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佐倉藩上屋敷にて <C2387>

 ■安永7年(1778年)7月22日(太陽暦8月13日) 憑依163日目


 七輪2個と練炭8個を手土産として持った義兵衛は、御殿様と一緒猿楽町(小川町:現千代田区神保町)の佐倉藩上屋敷を訪れた。

 中間の者たちを玄関脇の中間溜まりで待たせて、御殿様と義兵衛の2人だけが座敷へ通された。

 座敷で待っていると、御家老様と御殿様が入ってきた。

 身分が大きく違う義兵衛は部屋の最下座でつくばるように頭を畳にこすりつけた。


「御老中・田沼主殿頭とのものかみ様より、椿井庚太郎殿に会って話を聞けと言われておる。その折に家臣の細江義兵衛を伴えよ、との不思議なことも聞かされておる。

 なんでも佐倉藩・掘田家にとって都合の良い話とのことじゃが、概要を聞かせてもらいたい、とのことである」


 堀田様は最初に一言挨拶に対する返事を返しただけで、後は横に座る御家老が話を始めた。

 佐倉藩の御家老様は、若林杢左衛門わかばやしもくざえもん順積ありつみという名前で、当年55歳とのことであった。

 15年ほど前に、お上の命で日光山本坊の修繕を仰せつかった時に陣頭指揮を取り、恙無つつがなくお役目を成し遂げた剛の者とのことだ。

 ただ、この堀田家は先代の堀田正亮ほったまさすけの時代に老中となり、延享3年(1746年)出羽山形藩10万石から下総佐倉藩10万石へお国替えとなっている。

 そして、宝暦10年(1760年)に1万石を加増されている。

 この加増によって、お国替えでからっぽになった財政に少し光明が差した感じであった。

 それを見届けた堀田正亮は、翌宝暦11年(1761年)に50歳で亡くなり、そしてまだ17歳と若かった堀田正順ほったまさなり様が2代目藩主に納まったのだった。

 しかし、宝暦13年(1763年)の日光山本坊の修繕を命ぜられ、結果として約13万両の借金を背負うこととなり、佐倉藩は財政面でかなり困窮していたのだった。

 そういった背景を知ると『掘田家にとって都合の良い話』というのは、儲け話と受け取られてもしかたあるまいと思える。

 どう話が振られるか判らないなぁ、と思っているうちに、庚太郎様は話し始めた。


「率直に申し上げます。

 我が知行地は500石ですが、木炭を加工することでの殖産で潤い始めております。

 それが今回献上させて頂いた練炭でございます。

 火鉢で木炭を燃やすのとは異なり、七輪で練炭を燃やすと長時間、一定の時間でゆっくりと燃える特徴がございます。

 夏場なので有難味は大変判り難いのですが、長時間暖を取るのに非常に都合が良い道具です。

 それで、この練炭を佐倉でも作って頂きたく、申し出た次第です」


 義兵衛は持参してきた七輪と練炭の内、中間に渡さず手元に残していた七輪1個と練炭2個を大きめの懐紙に載せ、御家老様の前に差し出した。

 これを目にした御殿様は体を七輪の方に向け興味を示し、御家老様の言を手で制止して言葉を発した。


「これは面白いものを見る。どのように使うのか。実際に使って見せよ。

 ああ、この座敷での儀礼は止めじゃ」


 御殿様の一言で座敷の中での縛りは一時棚上げとなった。

 庚太郎様は、七輪の中に練炭を入れ、残った練炭1個を御殿様の前に差し出した。

 御殿様は練炭を手に取り、レンコンの様に開いた10個の穴を不思議そうに眺めている。


「椿井殿、その七輪はどう使うのかな」

 御家老は急いた。

「ここで火をつけますが、良いでしょうか」

「かまわぬ」


 義兵衛は一礼して懐から紙縒こよりと火打ち石を取り出し、七輪の所へにじり寄り、練炭の上に紙縒りを載せると火を付けた。

 ほどなく火は紙縒りに広がり、練炭の上面全体が赤く染まった。

 義兵衛は通風孔を全開にして手の平で風を送り込み、確実に着火していることを確認し、それから元の場所へ戻った。


「このように練炭に火をつけますと、おおよそ4刻ほどかかって練炭は燃え続け、七輪は熱を出し続けます。

 火の勢いは七輪下にある穴で調節し、今は全開ですがこれを閉めると火は小さくなり、より長い時間燃え続けます。

 冬場は、この横に居ると温まりますので、一度使うとなかなか手放せなくなります」


 まだ33歳と若い御殿様は好奇心を抑えることが出来ないのか、火のついた七輪の側に寄り、通風孔を開け閉めしては練炭を覗き込んでいる。


「御殿様、お戻りくだされ。それでは話が進みませぬ。

