佐倉展開に向けての相談 <C2384>
佐倉での練炭作りに欠かせない木炭の製造について、川上右仲さんに頼ろうとした。
「義兵衛さん、それはお門違いというものだ。
佐倉へ木炭を作る技術を教えたところで村への見返りは何もなく、競合相手を作るだけではないか。
ここでいろいろと教えてもらいはしたが、それはここで木炭製造に協力したことで返しているつもりだ。
名内村で必要とする木炭の10倍もの量ということであれば、そもそも富塚村で担える量ではない」
「判りました。おっしゃる通りです。
そうすると、佐助さん達が佐倉藩で炭焼き技術を伝授しても特段問題はないのですね」
右仲さんは腕を組み渋い顔をしながら頷いた。
「しかし、義兵衛さんのところの御殿様が、なぜ佐倉藩で工房を開くよう指図されたのだろうか、そこが解らん。
10倍もの木炭を使って物を作る工房が佐倉に出来たら、この名内村の工房なんてひとたまりもなかろう。そうすると、なぜここに工房を設け、それを潰すような真似をなさるのか、その真意が見えん。同じ旗本の杉原様がこの話を聞いたら、激怒するような気がする」
これは、練炭を作ることでの利益が膨大で、かつ需要も考えられないほど大きいというのが背景なのだが、義兵衛はその経緯を説明すべきか逡巡した挙句、違う説明をしてごまかした。
「御殿様の仰せになることです。私のような弱輩者が推し量れるようなものではございませんし、まずは指図通りにすることが先決なのですよ」
まさか、この企ての全部に義兵衛が糸を引いていることまでは判るまい。
果たして、右仲さんは義兵衛の言に『それもそうか』という様子で頷き、会話は終わった。
右仲さんが離れていった後、御殿様からの指図について佐助さんに伝えた。
「こういった事情で、佐倉藩にも練炭の製造方法を伝授し、工房を起すための下準備をせよ、と言われたのです。
もし、佐倉藩で木炭の製造に難点があると思われたら、名内村で行ったような炭焼きの指導はできますでしょうか」
「そうさな、軌道に乗るまで20日程度といったところでしょう。
それで、佐倉藩で指導した場合、ここで貰えるお手当てより多少増えると思っておいてよいのでしょうかね」
抜け目ない佐助さんの、それでも控えめな申し出に頷いた。
今回の名内村行きについては、30日間の予定で一人3両(30万円)を給金として渡す約束をしている。
一日人足をすると200文という時価に比べると、2倍ほど(日給1万円)も出しているのだから、佐助さん達にすれば今回の名内村での仕事は随分良い儲けになっているはずなのだ。
細山村で樵仕事をしていたなら、せいぜい人足程度の稼ぎしかないのだ。
「もし佐倉で炭焼きの仕事があれば、20日間で3両出すということでどうでしょかね。一日あたり600文(1万5千円)であれば納得されるでしょう」
工房に入る費用で賄うつもりだが、この金額になるともはや破格ともいえる扱いになる。
佐助さんはこの返答に大喜びした表情になっている。
「ただ、佐倉ですでに黒川村と同程度の規模で木炭が作られているのであれば、6人もの応援は不要となるだろうから、そこの所は誰が行くのかきちんと選別しておいてください」
こうなってくると、江戸で担当される方との話や、下見が重要となってくる。
さて、後は工房への支援をどうするか、なのだが、これは助太郎と話すしかない。
ただ、助太郎も金程村を離れてもう20日ほどになるので、里の工房からどう指導者を引き出すのかは難問だろう。
しかし、話をしないと始まらない。
「佐倉藩でも工房を立ち上げ、練炭を製造する件について、指導する人をどう工面すれば良いだろうか」
義兵衛は婉曲な表現ではなく、助太郎にそのまま質問を投げかけた。
「うむぅ~。いずれそう話が来ると思っていろいろ考えているのだが、良い解がない。
