の勧進元を務める料亭・百川の主人・茂左衛門や、愛宕神社から派遣されたであろう権禰宜さんも居る。

 ただ、武家側の連絡口となっている方々は、この八百膳での意見擦り合わせは不要として不在だった。

 一番暇に違いない武家衆が居らず、寸暇を惜しんで働く商家・料亭の面々が揃っているのが奇妙な所ではある。

 所詮、仕出し膳の料亭が開く興業であり、武家側にとってはその遊びに付き合っている、程度の感覚なのであろう。


「そのように大層なことではありません。ただ、20日の興業の準備状況をちょっと聞いておきたく寄らせてもらっただけなのです。聞いた話から必要な所を殿に伝えるだけの役目なのですよ」


 善四郎さんは『またまた冗談を』と言わんばかりの表情で迫ってきた。


「今回の勧進元は、日本橋・浮橋小路の料亭・百川となっております。

 ただ、9月の興行は前もって百川の主人・茂左衛門が勧進元となること前回伝えており、また前回の幸龍寺での興業も手伝ってもらっていたこともあり、今の所問題なく進んでおります。さあ、茂左衛門さん。曲淵勝次郎様と義兵衛様に御挨拶と御報告をお願いしますよ」


 善四郎さんは、格を意識してか勝次郎さんへの挨拶・報告を装うように織り込んだが、確かにこの状況であれば、安兵衛さんと一緒だけだった時より目立たない。

 その分ゆとりができた義兵衛は、奥座敷に後から入ってきた百川主人の観察を始めた。

 料亭百川の主人・茂左衛門さんは結構若く、まだ20代前半という風情だ。


「初にお声がけさせて頂きます。手前が百川を経営しております二代目茂左衛門でございます。

 父・初代茂左衛門が卓袱しっぽく料理を出す茶屋を開きましたが、私が引き継いでから江戸前料理を出すようになり、御陰様で繁盛するようになりました。この度は料理比べ興業の地区勧進元になれとの御指名を頂き誠に光栄に存じます」


 お礼の挨拶と百川の経緯を簡単に述べた後、興業の状況報告を続けた。

 それによると、商家側の行司席で任意にできる2席と目付を1枠増やした分の計3席を、1席毎に日を変えて入札制で出したことで、結果としてこの席料だけで計800両(8000万円)の収入になりあらかたの費用は足りてしまったこと、円福寺は興業を一般に直接見せるには客殿が狭いため境内に応援団を入れるだけとしたこと、などである。

 円福寺、愛宕神社とも興業のための社屋使用料は合わせて20両(200万円)と、満願寺や幸龍寺の半額以下となっていることには驚かされる。

 肝心の武家側行司について、やはり一ツ橋家の当主である治済はるさだ様が行司となっていること、この説得をした老中・田沼様が町奉行枠を譲られて行司となっていることも知らされた。

 寺社奉行の行司枠はそのままとなり、目付枠を増やして町奉行を充てることで了解を得られている。

 ただ、武家側の行司がこうなってしまうと、江戸全体本戦での行司に誰をお願いするのか、考えるのも恐れ多い事態になってしまった感がある。


「それで、興業自体は成り立つのですが、実の所目玉がありません。満願寺では『幕の内弁当』、その次の幸龍寺では『応援団』と目玉があったではないですか。この興業では、今までにない何かを打ち出さねばならない、と思っておりますが、どうにも知恵が出てこなくて、皆困り果てておるのです。

 準備できるとすれば6日。義兵衛様に是非知恵をお借りしたく、お願い申し上げます」


 段々と『どうしようもなくなっている』という本音が出て来て、泣きそうな顔で畳に額を擦り付けている。

 見ると、善四郎さんも、他の面々も同じようにしていることに気付いた。

 どうやら品川方面を主体とする地区興業にも、なにか冠が欲しいようだ。

 目玉、目玉と一心に考え始めるが、なかなか出てこない。


「愛宕神社と言えば、男坂ですよね。料理にからんでこれを上手く使う方法があると面白いように思うのですが……」


 義兵衛は『坂を登る』イメージから、箱根駅伝の山の神様の姿を思い浮かべ、そして考えながら話し始めた。


「そうか、料理にとって命とも言える水を運ぶ、というのはどうでしょう。

 御城で使われる神田上水の水源地である井の頭池(現:三鷹市井の頭公園)から水を汲んできて愛宕神社に奉納するという競技を行うのです。それぞれの料亭の応援団に趣旨を説明し、その中で足自慢の者達が規定の桶を持って円福寺を出発し、井の頭池まで行って水を汲み、水を満たした桶を持って帰るのです。

