幕の内弁当 <C2409>
秋葉神社別当満願寺での興行を目前に控え、寺側との再交渉が暗礁に乗り上げていることを知らされた義兵衛は、難局を切り抜ける切り札として、突然に武蔵屋に『幕の内弁当』を興行当日に販売することを提案したのだった。
これが切り札になるかどうか、江戸料亭の長ともいえる料亭・八百膳の主人・善四郎さんに見極めてもらう必要があった。
義兵衛は、武蔵屋の板場横にある配膳室の一角に陣取り、弁当箱のイメージに一番近い折箱で同じものを4個選びだした。
そして、板長にまず一口大の俵型のおにぎりを用意してもらう。
「ははぁ、寿司の舎利部分ですな。それで、これに黒ゴマをふりかけたものを24個ですな。それと卵の厚焼き、焼き魚ですか」
運ばれてくる食材を折箱の中に丁寧に詰めていく。
小カップはないので、煮物・香の物など分けるのに薄板を折り曲げ、箱の中に仕切りをつけた。
やがて4個の幕の内弁当が仕上がり蓋を載せて出来上がりとなった。
「ありものを詰めただけなので、まだまだ弁当としては工夫の余地はあります。大人一人分程度としては少ない量かも知れませんが、ご飯半分、副菜半分といった割合が特徴で、料理の味を外で堪能されたい方にはとても便利なものです。普通の重箱では、深くて大きすぎ、料理の量も数人前を一度に入れるでしょうし、重くてかさばるという難点があります。
そして一人用の仕出し膳とは違い、四角い弁当箱は重ねて持つことができるし、中を食べ終わったら箱を捨てればいいので取り扱いもとても楽になります。
箱の大きさや深さなんかはもうひとつといった感じですが、とりあえず似たような大きさのものを使いました。
沢山作る時にはそろった大きさというのが重要なので、まずは500個以上すぐ取りそろえる必要があります」
安兵衛さんが仕上がった幕の内弁当の蓋をとり、中を見てポツリと言った。
「これを500個まとめて作るとなると、なぜか金程村の工房で練炭を作っているところを想像してしまう。1個ずつ仕上げるというより、にぎりを詰めたら箱を次に回しておかずを盛り付ける。箱の大きさも一律なので重ねて置いておきやすい。
そして手早く作れて、同じ物が同じ量だけ入っているから食べるほうも楽。
義兵衛さん、これはいつも言っている『標準品の流れ作業』ということですな」
流石に日頃からよく見ている。
その傍らで善四郎さんが腕を組んで弁当箱を睨みつけていた。
「これは、仕出し膳にとっては脅威だ。こんなものが流行ると、仕出し膳は終わる」
「いえ、全然問題ありません。良く考えれば判りますが、使われる場面が違います。そりゃ多少、野点の席での仕出し膳というのは難しくなるかも知れませんが、幕の内弁当は所詮町人のもので、武家がからむところで、この弁当を出す、というのは少ないでしょう。
きちんと住み分けはできていますよ。
それより、この感触でどの程度の値なら、八百膳の善四郎様はお買い上げいただけますか」
「いやぁ参ったなぁ。値段は材料と手間によるところが大きいよなぁ。だが、今作ったこれでも80文なら固い。充分元が取れるだろう。それで、興行ということを考えれば、値段に利益を更に上乗せすることは充分可能だろうな。
しかし、義兵衛さん。よくこんなものを思いついた。
ところで、今までに義兵衛さんが刹那に思いついたものが一体いくつあるのか、いや、まだまだ隠し玉もありそうですな。こりゃ目が離せませんな。非常時になると一体何が飛び出すか、こりゃ全く驚きですぞ。
ははぁ、安兵衛さんがいつも義兵衛さんにピタリとくっついているのは、こりゃ御奉行様の差し金でしたか。流石にお上は抜け目がないですなぁ。あははははぁ」
何か変なことに気付いたのか、善四郎さんは途中で口調が変わり、最後は笑いでごまかした。
「まあ、そこの所はいろいろとありますので……」
ちょっと言い訳じみたことを義兵衛が口にすると、善四郎さんはその先を言わせまいと強い口調で武蔵屋の主人と女将に告げた。
「これはとてつもなく強力な武器です。折角授かったものですから、今回の興行できっちり生かしましょう。
