名内村で過ごしたそれからの2日間 <C2368>
■安永7年(1778年)7月5~6日(太陽暦7月28~9日) 憑依146~7日目
いろいろな逡巡・対立と説得、葛藤と説明などがあったものの名内村の工房はどうやら軌道に乗り始めたようで、乾燥中の練炭が風通しの良い棚に数個並んでいる。
出来上がったそれぞれの練炭には通し番号が刻まれており、作成途上の計測結果や誰がどのような作業をしたのかの記録と、しっかり紐付けされている。
弥生さんが手掛けた標準練炭を基準に、重量を測って乾燥具合を確かめるのだが、気温は高いものの湿度もあるようで乾きが遅い。
金程村の工房では、3日程度風通しすると一応燃焼に持ち込めるのだが、重量の推移から見るともう1日余計にかかるようだ。
「助太郎、どうやら私が名内村にいる間に練炭の出来を確認するのは難しそうだが、そのあたりは大丈夫か」
「ああ、三之丞さんには何をする必要があるのかをちゃんと説明している。実際にここの工房で汚れ仕事をしている娘さんたちは、判ってくれているさ。班長候補の3人を下手に刺激しないよう近蔵にも注意している。
実際に燃焼時間のばらつきがどの程でるのかを、蝋燭と線香の燃える時間で測ることも説明しているので、間違いはなかろう」
実物の出来の差を目の当たりにすれば、そして三之丞さんが理解してきちんと説明してくれれば大丈夫に違いないと思うことにした。
それよりも気になり始めたのが、佐助さんのところの動きなのだ。
雑木林の整備を始めているが、初日の作業で多少見込み違いの動きをしていたのだ。
それは、道を付けるにあたり、松や椚の若木や芽吹いたばかりの木も切り倒していたことなのだ。
「義兵衛さん。そんなことを気にしていたら雑木林の整備なんか一向に進みません」
佐助さんはこう言って仲間をかばっているが、先を見据えると苗木一本と雖も無駄にしないことのほうが重要と思えるのだ。
「これから作る木炭の材料として区画内の木は全部伐採するのでしょう。その後に30年後に伐採することを見据えて植林すると聞いていますが、その苗はどこから持ってくる予定だったのですか。
外から買うというのはもっての他です。この村で苗木を育てている訳ではないのでしょう。そうすると、雑木林で道を切り開く時に見つけた苗木や若木を移植して、植林する分を確保しておくのが常道でしょう。整地が終わった後のことを考えると、苗木はどれだけあっても足りないのですよ。間引きする木だって、可能であれば移植したい位です。
3~4尺の椚の苗木は1本20文ですよ。植林のために苗木を200本買うと、1両になってしまうのですよ」
このやりとりを横で聞いていた富塚村の右仲さんは口を挟んできた。
右仲さんは5日から仲間3人を連れて佐助さんと一緒に行動していたのだ。
「なるほど、人足を1日雇うと200文(5000円)は出さねばならない。苗木10本と同じ値段とはなぁ」
嘆息している。
「幸いなことに、当面必要となる木炭は富塚村から買い付けました。ここで木炭を作るための時間を買ったのですよ。
適当なこと、今だけを見た対処ではなく、例えば10年後にどうなっているのか、そのために今遠回りでも何をしておけば良いのかをきちんと考えてください。
細山村の雑木林は、何十年か前の人がきちんと規則を作って、それを守っているのでしょう。だからこそ、日々の手入れは軽く済んでいるのです。あの姿が理想なのであれば、ここで今すべきことは、この土地にあった規則を作り、それを教え、やって見せることです。今あせって若木を引っこ抜いても、何の役にも立ちません。
苗木を植え替えするといった子供でも出来そうな仕事は、ただ遊んでいるだけの子供にも出てきてもらって作業させませんか。子供5人を一組にして、きまった区画・整備道予定地の苗木や若木を移植させるのです。子供とて馬鹿ではありません。村の発展に役立つと諭せば判るでしょうし、単独行動しないよう組にしているということは判るはずです。問題が起きれば2人一組で大人まで連絡させるようにすれば良いのです。
今は遊べないので嫌がるかも知れませんが、納める年貢米が少なくて良くなる要因の一つとしてこの作業があることを知れば、協力しない訳にはいかないでしょう」
義兵衛は、諭すように説明をした。
渋々頷く村の人と佐助さんの横で、右仲さんが顔を輝かせて聞き入っている。
「これは素晴らしいことを聞きました。木炭窯の作り方を学びにきておるつもりでしたが、雑木林や村の運営のことまで聞けるとは思いませんでしたぞ。
それにしても、義兵衛さんはまだ歳若いにもかかわらずいろいろとご意見をお持ちですな。秋谷様を通して紹介された折には、御旗本の御威光を背に物を申すから皆有難がっているのかとも思いましたが、こちらの佐助さんや樵家の方々の心服具合を見ると、御殿様の次にそのご意見が尊重されているのが良くわかります。
是非ともいろいろと話を聞かせてください」
義兵衛は雑木林の整備状況と木炭窯の作り上げ状況を見て回りながら、ぽつぽつと経緯を話した。
木炭加工をする狙いである飢饉のことは伏せる。
そして、木炭加工・練炭製造のことまで伏せると大量の木炭を必要とすることの説明ができないが、それでも差支えないと判断できること、加工して江戸に売ることまでは説明した。
結局のところ、薪を売るより木炭の方が高く売れ、木炭を売るより練炭を売るほうが高く売れるのである。
原料を加工して付加価値を付け、それを利益としているのだが、焜炉や七輪という道具まで巻き込んで付加価値を付けるという所から先は、この場での理解の及ぶ所ではなかったようだ。
それでも名主・秋谷さんより激しく食いついてきた。
「納める年貢米が少なくて済む、と先ほど言われましたがこれはどういったことでしょうか」
こればかりは名内村と富塚村では支配構造が異なるため、話が通じない。
名内村は旗本・杉原様の知行地であるため、一定の年貢を納める形であり、それが米であろうが銭であろうが相応のものであると御殿様が指図されれば、それで済む。
しかし、富塚村は幕府直轄地で下総国の代官配下にあり、幕府として米が中心の運用ですべてを回しているため、銭に替えて納めるということができないのだ。
可能性があるとすれば、富塚村が米を買い付けてこれを年貢米として納めれば済むのだろうが、それぞれの上乗せ費用という無駄が発生し愉快ではなかろう。
義兵衛は、今回の取り組みで作られる練炭が一定量以上生産されれば、年貢米を減免してもらえる発言があったことを説明した。
また、それだけでは納得できない素振りであったので、作った練炭を薪炭問屋に卸すとそれに応じた売り掛け金が御殿様に入ることになっていることも説明した。
「そのような仕掛けでしたか。富塚村は2旗本と代官という3箇所に年貢を納めるため、そのような方法は難しいでしょうな。
せめて、お上が旗本分もまとめて徴収し、そこから振り分けしてもらえれば、いろいろと折衝も楽になるのですが……。
いやぁ、詮方ない愚痴を言ってしまいました」
こういったやりとりをしながら、名内村での2日が過ぎていったのであった。
設定メモを見て重大な錯誤をしていたことが判明し、ガックリしています。
それは、華さんの年齢で、当初8歳だったのですがいつのまにか10歳になってしまっています。
華さんと同じ年齢が春さんという設定は生きていて、春さんも10歳の扱いになってました。
修正が結構ありそうなので、困っています。(8歳で婚約だと2~3年しても10~11歳、なら10年後の結婚のほうが良くない?なんて)




