義兵衛、八百膳の弁当で始動 <C2434>
今回はほんの少し長めです。
■安永7年(1778年)8月8日(太陽暦9月28日) 憑依208日目 雨天
一昨日、曲淵様の要請により北町奉行所の土蔵で行われた説明会で、市井の物の値段が需給のバランスの上で決まることのロジックを、奏者番・田沼意知様、勘定組頭・関川庄右衛門様に説明したが、その折、義兵衛がどれだけ特別な扱いを受けているのか、ということを気付かされた義兵衛はしょげていた。
その翌日は雨天でもあり、その影響もあったのか、義兵衛は屋敷の長屋に籠って不貞腐れていた。
しかし、説明会のおりに曲淵様から参加者に振舞われた八百膳の『豪華幕の内弁当』が、興行で売り出された武蔵屋の『幕の内弁当』よりよほど贅を凝らしたものであった、という話が安兵衛さんを経由して御殿様に伝わり、それが奥方様と若君に漏れたことから、おねだり攻勢にあってしまった。
「ここまで不貞腐れている義兵衛は、やはり変であろう。今までのように八百膳に飛んで行って、明日の昼の『豪華幕の内弁当』を7個確保してこい。紳一郎とその奥、義兵衛・安兵衛殿の分もあるため、全部で7個だ。流石に無理を強いた義兵衛を昼食の席から外す訳にはいかぬだろう。安兵衛も同席するしかなかろう」
そのよううなこともあり、御殿様はいとも簡単に攻略され、人気のため入手はおろか予約さえ困難な八百膳の『豪華幕の内弁当』確保に向け、義兵衛は八百膳に派遣されることになったのだ。
浅草に近い山谷町・八百膳に向う道で、相変わらず一緒に行動する安兵衛さんが話しかけてくる。
「やはり義兵衛さんは元気に飛び回っているのがお似合いですよ。元服しているとは言え、まだ16歳ですから、大人の庇護があって当然でしょう。苦にすることはありませんよ」
「いや、庇護云々ではなく、自分の力でできることの限界がまだ見極められていなかったことを、残念に思ったのです。銭を稼ぐことで信用を得る、という考えが通用しない所に差し掛かったのかも知れない、と思い始めているのです。特に、御殿様から言われた『名誉』ということをどう扱えばいいのか、まだまだ至らないことばかりです」
雨の中、傘をさしながら、話しながら歩くうちに元気が出てきて、八百膳に着く頃にはすっかりいつもの義兵衛に戻っていた。
さて、八百膳での『豪華幕の内弁当』の販売だが、店頭での販売はなく、全て予約注文の形となっていた。
毎日500個を上限に前日の昼まで早い者順に予約を受け付け、受付時に前金を現金で徴収する方式である。
予約は丁度1ヶ月前からとしており、1ヶ月先の『豪華幕の内弁当』を予約するために、すでに開店前から並ぶ人も居たのである。
予約窓口では現金を徴収すると、割り印を押した番号付きの木札、それも受け渡し日を書いた札を渡して支払い済の証としている。
店側にも控えの木札が保管されており、注文主の名前を控えるようにしていた。
当日朝に店を開けてから昼前までに注文主がこの木札を持参し、確認の上、予約した数量の『豪華幕の内弁当』と交換するのだ。
木札が無い場合、理由の如何を問わず弁当と交換されることはない。
万一昼前までに交換できない時は、事前連絡が無ければ、予約を取り消した上料金も返済しないことも規則であった。
そして、こうした規則は木札に刻まれていて周知されるようになっていた。
「長らく御無沙汰しておりました。義兵衛です」
暖簾を潜るや否や、店で働く奉公人がドッと押し寄せ取り囲み、義兵衛と安兵衛さんを店の奥座敷へ引っ張っていく。
上座に座らせられると同時に、茶菓子がスッと出され、それを味わう間もなく善四郎さんと板長が座敷の手前の廊下に平伏した。
「もう御出で頂けないかと心配しておりました。いえ、3日程前に北町奉行の曲淵様が直々にお見えになられ『義兵衛様のことを喧伝することはならぬ』と申されました。こちらに何か落ち度があり、御迷惑をかけたのではないかと、そればかり考えておりました。
思えば、義兵衛様は決して表には立つことなく、知恵で皆を支えて下さっておりました。それでは面白からぬと勝手に『座の知恵袋』などと言い出したのは、事情を知らぬこととは言え、誠に軽率でした。幾重にもお詫び申し上げます」
「いえ、御気になさらず、今まで通りです。ただ『知恵袋』は言い過ぎでございましょう。
ところで『豪華幕の内弁当』素晴らしい出来です。2合(360ml)の清水が入った竹筒も添えられて、これで行楽の定番、間違いなしです。売り出しも予約制がきちんとしていて、安心しました。予約販売の仕組みは、よく練れていて感心しました」