工房内の作業自体は、慣れればどうということがないのだが、実際に問題となるのが品質管理なのだ。この名内村でも、検査をして不合格のものを撥ねるということへの抵抗感は根強いものがあった。それも、まだ子供に類する近蔵が確認して不合格を宣言していただろう。目上の者や大人がこの役目を担うのは容易いが、子供然とした者から指摘されるのは、やはり難がある。
だが、里の工房には子供しかいないだろう。結構強く拒絶されていた近蔵でさえ、工房の中では大きい方なのだ。
これをなんとか解決しないと、前途多難だ」
練炭を作る作業はどうにかなるが、品質検査・管理の指導をするのが子供というのが問題、という指摘をしているのだ。
「弥生さんと近蔵は、年末まで7ヶ月の長丁場でここを支援するのだろう。来年には里へ戻すことになる。
そうすると、名内村工房で品質検査の責任者と担当者が必要になるだろうが、そこはどうなっている。場合によっては、促成だが、名内村から指導者を出すという格好でも良いのではないかな。
その覚悟で、品質回りの人員を見直してもらえないか」
それはとても良案に思えた。
「そこの人員を見直して、佐倉へ送り込む人を育成するのは良いが、実際に送り込むのは難点があるぞ。
まず、全体の責任を持つ名主・秋谷さんの了解が要る。そして、工房の責任者の血脇さん、派遣される本人と結構説得せねばならん人は多い。とてもでないが、今言い出す訳にはいかない。それに、いつ派遣するかも問題だ」
助太郎の反論ももっともだ。
ここは関係している者を金で転ばせるしかないだろう。
幸い、ピカピカの小判ならある。
あれを5枚、富塚村の名主・川上さんに渡した時の、秋谷さんの表情が目に浮かんだ。
ここの村では小判など手にすることが無いに違いない。
いや、今でこそ両という単位に馴れ、小判というものも手にすることもあるが、義兵衛も村に居たときは小判を目にすることも無かったのだ。
それを目くらましに、何人かを佐倉へ送り込ませることが出来るに違いない。
その案を話すと、助太郎は手を打って笑った。
「そりゃいいかも知れない。ただ、切り札を出す時の見極めが重要だろうな」
横でこの遣り取り、助太郎の意見を聞いていた安兵衛さんがボソッと呟いた。
「これは、面白い話を聞けました。これを聞いた御奉行様は、義兵衛さんと助太郎さんの苦労も知らずにきっと喜ぶのでしょうな」
事態に責任のない安兵衛さんはさておき、大まかな方針は助太郎と合意が取れた。
品質管理について、里では近蔵から津梅福太郎(8歳)へ引き継いでいるのだが、福太郎だけではどうにもならない。
里で福太郎と一緒に作業している担当を責任者に上げ、福太郎を名内村にもってきて、近蔵と名内村の大人を佐倉へ指導員として送り込む、という方針なのだ。
流石に福太郎の言うことを聞く大人は少ないだろうから、福太郎は名内村の担当に伝え、そこから面々に伝えるように良く言い聞かせておけばなんとかなりそうだ。
一時的とは言え福太郎を引き抜くことが検討できるのも、里の工房の直行率が98%と極めて高いことが背景にある。
そして、工房の作業者は、名内村の娘を借りれば良い。
ともかく、里の工房内作業員を減らさないで済ますには、これしかない。
驚くべきことに、助太郎はこの名内村で練炭を製造するための道具を複数製作していたのだ。
「この道具は、名内村で日産1万個を越える増産をせねばならなくなった時に備えたものだ。だが、佐倉で新たに工房を立ち上げるなら、この道具を持って行けば良い。そうすれば金程村から運ぶより、手間が減る。
それはそうと、福太郎を呼ぶには、やはり自分が行くしかないだろうな。期日を切られたら、それに沿って動こう」
こうして、あとは佐倉藩の御屋敷での相談結果如何となるところまで、なんとか詰めることができたのだった。




