金井右膳忠明様の働き <C2440>
■安永7年(1778年)8月12日(太陽暦10月2日) 憑依212日目 晴天
稲刈りの時期を目前に控え、木野子村の百姓は忙しく準備を始めている。
春先に雪が降り、不作が想像された今年の稲の出来だが、夏場に暑い日が続いたことでなんとか勢いを取り戻していた。
閏7月21日から8月9日までに降り続いた秋の長雨による影響は小さく、あと1日か2日晴天が続くとこの村では丁度稲刈りをするのに良い状態になるようだ。
昨日のように助太郎と弥生さんと一緒に工房入りをし、御武家衆・奉公人達が来るのを待った。
やがて、吉見治右衛門様と金井右膳忠明様を先頭に、御武家衆22人と奉公人30人といういつになく大勢の一行が工房へ到着した。
助太郎と弥生さんは門前で一行に挨拶をし、全員が工房内に入ると控え室に入る。
義兵衛は早速に助太郎と弥生さんを右膳忠明様に紹介した。
「吉見、この工房の管理はどうなっておる。門前で出迎えてくれたのは奉公人ではなく、技術を教えに来てくれた方々ではないか。
番人も置かず、夜間に火事でもおきたらどうするつもりなのか。工房が出来てから20日ほど経つが、まさか放置していた訳ではあるまいな」
治右衛門様は顔からびっしょりと汗を噴出している。
「はっ、最初は空き家然としておりましたので、そのままでしたが、15日程前から助太郎様達が見えられ、自然とお任せする形となっておりました」
「助太郎様、工房はどのように扱われておりましたか」
「はっ、私どもは工房のある木野子村の名主様から家を借り、そこで寝泊りしております。工房自体は吉見様の持ち物でございますので、教えるのに関わるものだけを管理する対象として見ております。
練炭作りを教える立場ですので、皆様が帰られた後に翌日の作業のための準備として、道具類の整理・整頓、不要となった木炭の片付け、火気点検の後、宿舎としている家へ戻っておりました。朝は、始業前点検と昨日の作業の振り返りなどを行い、当日に説明する重要点の確認をしております。
だいたいこの確認を済ませる頃に皆様が工房に到着されます」
助太郎の返答に右膳忠明様は大きく頷いた。
「これだけの心配りをされていることに気づいてもおらず『自然とお任せ』か。そもそも毎日1里の道を通っておる無駄に、気づきもせんのか。義兵衛様、このことは」
「はっ、基本的には技術指導で来ておりますので、人の扱いまでは当方から口出しできるようなことでは御座いません。佐倉藩には藩なりのお考えがありましょうから、担当となられた方に御理解頂けるようにお教えする、練炭作りの技術や工房管理に必要な方法をお教えするところまで、でございます。明け四つ前(10時頃)にこられて、暮れ七つ(16時頃)に戻られますが、これが作法なら私達は従うしか御座いません」
「吉見、これで殿からの感状か、御家老からの褒賞か。よくぞ受け取ったものよ。恥じを知れ。
奉公人は、直ぐにでも練炭作りに行け。あとの武家衆23人はここに残れ。ワシからチイと話をしよう」
それから約2時間、右膳忠明様は怒鳴り続けた。
吉見様を含めた武家衆23名の横で、義兵衛は怒鳴っている内容の要点を書き留めていった。
「金井様、そろそろ一息入れて頂かないと、午後にはまだご予定がありましょう」
煎じ詰めれば同じような内容が、語る口調や表現を変え、すでに3度も繰り返されていた。
丁度良さそうな切れ目を見つけ、義兵衛は声を掛けた。
ここで割り込まないと、この御武家衆が実際に粉炭にまみれ練炭を作らせるという午後のイベントに間に合わない。
「そうさの、これだけ言って理解できぬようでは、あと何度繰り返しても同じようなものじゃ。
皆の者、午後は工房で実際に木炭粉にまみれて練炭とやらを作ってみせよ。その気がない者は、作っておる所を見とるだけで良い。
