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義兵衛の立場 <C2432>

 物の値段が需要と供給の均衡で決まるという基本的な原理について説明をした所で、勘定組頭の関川様からいきなり現実に直面している問題について、何か解はないか、という質問が飛んできた。

 経済をきちんと説明できる理論があったとしても、それが万能で、どこにでも応用が利くという訳ではないのだ。

 もしそんなものがあるのだとすれば、経済学者は皆大金持ちになっているに違いない。

 にもかかわらず、自称?・経済の専門家の大半は、過去の事例から特定の要素を固定化したモデルを提示し、喧伝することで収入を得、自ら喰う米を買っているに違いない。

 誰もが大儲けしている訳ではないのだ。


「申し訳ございませんが、私が先ほど説明したのは結構単純化した一つの論理です。実際の物の動き、値段の設定は、この論理以外にも多くの要素がからんでいると思ってください。説明した内容は基本原理であり、それが万能・全部ではないのです。

 それでもあえて言いますと、私は大坂の米相場について内情を知らないため的確な返答にはならないと思いますが、江戸と大坂の違いについて一緒に考えてみる、というのはどうでしょう。

 まず、江戸の米は基本的に購入して消費する物ですが、大坂の米は集めて商いをする素材でしかありません。相場というのは、基本的に物を売り買いする所なので、一方的な流れではない動きをします。需要は、先の値上がり・値下がりの目論見で発生するので、変動幅が実際に必要とされる需要より大きいのではないでしょうか。そのため、先ほど説明した仕組みだけでない働きをするのではないかな、と思います」


 義兵衛は、慎重に言葉を選んで言った後、心の中で『ようは知らんけど』と付け加えた。

 それから、相場という言葉で引っかかった単語を竹森氏が叫んでいるのに気づいて、思わずつぶやいてしまった。


「空売り。そうか、先物取引があったか」


 その言葉を聞いた関川さんがバッと顔を上げ、期待に満ちた目で義兵衛の顔を覗き込んできた。


「申し訳ありませんが、どう説明していいのか考えがまとまりません。先物取引で空売りが出来るところに、何か仕組みとして問題がありそうなのですが、良く考えてみないと、今は出てきませんね。

 それより、むしろ堂島の米相場でどのような取引が行われているのか、それが判れば説明する適切な言葉が浮かんでくるような気がします。しかし、それとて簡単に出て来るような気がしません」


「それならば、是非……」


「関川殿、少し待たれよ。お急ぎなさるな」


 田沼意知様が関川様の話を遮った。


「今日は義兵衛殿が思いついた『物の値段が決まる理屈』について話を聞くだけ、というのが趣旨でござろう。

 内容が勘定方の扱うものに近いゆえ、我々では訳が分からぬこともあると考え、御老中様の許諾を頂いてから関川殿にもこの内輪の集に参加頂いた。義兵衛が自発的に話すことであれば、それを理解するために細かく問うことまでは許されておるが、堂島の米相場の件、江戸では米相場が立ちあがらない理由を問うのは、趣旨からすでに外れておるぞ。

 他にも、この集まりに参加するにあたり、事前にいろいろ制約を受けておろうが、忘れてはならぬぞ」


 関川様はドキリとした顔で頷いた。


「曲淵様、話が見えません。私は、萬屋でうっかり説明してしまった内容を報告させて頂き、この話による影響を御判断なされるもの、と認識しておりました。何か勘違いしておりますでしょうか」


 曲淵様はとても困った顔をされている。


「田沼殿、関川殿、甲三郎殿は階下に降り、そこで待っていて下さらぬか。義兵衛には了解を得ておらぬことを説明せねばならぬ。安兵衛は、おそらく知り過ぎておろうから、同席して構わぬ」


