実演終了 <C2398>
佐倉藩の勘定方・吉見治右衛門様の御屋敷で練炭作りの実演が始まった。
助太郎は最初に木炭と練炭を取り上げ、かざして見せた。
「木炭を加工し、大きさや重さ・燃焼時間が同一のこの塊を作ります。
練炭1個の重さは350匁(約1.3kg)あり、木炭1俵(4貫、15kg)からおおよそ12個作ることが出来ます。
この練炭は江戸の薪炭問屋が1個130文で引き取ります。したがって1俵160文(4000円)の木炭を購入し、それを加工して練炭を作り江戸の問屋に卸すと1560文(39000円)の売掛金となります。差額の1400文から加工して江戸へ運ぶ費用を引いた残りが、今の時点では治右衛門様の利益であり、新しく工房を設ける時の資金となります。新しい工房からの上がりは、藩に納められることになると聞いております。
治右衛門様から、まずは月産15000個と聞いておりますので、月辺り約500両の売掛金を作ることができます」
金額の多寡という話になると途端に嫌そうな顔をする。
本来、事業を継続するにはここが重要な点なのだが、そういったことより御殿様の意向・名目や事業の大義・与えられる名誉といったものが導入では皆重視するようで、助太郎の説明は響かないようだ。
ただ、彼らが工房の責任者となり運営する立場になれば、この説明の重要さ、1文の重さを感じるに違いない。
現に勘定方である治右衛門様は、改めて納得したかのように頷き、助太郎の説明を遮って言葉を挟んだ。
「皆の衆、最初に作る木野子村の工房では、まずは日産500個を目指すが、最終的には日産5000個を作りたいと思っておる。
それは皆に任せる工房でも同じじゃ。工房あたり月5000両、10ヶ所の工房で同じように作れるようになれば、月5万両にもなり、年換算では60万両じゃ。佐倉藩は11万石なれど、御三家に並ぶ収益を得よう。永年の借財もここで一掃されれば、御家は安泰じゃ」
御家の安泰という言葉こそ響くものの、藩がどれだけ借金・赤字をかかえようともここに集まってくれた面々には何ほどのこともない。
ここに参加した者は、皆非嫡男であるが故に、家の主人が何事もなく無事務め続け、家としての俸禄だけ確保されていれば、あとは意識すらしたことがないのだ。
勘定方・治右衛門様の言葉は響いていないに違いない。
そこで、義兵衛が仕切り直しをした。
「御殿様が新たな殖産と御関心を寄せる工房を任されるとなりますと、御家の方々は鼻が高いことで御座いましょう。そのためにも、工房の中での作業の指導や、運営の秘訣について学ぶことも多いと思われます。
まずは、どのような工程の作業で練炭が作られていくのか、どういった点に腐心しているのか、というあたりを実演致しますので、よくよくご覧になって頂ければと考えます。そして、見るだけでなく、木野子村に工房ができましたなら、そこで実際に作られてはと思います。実演の指揮をするのは、旗本・椿井家家臣の先ほど来説明をしておる宮田助太郎で、椿井家の知行地で工房を運営しております。勿論、練炭作りには熟練しておりますが、今は工房の運営を主に行っております。そして、実際に練炭を作るのは、椿井家の奉公人であります近蔵と弥生です。木野子村の工房が立ち上がったならば、この両名は皆様が練炭を作るにあたって、1ヶ月ほどお手伝いのため応援させて頂くつもりでおります」
本来は、治右衛門様が参加してくれた面々の気持ちが萎えないようにせねばならないことなのだが、つい口を出してしまう、しまわざるを得ない義兵衛だった。
ともかく木炭を粉炭にする所から丁寧に説明していく。
途中で不具合のある練炭を検出することを見込んで、弥生さんは質の違う粉炭を練り寸法の異なる練炭や重量の違う練炭を複数作って見せる。
近蔵は、複数の粗さの粉炭を作り、練った粉炭の燃焼具合を見せたり、寸法・重量を計測して不合格品をはじく作業を見せている。
助太郎は、練炭の特徴と不合格の訳を都度説明している。
こういった試演が一通り終わると、昼をとっくに過ぎていた。
「出来上がった練炭は、まだ水分を多く含んでいるため、一定の重量になるまで乾かせます。天候にもよりますが、最低でも2~3日はかかります。
村で一番器用な弥生は1日におおよそ160個ほどの練炭を作ることができます。皆様も同程度には成れます。ただ、この作業に習熟すれば、ですが。
実際にはなかなかこの域に達しないのも確かです。工房を預かる立場の私ですと、その半分の日産80個位でしょう。しかし、生産速度はともかく、失敗した時の原因究明なんかは私の仕事の一つです。自分の手で納得行くまで作ってみて、初めて失敗した理由を推測し、どう是正すれば良いのか提案できるようになります。そんな理由から、皆様には見本と同じ練炭を自分の手できちんと作り出せるようになってもらいたいと考えています」
最初は自分から進んで練炭作りをせねばならないことを納得させるのにてこずったが、どうやら判ってもらえたようだ。
「練炭を作る指導をする金程村の工房責任者の助太郎さんが1日80個作れるのであれば、我ら8人に治右衛門さんの計9人で720個は直ぐにでも作れるのではないかな。日産500個とは随分低い目標ではないか」
かなり熱心に聞いていた一人がこう言いだしたが、助太郎は反論した。
「手賀沼の南側にある名内村で先月練炭通りの指導をしましたが、最初の5日間に作ったものはほとんど不合格でした。最近やっと5~6割が合格品になってきました。きちんとしたものを作るのは、意外に難しいものです。そして、一番難しいのが、せっかく作った練炭が不合格となった時に、これを廃棄させることです。どうしても『あと少し、ほんの少し基準に満たないだけ』と思うと、手間を掛けただけに、捨てることができなくなります。これを、心を鬼にして確実に捨てさせるのが、責任者の役目です。
まず500個、適切な目標だと思いますよ」
義兵衛は不意に金程村で最初に練炭を作り始めた頃のことを思いだした。
あれからまだたった5ヶ月しか経っていないのに、随分と遠くまで来たものだ。
こんなことになるとは、想像すらしていなかった。
飢饉対策のための資金を得る手段であることを、努々(ゆめゆめ)忘れてはならない。
そして、9月からの売り出しで失敗してしまえば、全部が御仕舞なのだ。
椿井家の知行地、杉原家、萬屋、そして佐倉藩、皆の将来がこの一点にどんどん集まってきているのだ。
「藩として今後の運命を握っていると私が信じて行う木炭加工の事業の一端を見てもらった。
各々、この事業に参加するかどうか、充分考えて返事を頂きたい。
最後に、練炭の作り方を体得してもらった後は、奉公人を募って作業してもらうことになる。最初は無収入なので食費や給金分の持ち出しになると思うが、それを含めて判断してもらいたい」
集まった面々は、やはり武家の者であり、金を得るために木炭にまみれるのを良しとはしない風を感じたのであろう。
実労働は奉公人を雇うことにする方針を提示して締めくくった。
釈然としないものを感じはするが、佐倉藩が藩として練炭を大量に生産するのであれば、異論を挟むこともない。
ただただ、これで得た資金で、佐倉藩の領民、特に出羽・山形の飛び地で餓死者が出ないように手当していて貰いたいと願った。




