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木野子村到着 <C2421>

■安永7年(1778年)閏7月23日(太陽暦9月13日) 憑依193日目 雨天


 昨日に続いて雨が降っているが、雨脚自体はそれほどきつくない。

 しかし、それでも足元が悪い中、名内村から佐倉の木野子村に行くのは結構きつい行程となる。

 助太郎、弥生さん、安兵衛さん、義兵衛の一行4人は、それぞれに重い荷を担いでいた。

 気軽に引き受けてくれたものの、安兵衛さんにまで荷運びを頼まざるを得なかったのだ。

 道中は、印旛沼につながる小川や谷戸を何度も超えていくため、登り下りが多く、また沼地では丸木を束ねただけの簡易な橋、という場所もあるため、小雨の中苦労しながら進む。

 流石に佐倉に近くなると道は整備されてきており、印旛沼南岸の脇平戸村に入ったところからは、きちんとした街道に近い道となった。


「何度か来たが、やはり多少距離は短いのかも知れんが、物を運ぶのに不便だなぁ。雨が小降りであったからなんとか来れたが、もう少し大降りしていれば、あの丸木橋は流れていたかも知れん。多少遠回りしても、台地の上をたどるようにはできんかのぉ」


「名内村からずっと南に進んで船橋まで出て、そこから佐倉街道を使うという手もあるが、距離が倍程にもなる。半日どころか1日かかってやっと着く距離になるぞ」


 助太郎と義兵衛はこう言いながらも前を見て歩み、安兵衛さんと弥生さんは黙ったまま歩む。

 話すうちに、迂回してまで名内村と佐倉にできている工房を連携させる必要はなかろう、と暗黙の了解が出来上がる。

 皆の背中に背負っている荷は、元々金程村で作った練炭作りに欠かせない道具であるが、既に一組は先の試演の時に送り込んでおり、今回はその予備という位置づけで持参しているのだ。

 後は必要に応じて木野子村で作っていくしかない。

 実際に名内村では助太郎が道具作りを担当し、少なからぬ量の道具を作っていた。

 今回の移動にあたって、事前にある程度の数を予備の道具として作り、名内村に置いてきてはいるのだが、道具自体の作成については村内に後継者を育成してはいなかった。

 長期的に見ると、壊れた道具を直すことも作ることもできず、予備を使いきった時点で生産に支障が出ることもあると考えているが、そこまでのお人よしな支援をするのは本意ではないと割り切っている。

 義兵衛はそうなった時に初めて困るであろう三之丞さんの顔を思い浮かべた。

 そして、道具の扱いについては木野子村でも同様の扱いになるはずだ。

 おそらく誰かが類似の道具を作り、その結果、この地で生産される練炭に規格外れのものが増えていくという可能性もあることを想定している。


 鹿島橋を渡り、佐倉城下の近くまで来ると、今度は南へ続く道に向かい、高崎川を超える。

 そこから1里ほど南下した台地の上に木野子村があった。

 まずは木野子村の名主・彦次郎さんの家に向かった。

 その敷地の奥に立つ古い家・離れの家が、細山村から来た樵家の者たちの宿舎となっているのだ。

 義兵衛達一行は名主の家に寄って挨拶することもなく、真っ先にこの宿舎へ飛び込んだ。

 雨はおおかた上がってはいるものの、まだ完全に止んだ訳ではないので、ともかく屋根の下に入りさっぱりとしたかったのだ。


「これはこれは、義兵衛様、助太郎様、ようそこそお越し下さいました。今から丁度夕餉の支度をするでございます」


 この家を丸ごと借りている細山村の佐助さんが歓迎してくれた。

 ただ、前回会った時と比べ、言葉使いが随分丁寧になっている。

 これを指摘して事情を聴くと、たちまち馬脚を現した変な言い方に変わり、面白い答えが返ってきた。


「この村でいろいろと注意されたんでさぁ。新しく工房を開くので、お役人様やお侍様が大勢この村にやって参ります。それで、ワシ等が直接お話させてもらうこともありまして、そのときに無礼な態度や言葉使いはよくねぇ、ってことなんですよ。無礼打ち、切り捨て御免などということも起きる、と彦次郎さん達から脅されたんですよ。