まずは、腹ごしらえじゃ」
この声で控室の管理を任されている栄さんと一緒に2人の奉公人が白湯を入れた湯飲みを持って現れ、皆に配って歩いた。
右膳忠明様と治右衛門様は奥の座敷に入って手弁当を広げているが、後の22人は武家の控え室でいくつかの集まりに分かれ、手弁当を広げくつろいでいるように見える。
従来の10人組みが3つのグループ、今回新参の12人組みが4つのグループに分かれているが、実際には中での相談やグループ間での駆け引きなど行われているようで、動きを観察しているだけで面白い。
短い昼休みが終わると、右膳忠明様は工房内の作業所に武家衆23人の武家衆を集め、声をかけた。
「ワシに練炭作りを一通り教えてくれる者は誰かおらぬか」
息子の新十郎様が居る3人グループのリーダと思しき人物が真っ先に名乗りを上げた。
『隠れて見る』というのは『どこか知らない場所から観察する』という意味に捉えていたのだが、どうやら違ったらしい。
『様子を窺っていることを判らないように観察する』ということが極意、と後から聞かされて悟った。
一刻(2時間)かけて、全員に均等にあたるように声を掛け、不合格練炭を2個作り上げてから真っ黒になった右膳忠明様は治右衛門様だけを連れ、工房から控え室に戻った。
後の22名は工房でそのまま練炭作りをさせている。
「おおよその所は判った。向き、不向きはあるようじゃ。練炭作りが苦手な者もおるが、能力や意欲があれば運用管理位はできよう。
意欲が別なところに向いて居る者には、残念ながら退いてもらうしか無かろう。武家衆は22人も不要じゃ。新十郎が言っておったように奉公人の作業の邪魔でしかない。
吉見、早速にも絞込みをしよう程に、この後は屋敷へ参れ。それから、今宵の工房居残りは新十郎にさせよう。義兵衛殿、後片付けのやり方を仕込んでいってもらいたい。それから、栄。助太郎殿をこちらに呼んで参れ」
右膳忠明様主導で話がどんどん進む。
「金井様、お呼びでござましょうか」
「うむ、奉公人の育成状況について確認したい。先ほどワシの練炭作りで工房の作業を乱して申し訳なかったが、そちが適切に指図することで混乱を上手く回避しておることを直接感じることができた。工房で働く奉公人について、欠かせぬ者、居たほうが良い者、居らぬ方が良い者、評価していない者に分け、各々が出来る工房での作業範囲について知りたい。
最初からこちらに来ている10人の武家衆のそれぞれの奉公人が30名であろう。10人のうち誰かを外した時に、連れている奉公人も辞めるということがあり得る。できれば、有益な奉公人を連れておる者を、直ちに辞めさせる訳にはいかぬのでな」
助太郎は、勤務評定の要点だけを書き写し、右膳忠明様に渡した。
「そのような物も記録として残しておるのか。実質的に工房を管理しておるのが良く判る。
さて、面倒をかけるが、武家衆を整理すると奉公人も入れ替わることになる。折角そちが育てた者だが、再び最初から仕込み直してもらうことも起きよう。だが、長い目で見て効果の得られる方を採用するのが理にかなっておる。貴殿等から手離れすることが肝心であろう故、藩としても早急に技術を習得して立ち上げて行く所存じゃ」
その後、武家衆と奉公人を集め、右膳忠明様は宣言した。
「今日一日見させてもらったが、この事業展開に向かぬ者も居る。明日、この業務を継続して行う者、退いてもらう者を指名する。新規に参加してもらう者も居る。なお、向かぬ者については、別途違う業務に携わることを勘定奉行として指示しよう。
本日はこれで終わるが、新十郎は今夜工房の宿直をせよ。明日は吉見が宿直じゃ。以降の宿直順は、明日通知する。以上」
木野子村工房でのリストラ宣言でこの日は終了した。
勘定奉行様の素早い決断に恐れ入った義兵衛達だった。
次回は、2020年10月5日0時投稿予定です。