 3人が階段を下りて行き、声が届かない所に居るのを見届けてから安兵衛さんは階段の蓋を閉めた。


「御老中・田沼様からの御指示である。

 『浅間山の噴火の神託の真偽が明確になるまで、義兵衛については本人の意の向く所、任意に行動することを認める。一時的にせよ依り代となったことで得た知識はこの上なく貴い。それゆえ行動に伴い漏れる知識は、どのような些細なことでも逐一報告せよ。漏れた知識について、政治まつりごとに影響が少しでも出ると思われる場合は制止して良いが、それ以外は勝手にさせ、その結果更に漏れるであろう知識を収集せよ。町役人などに義兵衛の行動を制止されるような場合は、これを回避する特別な鑑札を持たせ対応させる』

 という事で関係する者の間でまとまっておる。

 関係する者とは、田安家の定信様、田沼意次様、椿井庚太郎様、それにワシの4人だ。これ以上関係者が増えるのは好ましくないので、正体を悟られぬように行動して貰いたいが、そう言ってしまうと御指示をたがえることになってしまう。難しいものよ。

 それで、既に知っての通り、義兵衛のなす言動について、逐一報告する役として安兵衛を付けている。特別な鑑札は、これも安兵衛が常に持っておる」


 知らぬ間にかなり厳重に庇護されていたようだ。

 実の所、事前に御殿様から安兵衛さんの立場についての説明を聞いていなければ、唖然とするところだった。

 曲淵様が思わず愚痴をこぼした。


「これを明かすことにより、かえって義兵衛の行動に妙なことが起きるのではないか、と言うことも皆と相談しておる。そして、いつ、どのようなことを契機として明かすのかは、ワシに一任されておった。しかし、なぜ今なのかを御老中様に報告するのは厳しいのぉ。

 今から頭が痛いわ」


 義兵衛は義兵衛で、不思議に思っていた疑問がやっと一つ解けた感じとなり、それを呟いた。


「それで、佐倉藩で木炭加工を展開しようと考えた時に、堀田相模守様へ御老中様からの働きかけをして頂けた、という訳だったのですね」


 無役の旗本の家臣が11万石の御殿様とその御屋敷内で顔を合わす、などという普通起きえないようなことがあったことについて、やっと納得ができた。


「うむ、その通りじゃろう。

 赤蝦夷の話で関係する者が集まった時があったであろう。その時から御老中を中心に義兵衛をどう扱えば良いのか知恵を絞ったのじゃ。ああ、田安家の定信様には全容を知らせてはおらぬ。椿井庚太郎の後ろ盾ということで、その懐刀となっている義兵衛については特別の扱いをすることに理解を求め、応じてもらっているに過ぎぬゆえ、そこには留意し、ただの知恵者という風に振舞ってもらいたい。いや、今のままで良いか。あえて今以上かかわりを持たんでも良い。

 それから義兵衛の処置じゃが、そちが持つ貴重な知識は意識して持ち出されるものではない故、何か事に当たらせその結果から都度得るしかないもの、と認識されておる。そして『自粛させていては宝の持ち腐れ』との御老中の意見でこのような次第となっておる。もちろん、義兵衛自身が目立たぬように用心し、多くの功を譲っておることも理解しておるゆえ、本人に任せたままにしておいても良い、という面は確かに一理はある。まだいろいろとしたいことがあるやも知れぬが、そこは抑えておいてもらおう。

 それから、これはワシからの忠告じゃが、町民の関係者はもう増やさぬよう、出入りの多い萬屋、深川の辰二郎、八百膳を上手く使いその裏にできるだけ隠れるように致せ。今はこの位しか言えん」


 安兵衛さんは、欠けたピースをやっと手にしたという風で、良い感じで呆けてしまっている。

 曲淵様からの内緒話はどうやらこれで終わったようで、曲淵様は階段の蓋を開け階下の3人を招き入れた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 個人の財務形成が持て囃されるなか「先物取引」に手を出す人はそうはいないですよね。
[気になる点] 計算って義兵衛さんが和算でやってるのか、竹森さんの計算結果を義兵衛さんが表記しているのか。 [一言] 練炭不足は需要減で対応ですか。 前から低品質のモノが流通するのは想定していたから、…
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