佐倉へ行く準備 <C2436>
義兵衛は、昼食で使った弁当箱7個を軽く洗い、畳んで重ね、使わなかった水筒も中を空にして一緒に風呂敷に包んだ。
まずは、お礼も兼ねて八百膳へ向かうと、早速に店の奥座敷に通され、善四郎さんと向き合った。
「無理を言いましたが『豪華幕の内弁当』について御殿様は大層喜んでおられました。せめてもと思い、空箱を持参しました。いえ、無償で頂いたものですから、波銭(四文)を戻されても困ります。
ところで、この弁当箱は普通に予約購入して持って帰られた方は、どれくらい空弁当箱を持ち込んでくるのでしょうか」
「実は、ほとんど戻ってきておりません。義兵衛様が持参されたこの7個で、やっと20個目か、という感じでしょうか。売開始から、もう10日以上になりますので、5000個は出ている勘定なのですが、戻る気配がないのです。最初に発注した2万個の弁当箱ではたちまち不足するのが見えましたので、追加で3万個を依頼しております。どんどん掃けるので、箱屋は1個8文(200円)でなく、6文(150円)で作ると言ってきております。3万個ですから、元の値段だと60両で、それを値下げしても45両。他所で注文されては困るということでしょうかね。付き合いもあるし、無理も聞いてくれるので、他所に出すつもりはないのですがね」
「興業の時に弁当箱を売らずに持って帰った人が自慢するのに空箱を見せた、というのが切掛で、戻さなくなっているそうですよ。似たような弁当箱が出回るようになれば、集めてきて4文で売る人も増えてくるでしょうし、そもそもどこかの所で4文未満で作った箱を持ち込まれたらややこしいし。他の店の弁当箱と識別……」
安兵衛さんが脇をつついた。
「義兵衛さん、その顔」
「いや、これは本当に大したことじゃないですから、直ぐに言っちゃいますよ。
善四郎さん、弁当箱の蓋と底に『八百膳・豪華幕の内』と書いた鏝で焼き印を入れませんか。他の店のものと簡単に識別され区別できます。それに、毎日500個と決まっているなら、蓋に年月日の焼き印も入れましょう。まさかですが弁当を買った翌日に食べるということも防げます。弁当箱を使い回したことも、焼き印の日付が見えれば一目瞭然です。火傷にさえ気を付ければ、鏝を押し付けるだけですから、わりと簡単な作業ですし、場合によっては、箱を作っている所にお願いして押したものを買うというのもあります」
善四郎さんの顔に笑顔がパァーッと広がった。
「おおっ、またまた良い知恵を授かりましたぞ。他所の店の使い古しはこれで抑えられますな。ただ、日付を入れると、八百膳の箱が戻ってきても使い回せません。ああ、1個6文なら4文で買って手間をかけるより、ということですか。確かに差が2文しかなければ、諦めがつきましょう。日付が入ることの効果も良くわかります。時間が経てば傷むものもありますから、それを判るための目安ですな。
火鏝ですか。こればかりは直ぐにはできんでしょう。しかし、当てはあります。今日・明日っという訳には行きませんが、来月にはなんとかしたいです」
さらに強く脇をつつかれたが、義兵衛は止まらなかった。
「それで、善四郎さん。もう一つ思いついているのですが、火鏝を作る時に、波模様か網目模様の小さな鏝も一緒に作ってはどうでしょう。
それを使って、弁当の卵焼きや蒲鉾というノッペリとした食材の表面に、焼き印模様をわざと入れるのです。
幕の内弁当は、蓋を開けた時に目に飛び込んでくる華やかな料理、というのが醍醐味ですから、見た目で食欲をそそらさせるのが肝心です。
焼き印があまり大きかったり濃かったりすると逆効果ですが、少しの焦げは、焼き立て感や香ばしさを増す良い印象を与えるはずです」
「火鏝を料理に持ち込むのですな。焦げを料理の一部とする、か。確かに今まであまり考えておりませんでした。これは早速いろいろ確かめましょう。なかなか奥が深いもので、指摘されるまで気付いてないことばかりです。
それで、今日は夕方から興業の事務方寄り合いですが、参加されるのですよね。例の料亭の応援団の件、今日でおおよその扱いを決める予定なのです。行司や目付も、同じく大枠が決まってきており、これらの擦り合わせとなります。ここ一番の寄り合いに、義兵衛さんが居るのといないのとでは、安心感が違います。寄り合い場所は武蔵屋ですが、それまでここでゆっくりされていきますか」
善四郎さんにここへ来た目的を話すことをすっかり失念していた。
「こちらに寄った目的を話すことをすっかり忘れてしまっておりました。
