杉原様への依頼 <C2385>
■安永7年(1778年)7月20日(太陽暦8月11日) 憑依161日目
助太郎との話し合い、名内村の状況を把握し終わったこともあり、早朝に江戸へ向った。
鮮魚街道を使い、松戸宿を通り千住大橋へ急ぐ。
昼過ぎには御屋敷へ帰り着き、御殿様と紳一郎様を前に事の次第と見込みを報告した。
「練炭製造の状況は判った。こちらも御老中・田沼様からの話が上手く伝わったようで、明後日の午後に佐倉藩上屋敷で藩主の堀田様に直接お目見えできる段取りとなっておる。
あと余談ではあるが、昨日に越中守(松平定信)様のところへご挨拶に伺っておる。田安家の御家老へ今回推挙頂く件は取り下げてもらった。やはり『無役の者がいきなり大役、ということへの抵抗は大きい』という安兵衛が申した話がよう効いた。それで、とりあえず推挙頂くのを勘定奉行配下の油奉行参与ということにしてもらう方向となった。
実の所、昔は油奉行はきちんとした業務としてあったが、漆奉行が兼務するようになってから実奉行職は無くなっておったのだ。奉行という名目を与え配下を通常とは異なり極少数に絞り、御役を限定することで期間限定で復活させる算段なのだ。この件、実は御老中様にも既に話しておる。この臨時の油奉行で実効を挙げた後、業務を油漆奉行に移管し、それが落ち着いてから改めて田安家のお側用人へ推挙頂くということで得心して貰った次第よ。
まあ、これとて在来路線ではなく異例の出世という風には見えるのだがな。そもそも、油漆奉行は遠国代官などでの功労者を当てるが通例であった。この列を乱すまいとして、臨時に旧奉行を復活させ、御役完了と同時にまた廃止といささか面倒なことをする。同僚の方々への説明は厄介ではあるが、遠国代官出身の者との交わりは今義兵衛がしておる苦労の延長上にあろう。御役をきちんと果たすことで、勘定所の中に思わず根を張り芽が出ることもあろう」
何やら期間限定プロジェクトを立ち上げ、その成果でもってほどほどの安泰できる地位に付けてもらう算段というのは理解できた。
「それで、油奉行で果たされるお役目とは一体なにでございましょう」
庚太郎様は不意にニヤけた顔になった。
「七輪の設置じゃ。城内の各番所と中奥の主だった所へ七輪を配し、切れ目なく練炭を渡す役目じゃ。油漆奉行の役目に灯油の管理があろう。行燈の手入れと同じように、基本は夜通し居る夜番の者に便宜を図るということなのじゃが、行燈と違い冬場しか出番が無かろう。そして、冬場前に七輪を配り、春先で回収・保管すればよい。あとは七輪の使用状況に応じ、練炭を都度配布すれば終いとなる。
そうさのぉ、まずは100個ほど試しと称して随所に配り、1ヶ月ほどしてから900個追加、という合計1000個が始まりかの。おそらく、暖を手にいれたら手放すまいて。そうすると、あちこちで、特に大奥で七輪を求める声が寄せられ、それなりの値段で追加購入せずばなるまい。少なく見ても年末時点で全部で5000個くらいの七輪が城内で使用されよう。
それで、今年の冬、来春までを恙なくこなせばお役目は終わりとなり、油奉行参与は別の所へ行き、配下で手伝ってくれた者達は油漆奉行配下に異動となって七輪・練炭の管理を続けることになる。
そう考えておる。もし、ことが上手くいけば、この屋敷に積みあがっておる七輪も、いくばくかは掃けよう」
「慧眼、恐れ入ります。御城内で使う練炭が無い事態となりませぬよう、この義兵衛は努力いたします」
御殿様はなんとも上手い方法を考えついたものだ。
本来なら業者が賄賂を贈るなどしてお役人と顔つなげし、出入り商人として認知され、やっとお買い上げ頂くという段取りを、自ら買う側に立つことで有利に進めようという魂胆なのだ。
懸案となっていた武家への浸透が、こうもあっさりと出来る方法があるとは思いも依らなかった。
