表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
379/565

椿井家の反応 <C2379>

 松平越中守様の御屋敷から戻った後、紳一郎様は呼び出された趣旨の報告を『どうしても』と強く求めた。


「越中守様からの御相談内容は、非常に機微を要することなので、くれぐれも御内密に願います。

 できれば御殿様が直接おっしゃられるまで伏せておきたいのですが、しかたありません。

 越中守様は、近く田安家の当主へ戻られます。そしてそうなった時には『我が殿を役料300石を加え田安家の家老として迎えたい』とおっしゃいました。

 ただ、御殿様は……」


「それは、本当のことじゃな。嘘を言うと唯ではすまんぞ」


 紳一郎様は義兵衛の発言をさえぎると安兵衛さんを見、そして安兵衛さんが首を縦に振って肯定する様子を見ると義兵衛の言葉の続きを聞かずに廊下をドタドタと走り出した。


「奥方様ぁ~っ、これは大ごとでござる。殿ぉ~っ、どこでござるぅ~」


 奥の方から響いてくる大声に義兵衛は苦笑しながら、安兵衛さんに振り向いた。


「機微を要することなので、内密に願います、と私は確かに言っていましたよね。後から何か言われたら、証人になってください」


 その後、屋敷の奥でひとしきりドタバタと騒ぐ動きがあったあと、それが嘘のように静まり、義兵衛と安兵衛さんは奥座敷へ呼ばれた。

 奥座敷では、奥方様がでんと控えていて、御殿様を正面に紳一郎様が真面目くさった顔で控えている中、御殿様が口火を切った。


「この件を知るものは、これでここに全員おるの。

 まず、申し伝える。越中守様が田安家の当主となられることは、まだ水面下での案件である。これが噂として流布するようなことがあれば、それが原因で上手く運ばなくなることもあり得るのだ。そうすると、当家が推挙を頂くことも無くなる。

 なので、この件をここに居る者以外に決して漏らしては成らぬ。ワシが下知するまで、例えどのような限定を付けようとも、たとえ身内の者といえども漏らしてはならぬ。

 特に奥、御実家である妻木頼興つまきよりおき殿へ、田安家の家老への推挙を受けた件を決して吹聴してはならぬぞ。お前は何かにつけ御実家を見返そうと狙っておるのを知っておるが、此度のことは何も決まってはおらぬ。話は越中守様の気まぐれかも知れん。

『ここだけの話で、他の人には絶対内緒だから』と前振りして喋ることをしてはならぬ。気配すら漏らしてはならぬ。

 良いな。料理比べのこととは訳が違うのじゃ。もしことが漏れれば、離縁じゃ」


 御殿様のいつにない強い言葉に、奥方様はプイと膨れた。

 料理比べで目付役をしたり、仕切りをしたこと、田沼意次様と松平定信様を引き合わせたことなど、御殿様のことを御実家に向けて自慢げに話したことをとがめているのだが、流石にこの場では反論までしてこないようだ。

 ちなみに『奥方様は、例え自分の方に非があっても難癖をつけて御殿様に謝ることは絶対にしない人だ』と、こっそり紳一郎様が教えてくれていたことを思い出した。


「それで、義兵衛。お前はなぜこのような機微を要する内容を人へ話した」


「椿井家内を治める紳一郎様が、強く報告を求めたからで、この件は扱いに注意が必要と前置きしたのですが、最後まで聞かれることなく、途中で奥方様の方へ向われたのです」


 義兵衛の横で、安兵衛さんがその通りと首を縦に振っている。

 御殿様の目が紳一郎様の方を向くと、紳一郎様は抗弁し始めた。


「確かにそうではございますが、将軍家御三卿の一つである田安家の御家老に推挙されるかも、という話でございますぞ。それに300石の加増でございましょう。合わせれば800石の旗本でございますよ。

 昨年ですと、猟官のために組頭の所へ御殿様が自ら頭を下げに行っていたではないですか。しかも、方々から借財までして。

 それを思えば、まだ何も決まっていない、と仰いますが、白河藩主から直々のお言葉でございましょう。また、田安家復帰のことも、よほどしっかりした内諾が無いと、それこそ越中守様が殿へ話す訳がございません。