実は明日から17日までの間、御殿様の命で佐倉へ出かけることになりました。興業前々日の18日からは江戸屋敷に居りますので、勝手を言って申し訳ありませんが、前回の興業と同様に、そこから裏方の一人に加えさせて頂きたいと考えております。
この後は、深川と日本橋を回る予定なので、そろそろお暇させて頂きます」
「そうですか。料亭の応援団を編成するというのは初めてのことなので、いろいろと助言を頂きたいと思っておりました。しかし、御殿様からの命ということであれば仕方ありません。先読みができる義兵衛さん抜きだと、議論だけして先に進まないかも知れませんが、頑張ってみますよ。18日から来て頂けるのであれば、その時に褒めて頂けるように皆で頑張りますよ」
これで八百膳での用は済んだので、次は深川・辰二郎さんの工房だ。
工房では辰二郎さんが不在で、甥の栄吉さんに用を伝える。
「今作っている七輪について、屋敷ではなく、萬屋さんが新しく借りた金杉村の根岸の蔵に運んでもらいたい。おおよそ一万個は積めるので、そこが一杯になるまで今の調子で運び込んでほしい。萬屋さんの小頭・久蔵さんに場所を案内してもらうのが早いです。
あと、私は御殿様の命で17日まで佐倉へ行っております。その間、屋敷にはおりませんので、その旨辰二郎さんによろしくお伝えください」
生産量を緩めた結果、辰二郎さんには若干余裕ができ、その時間を使って『能登の味噌岩』のことについて知る人の間を尋ね歩いているそうだ。
最後に回したのが萬屋の本宅で、玄関先から声を掛けるなり、奉公人が何人も飛び出してきて義兵衛の周りを囲み、奥座敷へ案内、いや連行したのだ。
そこには、お婆様と華さんが座っていたが、部屋に入るなりお婆様が飛びついてきた。
華さんは顔を伏せて泣き出したようだ。
「華、義兵衛様ですぞ。義兵衛様がこられましたぞ」
「お婆様、少し落ち着かれよ。そのように興奮しては、危のうございますよ。一体何事があったのですか」
事情を聞くと、義兵衛が萬屋の店でやらかした(8月4日)の翌日に、町奉行の曲淵様が略式ではあるが供連れで日本橋の店に来たそうだ。
3000石の行列ということは、略式ではあっても槍や幟を立て馬も並べてと結構な人数がいたハズで、それが店先から日本橋の大通りまではみ出していたそうな。
大仰な訪問に店にいた全員は何事かとかなりの緊張を強いられた。
そして、昨日の義兵衛の説明を聞いた者を集め『昨日義兵衛から聞いた話を外ではしてはならぬ。義兵衛様のことを喧伝することはならぬ』と下知されたのだそうな。
「次の日に義兵衛様が北町奉行所に向かわれたと聞き、捕縛されたのではなかった、とのことで少し安心はしましたが、何があったのか、手の届かないところへおいやられるのではないか、そればかりを心配しておりましたのじゃ。
一昨日に八百膳からも使いが来て、同じような通告があったと知らされた日は、本宅は御通夜のようになっておりました。
義兵衛様の名前を出してもいけないのでございましょう。この先、一体どうすれば良いのか途方にくれていましたのじゃ」
曲淵様は、過剰に演出し過ぎたに違いない。
「華さん、お婆様。私自身は今の所大丈夫です。ただ、名前が世に知られると、いろいろと問題が増えるので『安全に暮らすためには名を伏せた方が良い』との御判断です。広がるとすると、八百膳、仕出し膳の座、萬屋からでしょうから、先手を打って釘をさして回ったのでしょう。なので、お婆様。『塩原多助』のように後世に名を残すということは、させてもらえないようです。
華さん、今しばらくはごたごたしますが、それが終わるまでしばらくお待ちください」
義兵衛がこう言うと、華さんは顔をあげ「はい」とはっきり答えた。
その後は、今後の当面の予定を伝えた。
「今度の興業が終わると、七輪・練炭売り出しの9月1日は目前です。その前後、義兵衛様は萬屋に詰めて頂けるのでございましょうか」
「その積りではおりますが、御殿様からの承知はまだ頂いておりません。興業の頃にははっきりしますので、またお伝えします」
萬屋に伝えておかねばならないことは一応済んだ。
明日早朝からの出立になることを伝え、萬屋本宅を辞したが、店に寄って千次郎さんの相談に乗ってほしかったのがお婆様の思いだったようだ。
しかし、今それをすると地雷を踏みに行くようなものなので、義兵衛としては出立を言い訳に固辞するしかなかったのだ。
今週も頑張って金曜日(2020年10月2日0時)まで連投します。その後は、目処がたっておりません。息切れしないよう頑張りますが、どこまで行けるかは??です。