 義兵衛様と助太郎様は、元は同じ百姓とは言え、今はお侍様でございましょう。助太郎様は相変わらずですが、義兵衛様は腰に刀を差しておられるではないですか。それで、ちっとはちゃんとしよう、って仲間内できめたんでさぁ」


 上格の武家か、昔の仲間かがごっちゃになった変な感じの説明だが、言葉使いが変な事情は理解できた。

 ここは身分の上下関係が緩い椿井家の里ではなく、佐倉藩の支配する領地なのだ。

 荷を片付け、体を拭いさっぱりとしてから、名主の彦次郎さんの家に行き、しばらく滞在する旨の挨拶をする。

 それから戻って、佐助さんを含めて皆から細かく話を聞く。


「この村で炭焼き方法を教えているが、村人だけで大体そこそこの木炭は作れるようになってきている。土が良いので一度に100貫(木炭25俵、375kg)焼ける窯を2個作った。交互に焼けば、5日毎に100貫は作ることができる。ただ、教えはしたもののこの村の者は煙の見切りが甘い。いつ火を落とすのかが、上手く伝わっておらん。まあ、そこは月末までにあと2~3回も教えれば片がつくじゃろう。

 ただ、いかんこともある。ここの者達は字を知らん。覚えるのは速いが、反復して何度もさせないと、忘れるのも早い。せめて書きつけだけでも残せば忘れることもないだろうに、と思ったが、ここは細山村ではないしのぉ」


 改めて我が里が教育・識字率という点が特異なことを認識できた。

 ありていに言えば、これが村の力の底上げのしやすさに直結していたのだ。

 木野子村における炭焼きに関する状況はだいたい把握できた。


「ここ数日間、月末まで私も滞在します。

 その後は助太郎と弥生さんがここに残り、練炭作りの方法を佐倉藩のお武家様達の皆様に伝授する予定です。

 佐助さん達は、ここでの仕事を終え、私と一緒にまず江戸の屋敷まで戻りましょう。そこから里へ戻るのは、荷駄隊もあるので直ぐです」


 この家に付いてくれている下女衆おなごしが夕餉の支度が出来たことを告げ、皆と一緒に里の様子を知らせる話をしながら食事をとった。

 食事が終わる頃を見計らったかのように、名主の彦次郎さんがこの離れの家にやってきた。


「義兵衛様、お寛ぎの所お邪魔いたします。

 義兵衛様の里から炭焼きの名人を紹介頂き、村の者は皆感謝しております。新しい炭焼き窯で、もう100俵(400貫、1500kg)もの木炭が出来て積みあがっております。この分であれば、御城の勘定方・治右衛門じえもん様の最初の要求にも難なく応えることもできましょう。ただ、以前に義兵衛様から『最終的に毎日100俵の木炭が必要』と言われると、なんともできないことになります。佐助様がおられる内に、窯をもう二つ作っておいて頂きたいので、そのお願いにあがりました。

 それから、明日は新しく作られた工房に行かれますよね。その折に、いつどれ位の木炭を運び込めばいいのか、木炭の代金として、いつ位に御幾ら頂けるのかも聞いてみて頂けませんか」


 神妙な顔つきで丁寧な言葉で話しを切り出して来たのだが、その実交渉を押し付けているに過ぎない。

 最初の要望はともかく、2番目の要望はお角違いかと思ったが事情を聞いて、お役人と村人の関係が見える気がした。

 治右衛門さんは、工房が出来て使えるようになってから、毎朝何人もの武家衆を引き連れて来ているようだ。

 最初は彦次郎さんも付き合って顔を出していたのだが、その内に彦次郎さんも含めこの村の百姓達はとばっちりが来ることを恐れてか、工房に近づこうともしていなかったのだ。

 ともかく、治右衛門さんの直接会ってみないことには何も進まない、ということだけは判ったのだった。


連投しておりましたが、やはり厳しく、隔日投稿に切り替えますので、御承知ください。次回は9月9 日の0時投稿予定です。

(また季節に追い付かれてしまう!)

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