勘定方・吉見治右衛門 <C2389>
佐倉藩御城下の武家屋敷の並びに吉見様の御屋敷があった。
吉見様は佐倉藩で100石取りの家である。
旗本であれば100石取りは石高取りでは最下級の武士となるが、藩の水準であれば100石取りというのは中堅所となる。
総高400万石の将軍家に仕える500石と、総高11万石の藩に仕える100石では政治的な重さが違うのは当然だろう。
総高1万石の藩であれば、100石はもはや上級武士の扱いとなるのだ。
ただ、比率ではそうなるものの収入の絶対額ではやはり少なく、表向きはともかく内情は厳しいようだ。
突然の来客に、しかも2人も居るのだからその慌てぶりは通された座敷に居ても漏れ聞こえてくる。
屋敷の中では北町奉行・曲淵様の家臣・安兵衛さんが主客、旗本・椿井家の家臣・義兵衛がその御付・中間という理解のようだ。
「御家老からは『この話は得心行くまで調べよ』と申し付かっております。
まず、この話はどの程度の規模で捉えれば良いのか、が見えておりませぬ」
「ここまで何故かどなたもそこへの質問はなされませんでした。
江戸で必要とされている練炭の内、この佐倉で作っていただきたいのは最終的には日産5万個になります。
1個130文で考えると、萬屋は毎日金1625両(1億6250万円)を藩へお支払いする、ということです。月締めでは48750両(48億7500万円)となります。
ただ、毎日5万個作るというのは生半可なものではございません。充分な準備をしていても、なかなか難しいことです」
勘定方である吉見治右衛門様は、佐倉藩の財務に携わっているだけあって、この売り上げの数字に食い付いた。
「毎月48750両とは凄まじい金額ですな。しかし、その金額を得るために、それ以上の費用がかかっては元も子もありますまい。
御家老様は勘定の話を嫌っておりますが、私は勘定方の端くれでございます故、好悪ではなく扱うことの必要性・重大さを判っております。
それで、その金額を稼ぐことについて、具体的な事例で教えてくだされ」
「今練炭を製造している工房は、椿井家の知行地の金程村と、杉原家の知行地の名内村の2ヶ所です。
練炭は元々金程村で製造を始めたのですが日産が高々2500個でしかないため、今月から名内村でも製造してもらっています。名内村では、現在日産5000個と聞いておりますが、最終的に日産1万個程度にはなる模様です。ただ、これでも江戸の需要を満たせないため、もっと大量に生産できる所をご紹介頂いたという次第です。
具体的な事例としては、名内村の実情が適切でしょう。
5000個生産すると、全部で162両2分(1625万円)の売り上げとなります。まず、その内の50両が杉原家の取り分となります。それから、58両が名内村の取り分、富塚村の取り分が54両2分となります。おおよそ3分の1が各々の取り分となります」
義兵衛は、指導料として取り立てる10文を差し引いて説明をしている。
萬屋が源泉徴収しているようなものなので、買い上げが独占できている間であれば気づくことはないはずだ。
そして、佐倉藩への説明では、最初から省いて説明したほうが良いと判断しているのだ。
義兵衛の説明を聞いて治右衛門様が噛み付いた。
「名内村で作っておるのに、富塚村の取り分とはどういうことじゃ。また、その内訳はどうなっておる」
「本来は、名内村で一貫して原料の調達から製品の納入まで行えれば富塚村の取り分は発生しない予定でした。
しかし、名内村の中で練炭の原料となる木炭が乏しかったため、近隣で木炭を作っている富塚村から購入しています。この費用が21両です。おおよそ420俵の木炭俵を仕入れておりますが、4貫1俵のものを1俵200文(5000円)で購入しています。もちろん、名内村でも木炭を作るように指導はしておりますが、急なことで全く用意ができておりませんでした。そして、木炭を作る炭焼き窯の技術もなく、更に良質な木炭を作るための雑木林の管理もできておらず、こういった基礎が定着するのには最低でも2~3年はかかるでしょう。
折角の広い雑木林があるのに、残念なことです。
そして、後の33両2分ですが、これは出来上がった練炭の運賃です。
名内村では、村から江戸まで出来上がった練炭を運び出す余力がなく、木炭の購入を頼った富塚村にその輸送を頼んでいます。富塚村には、江戸へ木炭を売りにいった経験者がおり、名主の息子で川上右仲さんという名前ですが、馬を使って運ばせております。
馬1疋で120個の練炭を1日かけて運びますが、この費用で3分(75000円)かかるそうです。
佐倉は江戸までの往復を1日で済ませるには難がありましょうから、陸路ではなく川を使って運ぶのが良いと考えます」
実は富塚村の輸送でも1日で往復できていない。
実際は、名内村よりも若干江戸に近い富塚村に練炭を運んで積み上げ、ここから馬に振り替えて輸送しているのだ。
そして、早朝に出立することで時間を稼いでいる。
もっとも、夏場なので2隊を時間差で出す業を使えているのだが、昼間の時間が短い冬場は1隊出すのがやっとだろう。
量が多いというのは、この時代の陸路輸送にとって結構足枷となりそうなのだ。
ただ、治右衛門様の関心はそこにはなく、質問が続いた。
「2点、確認がある。
杉原様の取り分50両は、何かの働きの代償なのか。それから、名内村の取り分58両は、それで村人がやっていけるのか」
「杉原様の所では年貢米を石高の230石に見合う280俵を納めるよう指示しておりましたが、この練炭製造に従事することで、自家で消費する80俵だけ納めるように指図しております。この結果、百姓への負担は減り練炭作りに人手を回すことができます。
今現在60人程度が男共だけではなく、女・子供含めて総員をつぎ込んで練炭作りをしております。皆、年貢が軽くなったという思いで御殿様の指図に従っておりますが、その背景には給金の設定があると思われます。
人によって金額の差はありますが、1日練炭にかかわる仕事をすると、名主から少なくとも500文(12500円)、作業の内容や役目によっては2000文(5万円)も出す、と名内村に駐在している者から聞いております。多くの者は600文~800文という手当てですが、皆少しでも高い給金を貰えるよう必死と聞き及んでおります」
助太郎から聞いた内容を説明した。
要は給金で村人にやる気を出させているのだ。
これは、名主・秋谷修吾さんが考え出したものとも聞いた。
ただ、村にはまだ現金は入ってきている訳でもないので、季末の精算時にこのあたりは反映されるに違いない。
今は秋谷様が付けている帳簿と、それを告げる言葉だけなのだが、そこは名主の信頼度・力量なのだろう。
「それで『この冬場に練炭不足を起す訳にはいかぬ』という話で全てくくられておるが、実際に不足するほど練炭は売れるのか。
もし、売れなかったらどうなる。そこまで、この七輪・練炭に魅力があるようには感じておらぬのだ。
なんとなれば、木炭を火鉢で燃やせば良いではないか。それとも、これを扱う萬屋に何か宝の山でもあるのか」
流石に勘定方ということもあってか、物に対する評価が厳しい。
作った物が売れなければ、萬屋が潰れて佐倉藩への入金はなく、おそらく、杉原家も椿井家も潰れる。
だが、この七輪・練炭は間違いなく流行るのだ、いや流行らせるのだ。
ただ、今は暑い盛りの夏場だけあって、この七輪・練炭の特徴・魅力をどう説明すれば信じて貰えるのか、しばし悩んだ。
できたてで見直しできておりませんが、とりあえず投稿します。