 確か4里(16km)程度の道程でしょうから、一人で歩いて往復すると1日仕事です。しかし、四谷大木戸、永福、井の頭池など要所で走る人を入れ替え、桶を渡していくことで2刻(4時間)程度で戻れる、と思います。この競技の結果をどう扱うか、どう褒章を与えるかは考えて頂くとして、料理比べと並行して実施するのは人を集めるのに良いと思うのですが、どうでしょう。

 競技の最後に、水が一杯に入った桶を持った男共が最後の力を振り絞って男坂を登っていく、という姿は絵になりませんか」


 何のことはなく、後世の国民的人気競技である駅伝なのだ。

 イメージとしては、箱根駅伝で、タスキを繋ぐのではなく水桶を、それも復路は水が入った重たい桶を運ぶという点が異なる。

 ランナーは、全部で6人だが、往路・復路で選手を重複させるということも考え得る。

 義兵衛は図を描き、説明をした。


「これは、どうも料理比べ興業とは違う興業のようですね。どう考えたら良いのか、少し困ります。

 しかし、これは初物好きの江戸っ子に受けること間違いありません。

 ただ、最後の見せ場が『愛宕神社の男坂』というのは判りますが、この坂で競い合う状況になれば盛り上がること間違いなしです。ただ、井の頭池への往復で大差がついてしまうに違いありませんし、この境内・参道で見る人も待っている間の経過が判らないようであれば盛り上がりようがありません」


 愛宕神社の権禰宜さんが場の空気を読まずに発言してきた。

 今までの寄り合いでは、義兵衛が発言するとそれが決めとなって誰も反論をせずに具体化する、という風潮だったのを憂慮していただけに、義兵衛はこの発言を歓迎した。


「これは、とても有り難い意見を頂戴しました。

 まだ工夫が足りない、という指摘をされるというのは、おそらく具体的な様子を頭の中で作って確認されたのでしょうね。

 言葉で示されたことから具体的な状況を想像する、というのは大変難しいことなので、それが出来てさらに不備とするところまで見え、さらにこれを言葉にして伝えるというのは稀有な能力です。

 神主様には、男坂で競い合う姿がはっきりと見えたのでしょう。そして、実際そうならない可能性が高いことまで見てとったのでしょう」


「はい、その通りです。折角に面白そうな案をお示し頂いたのですが、井の頭池があまりにも遠すぎるのです」


 愛宕神社の権禰宜さんの意見にかぶせるように勝次郎さんが付け加えた。


「興業のために公道を占有する、となれば、奉行など御公儀への事前申請は必須です。しかも、先例がない催しであれば、この数日で許可が出るとは思えません」


 それは判るのだが、勝次郎さんの意見は、あまりにもお役所的な発想で有りがたくない。

 箱根駅伝では、一般車両を制限して白バイが先導しているし、更に一般向けに中継車が実況を伝えてくるので面白いのだ。

 大手町で何の情報もなく到着を待っているだけだと、一部の関係者を除き、退屈に違いない。

 ここに至って義兵衛は腕を組んで考え始めた。

 駅伝が難しければ、それに代わるものが何かないのだろうか。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れ様です。 [一言] 放送席や中継所なんてありませんしね。 応援合戦なんてどうですかね?
[一言] タシカニ希有な能力ですな。 それじゃ男坂で競い合わせれば良い、ということで、 重いもの(水)、かさばる故に運びにくい物(お膳とか?)を、坂の下から上まで運ばせればどうだろうか? 一度にどれだ…
[良い点] 駅伝案は要検討になってしまったみたいですが、おもしろそうですよね! 別の企画となるかもしれませんが、見てみたいものです。 今回は応援団くらいしか入れない広さのようですが、利き酒ならぬ利き卵…
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