結婚観の相違 <C2360>
■安永7年(1778年)7月1日(太陽暦7月24日) 憑依142日目
昨日にわかに始まった義兵衛と萬屋の華さんとの婚約騒ぎは、いつの間にか決定事項となっており、7月10日には御殿様の面前で婚約の儀式を執り行う羽目になっていた。
しかし、この儀式が終われば、お婆様は『孫娘・華の持参金と合わせて享保小判1000枚(約1億6000万円)を、前借しても良い』と約束してくれているのだ。
この享保小判は、今流通している元文小判に比べ6割増しの価値がある。
そして、これを使えば、9月の売り出しまでに必要な現金は用意出来るのだ。
「しかしなあ、こういった一時的に得るお金を使うのはどうかと思うなぁ。9月までに一時的に持参金と称するお金を借りるしかないが、全額返却したにせよ、華さんのお金に手を付けることになるのだろう。やはり手を付けずに済む方法を考えるのがいいのだろうなぁ」
「義兵衛さん。考えていることが聞こえていますよ。
まあ、昨日の昼まで嫁取りなんてことは爪の先ほどもなかった所に、急転直下で婚約が決まってしまったので混乱しているというのは判りますがね。
それで、義兵衛さんは華さんのことをどう思っているのですか。華さんは御嫌いなのですか」
あまりもの突然な話に、思わず出た独り言を安兵衛さんに聞かれてしまっていたようだ。
そして、先日義兵衛が安兵衛さんに米さんのことを聞いた時と同じ口調で、そのままお返しされてしまった。
「お婆様が熱心に進めていることは承知していたが、このようなことを企んでいるとは思いもよらなかった。華さんには田舎暮らしをさせるのは無理だし、旗本の家来ではとても奥様然とした暮らしをさせられないに違いないと思っていた。なので、お婆様このような無茶をするとまで思っていなかった。
いや、華さんは可愛いし賢そうで実直に物が言える娘だし、見た所、決して嫌いという訳ではない。ただ、嫁という対象として全く考えたことがないので、面食らっているのですよ。これが華さんと同じ歳ということであれば、金程村の春ちゃんか。
春ちゃんだと、まだ村で暮らす様子を思い浮かべることができるのだが、同じ歳とはいえ村で暮らす華さんは全く想像できない。
しかし、こうなってしまっては、もう後戻りできないので覚悟を決めるしかない」
どうも歯切れの悪い返事をしてしまった。
「義兵衛さんは奇妙な感覚をお持ちですね。
正妻との婚姻というのは家がより良い繋がりなんかを得る手段であって、本人同士が好きあっているかどうか、などということを意識するのはやはりおかしいです。正妻が居ることで家の立場が不利となるなら、例え本人達が好き同士であっても離縁するというのが普通に行われています。本当にただ好き同士ならば妾にすれば済む話です。
今回、萬屋さんの娘との婚姻は、有力な商家を後ろ盾に持つという意味ですし、その上でお婆様の華さんが千両を超えるお金を背負っているのですよ。このような大金の持参金があるという話を、私は聞いたことがありません。借用書なんかより、とても重くて厳しい縛りなのです。婚約で持参金を受け取ってしまい、万一義兵衛さん側の事情で破談するようなことになれば、間違いなく破産する金額の借金を背負うことになりますよ。
ただ『あのお金は今月10日の婚約式が終われば義兵衛さんが使ってよい』という破格の条件ですから、嫁取りさえきちんとしてしまえば、資金は潤沢に準備できたも同然です」
『婚姻に対する奇妙な感覚』というのは、義兵衛の中にいる竹森氏の結婚観に依るものなのだ。
確かにこの時代では恋愛結婚などということはおおよそ無く、子孫を残す・繁栄という意味でも家のためのものなのだ。
お婆様が義兵衛に執着したのも『義兵衛の将来を先物買いし、そこに子孫の繁栄を託す』という行為そのものであり、もてる財産の全部を義兵衛に張ったに過ぎない。
こう考えると、お婆様の手駒として働き、萬屋の繁栄を手助けすることも義兵衛の使命に加わったと言える。