 それから、庚太郎殿。暑くてかなわぬ。火をどうにかしてくだされ」


 渋々といった表情で御殿様は元の位置に戻り、それと入れ替わりに義兵衛が七輪の側ににじり寄り火消し用の蓋を被せた。


「さて、椿井殿。どういった物を作らせたいのか、という点は判ったが不審に思うことが幾つかあるので、御説明頂きたい。

 木炭加工で殖産し、御家が潤っていると最初に仰ったが、それがどういった具合なのかをまず知りたい」


 御殿様は、仕出し膳料理の焜炉料理で使う小炭団を引き合いに出し、その経緯を説明した。


「このようにして、小炭団を売り込み流行らせたのでございます。

 ここからは、御耳汚しで恐縮でございますが、勘定の話となります。

 1個辺りの値段は安いものの、江戸で消費される量には凄いものがあって、毎日何千個も使われます。すると、季払い期限や年末までには結構な金額が売掛金として積みあがっておるのですよ。

 おかげ様で、積年の借財を一掃することができ、また知行地の里・全部で4ケ村ですが、それぞれの村と館にも飢饉対策のための米倉を、やっと設けさせることもできました。

 また、こういった取引交渉で、金子を借りることの恐さも改めて感じた次第で御座います」


「うむ、それで練炭のことに戻るが、なぜ当家に製造をさせようとなさる。

 木炭加工で儲かるというのであれば、椿井家の里で作って商売をなさればよろしかろう」


「実はこの練炭、当家の里で作るのは限度があり、とてもこの冬に江戸で消費される量を賄いきれないのです。

 そう考え、同じ旗本の杉原殿の知行地で試しに作らせてみましたが、合わせてみても見込みと比べて1桁数量が足りぬのです。所詮、500石と200石の旗本ができる範囲ではたかが知れております。

 折角、七輪・練炭と便利なものを作っても、これが燃料切れでは人々からそっぽを向かれてしまいます。ならば、近郊の力のある御大名をあたってみては、と考えた次第です」


「それだけではあるまい。近郊の大名家であれば、忍藩(10万石)や関宿藩(約48000石)、近くは生実藩(1万石)や岩槻藩(23000石)などもござろう。なぜゆえ佐倉なのじゃ」


「それは、練炭の原料となる木炭が豊富に作れるところに由来します。先に杉原殿の知行地・手賀沼の南側に位置する名内村で、練炭を委託生産し始めておりますが、下総台地は木炭の原料となる木材が豊富にあり、江戸の需要を賄えるものと考えた次第です」


 ここまで庚太郎様と御家老様が質疑応答を重ねているところに、御殿様が口を挟んだ。


杢左衛門もくざえもん、くどい。

 椿井殿は何かの目算があっての話じゃ。そうでなければ、御老中・田沼主殿頭も話を伝えはせぬ。

 お前が納得いかぬのであれば納得いくまで相談し、その後にワシに報告せよ。

 椿井殿とて、何分紙の上の話だけであろう。実際に検分した訳でもあるまいて。検分がてら佐倉の屋敷で関係する勘定方を交え、可否を判断せよ。

 それで、庚太郎殿。横に控えておる義兵衛こそが鍵なのであろう。そうでなければ、あの田沼主殿頭様がわざわざ名前を出すこともなかろう」


 この指摘に、庚太郎様は参ったという顔をした。


「これは恐れ入りました。佐倉の御屋敷に伺うのは、この義兵衛になるでしょう。見た目は小僧ですが、見所がある者で、我が家では重用しております。御見知りおき頂ければ幸いです。

 若林様、この義兵衛の言葉を信じてよく話し合って頂きたく、よろしくお願い申し上げます」


 これで御殿様が退出し、その後に御家老の若林杢左衛門様と佐倉の御屋敷を訪問する日程を詰めた。

 そして2日後の7月24日、御家老様が御領地に戻るときに同行することとなったのだ。


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― 新着の感想 ―
[一言] この作品世界の物理現象の設定がどうなっているか……で変わりますが 現実世界の物理現象を想定した場合、木炭にした場合は、 元の木の種類でできる炭の性質が変わります。 それを粉にして成形した場合…
[一言] 「堀田家にとって良い話」という言われ方ですと、「官位」や「伺候席」を昇格させるためや「財政再建案」を渡す代わりに再度の「御手伝普請」の申し付けて来る事なんかも考えていたでしょうからね~。若林…
[一言] 佐倉藩はかなり藩主の入れ替わりが激しい藩でしたし、佐倉惣五郎の伝承などもあるように民衆は困窮しがちだったようですから儲け話を期待するのは仕方ないですね。
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