加工の付加価値 <C2383>
■安永7年(1778年)7月19日(太陽暦8月10日) 憑依160日目
昨夕、助太郎に状況を確認し、村の課題は、まずは木炭の確保にあることが判明した。
昨夜のうちに名主・秋谷修吾さんに挨拶をしたのだが、どうもこの課題がどれほど重要か、全く認識されていないようだった。
だが、例え木炭が潤沢にあるとしても上限が1万個に過ぎないことも同時に見えてきた。
ここの工房の目標は、金程村の工房の4倍の生産能力だが、取れ高200石の名内村の規模からいって生産に動員できる人数は限られているのだ。
しかし、それでもまずは日産1万個を目指してもらうしかない。
今日は佐助さんと雑木林の整備状況と木炭の生産について、現物を見ながらの確認となった。
「まずは雑木林の方ですが、やはり結構広いので、まだ計画の4分の1ほどしか整備道がついていない状況なのさ。だけど、やり方だけ見せて覚えてもらって、あとは任せるしかない、と思っております。150区画作って、毎年5区画を伐採・植林するという方法で管理するのですが、この1区画を整備するのがやっと始まったところです。ここの名主様は、本当にやり切る気があるのですかね。よほど上手い利益があがることを実感できないと、このまま荒地に戻りそうで、見ていられません。
長い目で見ることが出来る管理人を立ててもらわないと、あの名主が直接の責任者では1巡する30年も持ちませんよ。
それから、炭焼き窯ですが、これは立派なものが作れました。
1回だけ、なんとか乾いた木材があったので焼いてみました。すると、狙い通り80貫(300kg、20俵)の木炭が出来ました。これには手伝ってくれていた富塚村の川上右仲さんも驚いていました。
ただ、後が続かないのですよ。ある程度乾いた原木がないと上手く炭は作れません。普通なら、秋口に伐採した木を晒してある程度目処がたってから炭焼きするのですが、今の時期では伐採した木をいくら晒しても水気が思ったように抜けていかんのです。細めの枝はともかく太い幹は、折角良い大きさなのに割らねばならない状況ですよ。今はそうやって炭となる原木を、時間をかけて作っていくしかありません。
なので、本格的に生産できるようになるのは、来年春頃からになりそうですな」
やはり、いくら広大な雑木林があったとしても、それだけでは木炭を供給できないようだ。
ちなみに炭焼き窯は今年中にあと9個程作る予定で線引きは終わっている。
こちらも責任者は名主の秋谷修吾さんなのだが、どうも動きが鈍い。
木炭が不足するのであれば、他村から購入せねばならないのは道理だが、昨夕助太郎が説明してくれたように、その分利益が減ることを実感してくれないと本気にはならないだろう。
いや、それでもそこそこの利益が手元に残るなら、それでも良いと判断してしまう可能性もある。
まあ、名内村の収益減については、文句を言われる筋合いはないが念のためこの知行地を任せられている旗本・杉原様、もしくは代官の山崎様へ具体的な内容をお知らせし、そちらから説明してもらうしかなさそうだ。
炭焼き技術を名内村に伝授するにあたって、必要とする原木が用意できないため、結局富塚村の右仲さんから融通してもらう状態となっている。
もっとも、名内村の面々に教えるつもりが、いつの間にか原木を持ってきた右仲さんが入り込み、そちらに教えているというのが実態になってしまっている。
ちょうど原木を担いでやってきた川上右仲さんを交えた会話が始まった。
「こういったある程度乾燥した炭の材料となる木は、あとどれ位ありますか」
「ああ、この木は富塚村の木だけではない。実は、村に隣接する中野牧の整備を命じられていて、そこから運び込んでいる。去年伐採した木がかなりあって、牧の一角に積み上げてあるのだ。お上は伐採された跡地には馬場としての価値を見出しているが、切られた木については雑木ということで捨て置いている扱いだ。なので、結構な量はある。そうさな、10万束(750t)以上は積んである。
そして、この木材の山を作業賃として貰い受けることで御代官様と話がついていて、富塚村の者は薪として勝手に持ち出して良いことになっている。
細かな話だが、薪1束で2貫目になるが、これを4文見当で名内村に卸している。こちらの窯には80束詰めて焼くので、原木代は1窯で320文。ただ、こちらの工房から木炭が不足するというので、薪だけでなく木炭を1俵(4貫:15kg)200文で卸している。
ううん。1俵の木炭の原料は8貫なので、焼く燃料のことや手間を考えなければ、原木を16文が木炭で200文に化ける寸法になる。説明が下手で分かり難いかも知れんが、富塚村としては、炭の原木を1窯分320文で売るより、木炭を1窯分4000文で買ってもらったほうが本当は有り難い」
この時代の村人としては、なかなか良い着眼点である。
薪を売るのではなく、それを木炭に加工すれば付加価値が付いて12倍程の値段で売れるのだ。
ただ、今工房でしている作業は、木炭を更に練炭に加工して付加価値を付け約8倍の値段で卸すのだ。
つまり、原木4束16文が、木炭1俵200文に化け、それが練炭11個の1540文に化けるのだ。
もっとも、名内村で受け取るのは原木代・木炭代を込みにして990文に過ぎない。
あとの440文は御殿様がとり、110文は椿井家がピンハネするのだが、それでも村人の前で200文が5倍に化けて見える。
ここまで教える必要はないので黙ってはいるが、いずれ気づく可能性はある。
1俵を基準にこの値段だが、1窯で換算すれば80倍の金額になるのだから、村では1窯で20両受け取りとなるのだ。
「それはそうですが、これからも大量に木炭を買い入れますので、原木はおまけしてもらいたい位ですよ」
「そうですな。こちらで炭焼き窯の作り方、良い炭の作り方を見させて頂きましたので、それ位はお礼できるかな。ああ、牧からこちらまで薪や木炭を運ぶ運賃をおまけするということでどうかなぁ。
ともかく、富塚村でも木炭作りに精が出ているのだ。なにせ、作る分は全部こちらで引き取ってもらえる、というのは有り難い。
こちらの真似をした80俵の窯ではなく、120俵の窯を作ろうという機運もある位なのだ」
どうやら、必要量は提供するが、きっちり請求をするようだ。
本稼動して日産1万個となった時には、それでも間に合うか、という水準になるに違いない。
毎日複数の窯を並行して専ら炭焼きするようになったら、きっと良質な木炭を量産する技術が身につくに違いない。
名内村への木炭の供給について、金銭面を除き問題がないことの確認は取れた。
「右仲さん。もし、富塚村から6里ほど離れた佐倉から木炭が沢山欲しいと言われたら、対応できますか」
右仲さんはとても難しい顔を見せた。
「佐倉の城下町は江戸とは反対方向だ。江戸へ物を運んだ帰りの荷駄が空なのを見ており、これに便乗すれば多少安く運ぶことはできると思う。だが、江戸から離れるほど、木炭の値段は下がるので、沢山と言われた量にもよるが、佐倉で木炭を作るほうが得策だろうな」
「実際に必要とする量は、名内村の10倍程度の量になります。
実は私の御殿様から佐倉藩で工房を開くように言い付かっており、そこで大量の木炭が必要になるのです。
もし可能であれば、ここで行っている炭焼きの業を佐倉藩でもしたいのですが、右仲さんに指導してもらうことはできますか」
義兵衛は右仲さんに、思い切ってそう切り出した。