椿井家、萬屋の久遠の繁栄を盤石にして、その家臣である細江家の繁栄、義兵衛・華の安泰があるのだ。
安兵衛さんと話をするうちに、深川・辰二郎さんの工房から出来立ての七輪・1000個が届けられた。
いつも通り七輪を200個ずつ幟を付けた大八車に乗せ、全部で5台の大八車を引いた隊列を組んで運ぶ風景が隔日に行われるとなると、もはや風景の一つとして江戸の町に溶け込んでしまっている。
幟にある『七輪』という名前は、まだ売り出されていないものの浸透してきているように思える。
工房から運んできた七輪を長屋の端の部屋に積み上げると、辰二郎さんは大八車を工房へ戻す指示をしてから栄吉を連れ、義兵衛の所へやってきた。
「前に説明しました様に、6月末までに8000個を納めておる。今日は椿井家向けの5000個目の分を持ち込みでさぁ。そして、明後日の3日には萬屋さん向けの5000個目の分を納める予定でさぁ。隔日で1000個を納めるというのは、いやぁ結構シンどいものです。職人を休みなしで働かせることになっちゃいましてな。今月7月末には、2万個の生産を終えることができるので、これでやっと最初のお約束通りとなりますのでさぁ。
それで、土の代金・現金分はいかがな具合かな。年末を見据えると、一括先渡しという方法もあるのだが、毎月150両を瀬戸物屋・山口さんに先渡しするしかない様に考えておるのだが、準備はどうなっておるのかのぉ」
何の駆け引きもなく、いきなり現金の話を持ち出してきた。
あてはできたのだが、新しい輸送方法のことや、そもそも今の前渡し金を船頭に預けるという話に対する疑念もあるため、その相談をするのが良いかも知れない。
ただ、大坂を介さない土の輸送の案については、紳一郎様から口外しないように言われているのだ。
「その件ですが、ただいま手当をしている最中ですので、しばらくお待ちいただければと考えています。瀬戸物屋の山口屋清六さんから伺った説明で何点か疑問があり、それを確認したいと思っているのです。そのため、前金の支払いは7月中旬まで猶予してもらえないか、と考えています。申し訳ありませんが、私のような若造からお願いしたのでは受け入れる顔も立たないでしょうから、辰二郎さんから支払の延伸を打診してもらえないでしょうか」
「義兵衛さんがそう言うなら掛け合っては見るが、その疑問というのが気になるな」
「先日加賀金沢藩の方に能登での土の値段を聞きましたら『味噌岩』というのが原料で、これを百姓が30貫(112.5kg)集めて300文(7500円)になるのだそうです。それが江戸では1両(10万円)で売れるのです。
山口屋清六さんは廻船問屋と品物を扱う大坂の問屋との間は、きちんと支払いをされ真っ当な商売をされているとは思いますが、この価格の差はあまりにも大きいと思えるのです。
それから、6月に買った分は江戸市中で手に入るものを全部かき集めたと仰られており、実際に船便で入ってくるのは7月に買う分ですよね。現金を船頭に渡すという話は事実かも知れませんが、金に糸目をつけず集めた6月分と同じ値段というのが不思議なのです」
あくまでも現状聞いている話の矛盾点を指摘するだけなので、紳一郎様の指示の範疇なのだ。
「なるほど、言われると変な気もしてきた。
おい、栄吉。これはお前が調べろ。工房の金や材料の出入りをきちんと見るのも仕事だが、値段が変だと思う勘も重要だ。その勘を養うためには、実際の物と金の流れを理解しておくことも必要だ」
「それで、義兵衛さんよぉ。判り次第、こちとらから説明するということで良いかなぁ。まあ、10日程かかるが、清六さんへの現金支払いはそれからでも遅くないっしょ」
辰二郎さんも職人からの叩き上げとは言え商売人なので、こういった要点を指示することもできる。
長い話だったが、土の代金について調査することを約束すると、二人は帰っていった。