やっと善四郎さんは座敷の中に入ってきた。
「それで、今日は無理を言いにきました。予約してはいないのですが、明日『豪華幕の内弁当』を7個、こちらに回して頂けないか、というお願いです」
「その個数であれば、何の問題も御座いません。
おい板長、直ぐに仕込みを確認して問題ないようにして来い。
いえ、お代は結構です。義兵衛様であれば、身内同然です。武蔵屋も申しておりましたが、少しでも恩義が返せるのであれば、その機会は見逃したくはありませんぞ。家の小僧が昼前に、間違いなく御屋敷に届けさせて頂きましょう。
それでこの弁当の商売は、実の所、掛けではなく日銭が入るということでとても面白く思い始めておるのですよ。毎日25両、きっちり入るので、これが実に上手く回っていくのです。こんなことなら、店の横に新しく弁当屋を作ってもいいかなと思う位ですよ」
善四郎さんは満更でもない顔で、止め処なく話し続ける。
よほど義兵衛に聞かせたい事が溜まっていたのだろうか、喜々として顔を上気させている。
八百膳の現状を一通り聞かせてくれた後、料理比べ興業のことに移った。
「先の満願寺での興業の反省会、実に愉快でした。あの気丈夫な女将が感窮まって大泣きしたのですぞ。今まで責任が重い勧進元としてしか関与してなかったので、勧進元でない気楽な立場で参加できたのは、この八百膳にとっても大きな収穫でした。
今までも、きちんと興業を締めていたつもりでしたが、行司・目付・客といった目線で見た時に、気を付けねばならない点が多く見つけましたぞ。次回の興業は、膝元の浅草を含む地元の料亭の予選会で、今月の20日に幸龍寺での開催となります。本選の勧進元は八百膳が務めさせて頂きますが、地区予選は番付の3役から選んで経験を積ませたいと考えております。
8月の興業は、もう12日後に迫ってきておりますが、閏7月の興業を見事に切り盛りした武蔵屋を勧進元に据え、9月の興行では勧進元を務めて頂く予定の料亭・百川を副勧進元に据え、座として興業を維持・継続できるよう考えております。
御三家や御老中もお忍びとは言え列席頂ける格の高い興業は、この日本広しと言えども『仕出し膳の座が仕切る興業』しかございません。皆料理の腕を競い合う場として、認められる場として、食の文化に注目を集めることができたのも、義兵衛様の最初の一押しがあってのこと。座の面々はこの恩義を忘れることはございませんぞ」
義兵衛が『表に出ることを避ける』という最初のお詫びの件は、話しが進むにつれどこかに置き忘れているようだ。
「善四郎さん、興業が形になったのも八百膳という看板と善四郎さんの食に対する真摯な姿勢があったからこそです。私のような若造の思いつきを取り上げてくださったのも、善四郎さんではないですか。そこは誇って良いところでしょう。私は裏方で充分です」
善四郎さんは、しまった、という表情に変わり、あわててお詫びする姿勢に戻った。
「そんなことより、満願寺の境内で興業の結果待ちをしている参拝者がうろうろしていたので気付いたことがあります」
横にいた安兵衛さんが緊張するのが判った。
「おそらく、料理比べの対象になった店の常連客じゃないかな、って。もしそうだとすれば、これをほっておく手はありません。常連客同士をつないで、にわかでも良いので応援団を作ればよいかな、と思いついたのです。
興業に出て来る店は腕に自信がある料亭ばかりですから、常連や贔屓の方は必ずいらっしゃいます。そういった方をまとめる代表を立て、各応援団には特別に客殿内に数席の物見席を与える施策で体制を固めさせるのです。客殿に入れず境内で待つ場所も、料亭毎に縄張りを決め、そこで事前に注文させた弁当を料亭が提供・もしくは販売するのです。
何もすることがなく、結果が出るまでただただ居るのではなく、どういう偶然かは判らないけど良くは見かける顔見知り同士が周りにいる環境を提供することで、客殿の外でも盛り上がると思いませんか」
義兵衛は、この提案を『豪華幕の内弁当7個の代金分ですよ』と軽く言い添えたのだが、実際に聞かされた方は、それどころではなかったのだ。
この提案に善四郎さんはうなってしまい、安兵衛さんは頭を抱えていた。
「義兵衛様、仕出し膳の座と興業について、今まで同様に今後もずっとお付き合い頂きたく、そして決して見捨てることのないよう、幾重にもお願い申し上げます」
そして、このような経緯で8月20日に行われた第四回目の興業では、幸龍寺の境内に各料亭の応援団が出現したのであった。
次話は2020年9月27日0時投稿予定です。




