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郷里での祝宴と江戸への帰路 <C2412>

 夕刻から、在郷の家臣達と各村の名主が集まり館の大広間で祝宴が行われる。

 在郷の家臣達とは言うが、細江家を含めて6軒程でしかなく、親戚同様の仲で和気あいあいとしたものだ。

 各村といってもわずか4村、合わせて500石にしかならない僻地であり、名主は4人揃っての出席となっている。

 宴の仕切りは、爺・泰兵衛様で、紳一郎様が手伝っており、義兵衛も細江家の養子として足蹴く準備に駆け回っていた。


「我が殿は、このたび上様より油奉行の御役を頂き、官位・従六位下、官職・主計助かずえのすけに叙任なされ、布衣を許されることとなり申した。

誠に御目出度きことでござる。一同でこの寿を祝おうではないか。酒も肴もたんまり用意しておるので、存分になされよ」


 爺の発声から宴が始まり、次いで御殿様の一言となった。


「皆の者、此度の叙任は様々な巡り合わせの強運に恵まれたとは言え、里の者皆の助力があったからこその賜物、ワシはそう心得ておる。

 特に、新参者ではあるが、義兵衛、そちの功は大きい。しかし、この若造の言うことを聞いて動いてくれた大人共がおってこその成果じゃ。皆、御苦労であった。これからもこの殖産興業は続くであろう故、力を合わせて励め」


 皆の面前で御殿様に思いきり褒められ恐縮していた義兵衛だが、実父・百太郎の誇らしげな表情に気持ちが安らいだ。


「この里が他に負けない真の理由は、貴賤・男女を問わず寺子屋で一緒に学んでおることですぞ。その祖法を定めた先々代の金吾様も偉い。しかしそれを堅持し続けた御殿様も素晴らしい。寺子屋を維持するために当家が今までに費やしたものが、ずっと積みあがってここに結実したのじゃ」


 爺が興奮した声で持論を展開すると、誰もが頷き、そして各々が自領の良さを吹聴し始めた。

 やがて宴も終盤にさしかかった時、実父・百太郎がにじりよってきた。


「義兵衛、嫁取りすると聞いたが、里・実家にはまだ紹介せんのか」


 宴席はこの話をきっかけに、義兵衛のことに集中し始めた。

 義兵衛は、相手が萬屋の娘で、婚礼までには一度里に連れてくること、江戸の商家のお嬢様なのでこちらでの暮らしは難しいこと、など事情をぼそぼそと説明したが、一向に埒が明かない。


「相手の商家・木炭問屋の萬屋は、この里の殖産興業のかなめである。そこの娘を義兵衛が娶ることを先方の祖母が強く望んでおり、当家と萬屋が一連托生であると言うことを理解の上、これを許した。

