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根岸の新しい蔵 <C2428>

■安永7年(1778年)8月4日(太陽暦9月24日) 憑依204日目 雨天


 義兵衛と安兵衛さんは、萬屋さんの小頭(番頭に次ぐ手代のまとめ役)・久蔵さんに案内されて、金杉村に新しく借りた蔵を見るため、萬屋から日本橋を渡り、神田川にかかる和泉橋を渡った。

 そこから上野広小路を目指し、寛永寺の裾を抜けて日光街道の始まる坂本門前に抜ければ、蔵の近くに出る。

 そして寛永寺御門主の御屋敷を左手に千手院・西蔵院と辿ると、蔵のある根岸は目の前になる。

 小川に囲まれ、そこだけすこし小高い所に30間(56m)四方はある四角い土地があり、それを土地丸ごと萬屋は借りていた。

 約900坪の土地の周りに低い柵を付け、門番小屋を置き、手前右側に2つの蔵がある。

 そして、左側には新しく蔵を建てる縄張りがされていた。

 久蔵さんに聞くと、更に奥側に6棟の蔵を建てるつもりもある、と言う。

『この大胆なやり口は、主人・千次郎さんの採るやり方ではなくお婆様の手によるもの』と感じた義兵衛は問い詰めたが、どうやら千次郎さん自らが出向いてこの地を探し出し、話をまとめた、とのことだった。

 どうやら千次郎さんは、積みあがる練炭の山に腹をくくったようだ。

 そして、久蔵さん自身はこの蔵地の責任者とされ、番小屋に詰めることもしばしばある、と説明を続けた。


「ここに毎日、名内村から荷を積んだ馬が来ます。毎日5000個の練炭で、検分してから蔵に納めるのですが、こうも雨が続くと嫌になります。直接雨にあたるとか、検分の時に机から湿った床に落とそうものなら、それだけで廃棄扱いです。馬から下ろして屋根のある台に置く作業が、こういった雨の日は辛いですね」


 名内村からの練炭は、7月末までは八丁堀で受け取っていたが、閏7月に入ってからはここの蔵で受け取るようにしており、既に17万個の練炭が収められている。

 17万個といえば大層な量にも思えるのだが、蔵の中に重ねてしまい込んでしまえば嵩はそれほどでもなく、今見ると蔵の右手前に少し積んであるという風にしか見えない。

 もちろん、左手側や奥はまだ何も置いていない。

 名内村からは8月末までにあと13万個届く予定であり、計30万個が積みあがるのだが、それでも蔵の半分にもならない感じだ。

 一口に30万個とは言うが、予定している小売値だと、金15000両にもなる金額なのだ。

 全部掃ければ萬屋の粗利は4500両になり、それを思うと千次郎さんが発奮するのも判る気がした。

 ただし、全部掃ければであって、これができなければただの負債である。


「この蔵1棟で、おおよそ80万個、無理して詰めれば100万個の練炭を入れることができますぞ。八丁堀の本宅に併設した蔵は木炭を前提とした作りでしたから、練炭は無理して積んでいました。しかし、ここの蔵は端から練炭を積むことが前提ですので、扱いやすいですぞ。おまけに練炭は寸法もほぼ決まっておりましょう。重ねるのも楽です。

 ああ、手前から積むのは、先に積んだ練炭を先に取り出すことを考えているからで、100万個詰めると奥へ行く通路がふさがります。なので、80万個積んだら、次の蔵へ入れるという段取りになっています」


 2棟の蔵で160万個、これから建てる右手の蔵も合わせ4棟320万個貯めることができる。

 更に、今は空き地だが、6棟建つと1棟の予備を置いても全部で720万個を回すことができ、この蔵を満たすことさえできれば、余裕を持って江戸の冬の需要を満たすことができそうだ。

 ただ、一か所に集積すると、災害に弱いという弱点も出て来る。

 八丁堀にも集積してはいるのだが、あと一ヶ所、品川に近い場所にも40~50万個程度は確保できるようになると危険分散にはなる。


「この蔵に、練炭だけでなく七輪を置くことはできますかね。実は、佐倉での練炭作りが難儀していて、思うように作れていないのです。その結果としてできる空いている場所があれば、練炭と対になる七輪をここに置くと売り出すときに都合が良いと思えるのです」


 義兵衛の提案に久蔵さんは困ったような顔をした。


「ここは練炭を保管することを前提にした蔵なので、一時的にせよ他のものを納めるとなるとややこしくなります。

 でもそうですね、番小屋に付随した納屋を整理すれば、結構な場所は空くかも知れません。まあ八丁堀と同じ一万個分位の場所は確保しますが、私の一存では決められませんので、日本橋の本店へ戻ったら千次郎様にご相談ください」


 当然のことで、大番頭の忠吉さんならともかく、小頭の久蔵さんでは決める権限はまだ持たされていないのだ。

 しかし、今までの義兵衛の実績があるので千次郎さんは受けるとみて、久蔵さんは丁稚に片付けの指示を出している。

 飛び火・貰い火の可能性を見るため、雨脚が緩くなる時期を見計らって敷地の中を歩き、外との見通しを確かめた。

 この近辺には寛永寺のおひざ元だけあって寺院が多く、また敷地もゆったりしているためか引っ掛かるところはない。

 千次郎さんはいい所を見つけたものだ、と感心しながら番小屋へ戻り、再び久蔵さんと一緒に日本橋の本店へ戻ったのだった。


「根岸の新しい蔵は、いかがでしたか」


 千次郎さんは義兵衛の顔を見るなりそう尋ねてきた。


「随分と良い場所でした。あそこであれば災害に遭う心配はしなくてよさそうです。良く見つけられましたね。

 それで、久蔵さんに話はしたのですが、番小屋につながる納屋の一部を貸して頂けませんか。そこに椿井家の七輪を溜めておきたいのです。勿論、機会に応じて都度萬屋のものに付け替えて売って頂くということになるのですが。もちろん場所代はお支払いしますよ。ただ、支払いは年末になりますがね」


「ああ、七輪を納屋に置くことは承知しました。どうせ卸して頂くことになるので、場所代など結構ですよ。冬の最中にはそれどころではないでしょうから。

 それから、佐倉藩からの練炭はどうなっておりますでしょうか」


 義兵衛は製造が難航していることを含め、見通しの説明をした。


「最終的には10ヶ所の工房で各々日産5000個を目指していたのですが、最初の工房のところでつまずいています。

 名内村のように日産5000個になるのは、10月に入ってから、と見ています。まだあと何度か足を運ぶ必要があると思っておるので、見て来た様子は都度お話しさせて頂きます」


 実情ではなく、感触だけを義兵衛は説明した。


「それでは、9月頭の売り出しの時点で、練炭は80万個しか積み上げできていないということになりますな。あとは金程村と名内村からの日産で計1万個の追加。やはり、佐倉藩からの出荷がないと続きませんね。仲間内からは売る物がもはや無いなどと指弾されることになります。売り出しの当初はともかく、一番皆が欲しがる冬の最中に売るものが準備できないとなると、店の信用問題になります。これは本当に困った」


 千次郎さんも目算が狂い、頭をかかえてしまっている。


「佐倉藩の出してくるものを当てにせず、積み上げた80万個と毎月の30万個を基本に、まずは需要を抑えることで来春まで乗り切ることを考えてみましょう」


 義兵衛の一言に、千次郎さんと安兵衛さんがギョッとした気配が伝わってきた。


「需要を抑える、それは一体どういうことですか」


 安兵衛さんは不思議なものを見るように義兵衛の顔を見つめたのだった。


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