時節・場所がらを考えれば、ごく普通の仕出し膳と同じ100文で出しても飛ぶように売れますぞ。
まずは御主人。興行前日の朝に50個、それから当日の朝に600個、いや、もっと多くこの幕の内弁当を作ってください。必ずですぞ。
それから、女将。これが与えられた最後の機会です。どうやったらこの強力な札を上手に使うことができるのか、よくよく考えてみませんか。
義兵衛さん、この折詰めの容器について確認したいことがあります。
箱を探している時に、何やら大きさや厚さがちょっと違うという感じでしたが、実際のところどうなんでしょう。箱を試している時間がもったいないので、どういった感じになっていればよいのか、率直に教えてください。同じものを1000個ばかり集めるか作らせるのに手間がかかりそうで」
確かにいろいろと試行錯誤する時間はない。
「中に詰める料理の種類によっていろいろ考えること、つまり大きさも変わると思いますが、共通的に考える点は同じです。
この弁当はまず膝の上に乗せて蓋を開きます。なので、安定して膝の上に乗る底面が必要です。
そして、蓋をとった瞬間に料理全体が目に入ること、特に副菜が全部見えるように広がっていることが重要です。
そのためには、箱は広くて薄いほうがいいのです。
空けた蓋は、折の底に重ねることができなければなりません。
そして、食べる時は、膝に置いたまま箸でつまむということもありますが、左手で箱を支えて持ち上げ、そうして箸でつまむということが考えられます。なので、全体はできるだけ軽く、持ち上げやすい形が必要でしょう。
歌舞伎の桟敷席や桝席で人が詰めあった状態でもこの弁当を広げて食事できる、というのが理想なのです」
客がどのようにして使うのか、具体的なイメージとして歌舞伎興行をあげたところ、イメージが湧いたようだ。
「形については、四角が一番楽ですが、六角形や八角形、丸形のものなんかも料理によっては選べるでしょう。
ただ、今回は一番使い勝手の良い四角にしましょう。横に3列、縦に4列並べ、上下に15段重ねて180箱で一山。
蓋の寸法を入れた外回りは、幅8.5寸(約26cm)、奥行き6寸(約18cm)、厚さ1.5寸(約4.5cm)といった所でしょう。
山6つで1080個。ぴったりでしょう。
箱の中、手前に箸が入る仕切り、真ん中の縦方向に白飯と副菜を仕切る板をつけ、副菜は味が交わらない程度に低く薄い板をはめるのです」
「よし判った。そのような内側の仕切りもあると良いなら、出来合いのものを調達するより大量に作らせたほうがいいだろう。八百膳でもこれを沢山用意すると良いかもしれんな。まずは1万個作らせるぞ。武蔵屋には、先に出来た1000個を回そう」
あわてて声をあげ突進しようとする善四郎さんを義兵衛はあわてて押しとどめた。
「これはまだ工夫の余地があるのです。箱になったものを買うと場所を取ります。
なので、折詰めと申しました。横枠の板は紙留めにして使わない時は畳んでしまっておけば、厚さは4分の1寸にもなりません。蓋のくぼみに仕舞うことができます。
使う時に横枠を開いて立てれば良いのです」
横枠の端の板を3角に加工して丈夫な和紙で閉じれば済むこと、パタパタと折れることを絵図で説明した。
空箱で折りたたんでいる時は厚さが6分の1にもなるので、一山で1080個と場所も取らない。
善四郎さんは目を剥いた。
「木の薄板を紙で固定するのか。これならば作り易かろう。もう皆まで言うな。あとは任せろ。
それとな、女将、明日には満願寺と再交渉だ。義兵衛さんは同席出来ぬようだが、これだけの工夫、決して無駄にはすまいぞ」
心当たりがあるのか、木工屋へ向かって善四郎さんは駆け出して行った。
善四郎さんが出て行ってから、女将は一番聞きたかった武家側行司の動向を教えてくれた。
やはり、当日は水戸中納言・徳川治保様が直々に御列席なされるらしい。
前々から登場を狙っていた幕の内弁当の回でした。
多少ストックができたことから、少し更新頻度を上げていきます。