 結構な額の持参金を持たせるということで、萬屋と共同で事業を回すために婚約式の時点で既に一部前受しておる。なので、この縁談について破談は絶対に無しじゃ」


 御殿様は皆が知りたかったであろう事情を一気に説明してくれた。

 義兵衛は宴席にありながら、全く別なことを思っていた。

 それは遠く離れた名内村で、おそらく大変苦労しているであろう助太郎のことである。

 本当の殊勲者は『宮田助太郎なのだ』と皆に知ってもらいたかったのだ。



 ■安永7年(1778年)閏7月16日(太陽暦9月6日) 憑依186日目


 まだ空がやっと明るくなり始める前に義兵衛と安兵衛さんは館を抜け、金程村の工房を訪れていた。

 早朝であるにもかかわらず、寮母である助太郎の母親は起きて朝食の支度をしていた。


「おや、これは義兵衛様。もうじき早朝番の組長が作業を始める時刻でございますが、何かご用でしょうか。今朝の早朝番は米組ですよ」


 後で聞いたのだが、少しでも明るい時間を有効に使うべく、早朝番・中番・遅番と組み分けを行い、寺子屋組の僅かな空時間すら作業に組み込んでいたのだ。

 食事も細かく輪番とし、組長・副組長がバックアップすることで、決して生産が止まらない仕組みを作り上げていた。


「これは義兵衛様、安兵衛様。江戸以来でございますね。御変わり御座いませんでしたでしょうか。

 あれからこの工房もいろいろと工夫して、出来高目標を維持できるように変えましたのよ」


 にこやかに話しかけてくる米さんを見て、この件をお館の千代さんにしようと考えていたことをすっかり忘れていたのを思い出した。

 ただ、安兵衛さんも以前のように気楽に会話しているようだし、義兵衛の心の中では撃沈されているとは言え、ここは成り行きに任せるしかなさそうだ。

 米さん達の頑張りを誉め、今後も続けて量産に努めていってもらいたい旨を伝えたところで時間切れとなった。

 米さんや寮母さんに見送られて工房から館に駆け足で戻る。

 金程村の工房から細山村までのこの道も、人馬が足繁く通ることで広く立派になっていた。


 細江村の館に戻ってしばらくすると、江戸へ戻る御殿様の行列が出立した。

 普通なら昨日の内に江戸へ向かう荷運びの馬を出さず、今日の行列の荷駄隊として揃えたのだ。

 このため、500石取りの旗本としては過剰な程、立派な行列になった。

 今回の帰郷はお上に事前に届け出を出しており、不審な所はいささかもないが、幟・槍を掲げた行進だけに歩みは遅く、江戸の屋敷に入るのは夕刻になってからであった。

 義兵衛達だけで江戸と細山村を駆けた時のおおよそ倍程の時間をかけている。


「こうやってゆるゆると歩むのも、周りの様子を観察するのによいと思いませんか。稲の育ち具合とか、商家の店の中の様子とか、農家の納屋の様子など、暮らし向きがどうなのかを推し量れます。

 大名ではありませんので、外で土下座をする人達は居りませんが、ほれ、この行列をみると人が避けていく」


 確かに大名行列然とした一行なので、面倒に巻き込まれたくない棒手振りや旅人はすれ違わないように横道に避けていく。

 また、御殿様の一行も歩みの遅さを知っているので、小休止を頻繁に入れては後ろから来る人達を先に逃がしていた。


「確かに義兵衛さんの言う通り、観察は面白いのかも知れませんが、私はずっと帰ってから曲淵様にどのように報告するのか、頭を悩ませているのです。椿井主計助様は『明日奉行所に伺いたい』と申しておりましたが、そこでいきなり主計助様から御殿様へ知らない話をされるようでは、私が義兵衛さんについている意味がありません。

 さりとて、主計助様が伏すように言われた茶室での話に関係する件とは思っておりますが、実の所どこからどう紐解いて良いのやら、私にはさっぱり見当もつきません。

 義兵衛さん。申し訳ないのですが、主計助様は奉行所でどのような話をされるとお考えですか」


 困り果てている安兵衛さんを見て、助言をしてみた。


「御殿様は政治まつりごとの中で権力争いするということが好きではありません。そして、万一権力争いとなった場合でも、椿井家の安泰、すなわち領民の保護を一番に考えておいでです。

 今回、御老中・田沼様の働きで白河藩主・松平定信様が田安家の当主となられ、和解されたことで想定されていた権力争いは当面回避されたと考えておられます。しかし、この結果、長い目で見て最終的に割りを食った方は一橋家でしょう。それが見えてきたので、御奉行様経由で御老中様に懸念を伝えて頂きたい、という所でしょうか。

 もしくは、万一を考え身内の誰かを一橋家の若君にかかわらせることができないか、そういった方策に関する相談でしょうね。

 私の考えがあたっていれば良いのですが、私より先を見通す方ですから、外れてもその時は御容赦ください」


「なるほど、そういうことですか。ありがとうございます。

 それにしても、これほど凄い方が今までお役にも付かず、なぜ埋もれていたのか、誠に不思議ですね」


「まあ、それは硬直した体制ですから。能力より家柄・縁・身分を大切にしていたらそうなりますよ」


 安兵衛さんは義兵衛がぼそっと言った、体制批判ともとれる言葉に目を剥いた。


 行列は江戸屋敷に到着し、安兵衛さんはブツブツ言いながら、そこから奉行所へ戻っていったのだった。


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