ただ、幕府としての財政はどうなるのだろうか。
おそらく財政難の緊縮予算で回している所に、あらたな出費費目ができるのは難しいに違いない。
その懸念を表明すると、御殿様は事も無げに言い放った
「甲三郎が関与し、勘定方で扱う新しい策によって得られた収入を、七輪と練炭の購入に充てればよいだけのことだ」
その方策の一つに能登の土での収入があるが、それは結局のところ義兵衛が土を山口屋から買い上げ、山口屋が運上金として勘定方に渡した金の一部で、それが、萬屋を通して義兵衛の所へ戻ってくる。
そして、そのお金で山口屋から土を買う。
要は、お金がいろいろな経路を通って単にグルグル回っているだけなのだ。
そして、回りながら必要なものを必要な所に納めていくのだ。
お金は食べる訳でもないので、世の中の総量は減るはずがなく、むしろ増えていくしかないものなのだ。
義兵衛は御殿様の言葉に、お金の本質・深遠を気付かされたような気がした。
「そのことはもう、自分の気にすることではございませんでした。ただ、一生懸命自分に任されたことを成し遂げれば良い、ということを改めて認識いたしました」
御殿様はこの言にニッコリし、報告は終わった。
その後、義兵衛は名内村訪問の後始末のため、杉原様の御屋敷へ向った。
杉原様の御屋敷で名乗ると、直ぐに座敷に通された。
「今朝まで名内村での木炭加工工房の状況を見て参りました。
名主の秋谷様からのご報告もありましょうが、留意すべきと思われる点もあり、改めてお願いをするため伺った次第です」
主人である杉原様と代官をされている山崎様を前に、義兵衛と安兵衛さんは畏まった。
「まず、練炭の製造について、すでに2万個を作り終え名内村から搬出しております。萬屋での受け取りをまだ確認してはおりませんが、この内杉原様の取り分は1個40文ですので200両の売掛金が出来ております。また、日産5000個という状態にまでこぎつけることが出来たようです。これは、毎日売掛金が50両ずつ増えるということです」
杉原様と山崎様は破格の笑顔になった。
200石取りの旗本家で、200両(2000万円)の臨時収入、それも話が持ち込まれてから1ヶ月しか経っていないのだ。
しかも、これから毎日50両(500万円)の泡銭が見込めるという報告なのだ。
知行地からの年貢米は多くて年100石の家柄で、これは年収100両(1000万円)ということなのだ。
通常は米を金に換えて生活費とするのだが、どこの武家でもそうであるように借金浸けとなっているに違いない。
おそらく2年分前借して200両の借金があると想定すれば、それを一掃するだけの利益が知行地から上がってきたのだ。
ちなみに、200両の利息は20~30両あるに違いなく、借金を減らす方策がなかったのだろう。
「細かい報告は聞いておらなんだが、このような吉報であれば何度聞いても良いものだ。椿井様には大層お世話になっておる。
それでお願いとは何かな」
杉原様は直々に尋ねてきた。
「村の取り分の件でございます。原料の木炭で50文、加工費で40文の合わせて90文が村の取り分ですが、木炭が不足し近隣の富塚村から購入しております。また、名内村から江戸まで出来上がった練炭を運搬しておりますが、この運搬も富塚村に頼っております。こういた事情で、2万個を卸して名内村に入るはずの450両のうち、結構な金額が富塚村の取り分となっています。
そのことを名主の秋谷様、工房責任者の血脇様に認識して頂きたいのです。
御殿様からの書簡を山崎様が伝えるという格好で、きちんと念押ししておいて頂きたいのです」
ことの必要性・重要性を認識してもらい、名主へ伝えて対応してもらう確約を済ませ、杉原様の御屋敷を辞したのだった。