 お言葉を頂いた時点で、そうなったも同然でございましょうに。

 家臣としてこれを喜ばずに、何を喜べというのでしょう。この暑い最中ですが、まるで正月が来たような気分ですぞ」


 最初は弱気でぼそぼそと言っていたのが、段々語気を強めて語り始めた。


「紳一郎、よう申した。わたくしはこちらにしてから苦労の連続でありました。借財のため、実家の母に、兄にどれだけ頭を下げたことか……。

 それを思うと、いささか早いとは言え、このような慶事を皆で喜ばずにおられましょうか。ほんに正月のようとは、よう言いました。

 今年になって、御家が急に良い方向に回り始めたと感じております。いえ、はっきり良くなっておりますよ。

 そうさな、義兵衛。お前が殿に仕えてくれるようになってから、ほんに急に家の中が明るくなりました。礼を申しますよ」


 奥方様が突然話を義兵衛に振った。

 義兵衛は縮み上がって小さくなり、頭を畳にこすりつけた。


「恐れ多いことでございます。一介の村百姓の次男坊をお侍に取り立てて下さったのは、御殿様でございます」


 中の竹森氏としては、とんだ茶番なのだが、こういった恭順の姿勢が大事をなすためには重要なのだ。

『天明の大飢饉による影響を少しでも軽減し、餓死する者を減らす』が与えられた使命なのだから、ここできちんとした立場と後ろ盾を確保するのが必須なのは言うまでもない。


「うむぅ。皆がそう思っておると知れば余計切り出し難いが、ワシは今のままで良いと考えておる。何も難しい立場で、難局をどうこうしよう、という気概もない。借財に追われておった昨年であればともかく、やっと平穏な日々となったばかりなのだ。

 実は、越中守様にどうお断りをしようか、とばかり考えておった」


 御殿様の最後の一言に、紳一郎様と奥方様は目を剥いた。

 だが義兵衛は何か判るような気がしたので、思い切って発言してみた。


「面談の場で『田安家の家老職に据えるという横車を押してみよう』と越中守様は申しておりました。横車ということはご承知でしょうから、通例に合わせ、まずは何らかの『組頭』『奉行』に推挙されましょう。そこでの働き如何で、更に御家老に推挙なされるのではないでしょうか。いずれにせよ越中守様は御殿様を話ができるお相手と御認識されておりますので、御三卿となられてからの推挙は避けられぬと思われます。ならば、出来るだけ見合う働きができるお役を探り、その道筋を越中守様へお伝えするのが良いと考えます。

 あと、その折には料亭・百川をお使いなさるのが適切かと愚考致します」


「それもそうか。避けることが出来ぬのであれば、一番無理のない道を選ぶのじゃな。真に理に叶っておる。

 義兵衛、その言やよし。そうか、越中守様は自分の格が上過ぎることから『普通の話相手』を所望しておるのじゃな。

 そのような考えであれば、別に田安家の家老職にこだわる必要もなかろう。今はそういった職種はまだないのだが、田安家の御側用人でも構わん訳じゃ。上役が越中守様おひとりということであれば、辛抱もできよう。

 そちは誠に知恵者じゃな。

 さて、皆も今のやりとりで判ったであろう。この先は全く見通せぬゆえ、あえて騒ぐこともせぬよう注意してもらいたい。

 もし、ワシが何かの役に就くことを望むのであれば、ここでの話を含め決して匂わせてはならぬ。

 それから、皆この話が無いかのように平穏に暮らすようにせよ」


 こうしてごく内輪の集まりは解散したが、皆口には出せぬにせよ、明るい見通しに舞い上がっているようだ。

 皆が引き上げた後、安兵衛さんがポツリと呟いた。


「ええと、義兵衛さん。私は一応お役目として曲淵様に報告せねばならぬのですが、それは仕方がないことですよね」


 いつも一緒に居るのですっかり忘れてしまっているが、安兵衛さんが同席する限り、北町奉行・曲淵様には筒抜けだし、そこから御老中・田沼様には直結であろう。


「御殿様は安兵衛さんが同席しているのを知ってお話されていましたので、問題ないでしょう。煎じ詰めれば、越中守様の御屋敷でも同席しておったではないですか。御殿様も承知の上で話をされておるのだと思いますよ」


『本当に御目出度いことなのだが、やはり御殿様もどこか浮かれていたのかも知れない』など、義兵衛の中の竹森氏は考えたのだった。


2019年の最後の投稿となります。今年の内にこの小説を終わらせようと思っていたのが延伸し、せめて年内の投稿で七輪・練炭の売り出しの日を迎えるまでは、と思っていたのですが、結局来年に持ち越してしまいました。

たった160日にも満たない期間のことを2年かけて、4倍のスケールで書くというのも如何なものか、と筆者も深く反省しております。来年こそは決着を付けますので、引き続きよろしくお願いします。

なお、せめてもと『正月』というキーワードを文面に折り込みました。

今年もありがとうございました。2020年もよろしくお願い致します。

次話は、1月1日0時公開予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 「最悪よりはマシ」な選択をしたいですね。 ご自身がいた小普請組頭なんて如何でしょう。 その場合には、同僚である小普請の旗本や御家人から猟官運動を受ける立場となりますが。
[良い点] アマンダはんが可愛すぎて、ちゃかす感想書けんなあ。ドタバタどこ行ったの? 主人公ディスるしかないやんかあ。ものでつりすぎやあ。
[良い点] 後ろ楯は大事です。 定信様が本気で飢饉を回避しようとするなら「御鷹場」にかけられている「鹿や猪の狩猟規制」や「刈り入れ後の畑や田んぼの耕作規制」なんかの交渉も庚太郎様がしないといけないでし…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