次回興業に向けての案 <C2341>
義兵衛の説明に安兵衛さんが口を挟んだ。
「義兵衛さん、あまり首を突っ込むと、御殿様からまた叱られますよ」
義兵衛の説明を聞いていた面々はギョッとした顔で身を引いた。
「いえ、大したことではありません。目新しいことは何もないですし、椿井家に何ら迷惑がかかるものではないでしょう。千次郎さんか善四郎さんが言い出しても何ら不思議ではないことです。私はそれに頷いただけ、という風に御奉行様に説明してください」
「安兵衛さん、我々の大事な知恵袋の口を封じてくださるな。義兵衛さんが叱られるようなことには決して致しませんゆえ。
それで、幸龍寺の客殿のご都合はどうなっておりますでしょうか」
千次郎さんの問いに、御坊様は少し考えて『6日後の6月28日ならば空いていたと思います』と返事をしてきた。
「それで、次に出す瓦版はどうなりましょうか」
版元さんはこの中途半端な内容に、矢立を握ったまま固まっている。
義兵衛はなかなか判ってもらえない苛立ちを覚えながら、それでも丁寧に説明をし始めた。
「版元さん。次回興業とその行司・目付の情報を欲しがっているのは、一握りの金持ちですよ。御老中や御奉行様との伝を気にされていて今回出遅れたと感じている方々が、次回には上手く立ち回りたいと知っている所に必死で圧力を掛けているのでしょう。
実際に瓦版を買って頂く江戸の人は、次回の興業のことよりも、それぞれの料亭で出される料理の中身や、それが自分の口に入るのか、手の届くところにあるのかなどに興味があると思いますよ。
評判になっている今だからこそ、料亭の評判や料理の中身について書きませんか。
例えば、坂本と百川の勝負ですが、負けた百川の主人は、興業後の宴席で坂本の料理をちょっと味わったようで『胡麻タレを甘く見ていた。暑い中でしゃぶしゃぶ料理は絶対的に不利と見て勝負を挑んだが、あのタレの風味・カッと一瞬体が熱くなって妙に涼しさを感じさせるとは、一体どんな業がタレに織り込まれているのか。その秘密は、あの赤い油と見たが、手に取ることは叶わなんだ』と申していました。他には知りえない本音でしょうから、こういったことを瓦版にすればきっと読者の興味を引きます。
版元さんは8料亭のそれぞれの主人から意見を頂いておりましょう。そして更に、それぞれの料亭でどう注文すれば、そして幾ら出せば食することができるのか、を押えておりましょう。こういったことを記事にしませんか。
併せて、仕出し膳の座に新規に加わるために、28日の説明会があることを載せれば良いのです。加入条件・手続きは善四郎さんが細かく説明してくださるでしょう。これは、座の事務方に版元さんが入っているからこそ出せる内容で、他の版元にはない強みです。
料亭の記事についてですが、おそらく今頃は他の版元も瓦版にしようと躍起になってネタ集めしていると思いますが、版元さんの手元にはすでに材料が転がっている状態です。先んじている今、これを瓦版にしなくて何をしようと言うのですか。
28日には、興業事務方として参加されるのでしょう。そこで決まったことを、また瓦版にすれば良いのです。
今朝の売り出し、今話した内容を明後日・あるいは明々後日の売り出し、28日の内容を7月1日に売り出しとなると、休む間もないほどの作業の連続ですよ。私の目からは、次回興業内容に触れることさえできないほど、ネタだらけの状況に見えます。この上、次回興業の情報を仕入れると、原稿はもとより彫り刷りの現場が回らないのではないかと思いますが、どうでしょう」
やっと合点がいったのか、版元さんは大きく頷いた。
「なるほど、その通りです。問合せのしつこさに参っていたので、そう錯覚していたのかも知れません。
それで、28日の寄り合いまでに事務方で大体の内容を決めるのですよね」
「その通りだ。ただ、先日の興業までに結構な数の料亭が座に加入しており、6月20日で〆た時点で211軒にもなっている。前回は最初に参加した48軒を優先して扱い、それ以降の130軒は発言すらさせなかった。そして今回は、6月7日から更に33軒の受付をしている。211軒の料亭を相手にした、料理比べの興業は難しいであろう。
それで、以前義兵衛さんが教えてくれた地区割りでの開催を考えているのだが、これがどうも難しい」
弱音を吐いている善四郎さんに、義兵衛は考えていた案をぶつけた。
「隅田川を最初の境界に定めませんか。それから、隅田川より西側は、町火消しの組で括るのが良いと考えます。ああ、町火消しで言うと東側は本所・深川十六組ですね。隅田川以西の町火消しを見ると、いろは48組のうち、一番組(い、は、に、よ、万)、二番組(ろ、せ、す、も、め、百、千)、八番組(わ、た、か、ほ)、九番組(つ、れ、そ、ね)、十番組(め、り、ち、と、る、を)というくくりと、三番組(て、あ、さ、き、み、ゆ、本)、五番組(く、け、ふ、こ、ま、え、し、ゑ、や)、六番組(む、な、う、の、お、ゐ)というくくりに分けるというのはどうでしょうか。
もともとは、卓上焜炉を使うことに対する安全を担保する仕組みから始まっております。町火消しの組との組み合わせは相性が良いのではないでしょうか」
千次郎さんは案を聞いて唸った。
八百膳さんは、早速に211軒が書かれた帳面をめくり、その振り分けをした時の軒数がどうなるのか確かめている。
「3区分はおおむね60~80軒ですな。上手く分かれたものです。新規に料亭が追加された場合は、火消しの単位で組み直せばいいのか。これは単純だが効果がありそうだ」
「それで、その地区の中で料理番付を作り、異議がある場合はその中で料理比べ興業をして決着をつけさせます。
3地区の料理番付けの1段目の料亭を集め、江戸市中料理番付として付け直し、異議があれば直接対決で決着を図るのです。
料理番付の料亭に、町名だけでなく、火消し組の名前も書くと良いかもしれません。オラが町の代表、ということでそれぞれの火消し組が料亭を応援してくれる可能性は大きいでしょう」
「確か、本所・深川は秋葉神社の満願寺様で、一番西側の区域は愛宕神社の円福寺様の所を使うのが良いと以前申しておったように覚えて居るが、どうであろう」
「その神社は、いづれも萬屋が卓上焜炉を作るにあたって火伏せの御印を頂いており、そこからの伝でお願いすることができます」
千次郎さんが答えた。
「まずは暫定でも良いので、本所・深川の満願寺、浅草・日本橋の幸龍寺、愛宕・赤坂の円福寺という3地区の料理番付と、その上位をまとめた江戸市中番付を作り上げることです。異議があれば、料理比べをして入れ替えれば良いと開き直りましょう。
それで、合計4枚の番付表ができあがりますが、これまた一度に出す必要はありません。閏7月に満願寺・8月に幸龍寺・9月に円福寺と、各地区内で料理比べ興業を順に行い、10月に幸龍寺で上位陣の料理比べを行えば良いでしょう。その開催月の前月に番付を配って異論有無を確かめれば良いのです。
また、御老中様や御奉行様が参加される興業は上位陣の興業に絞れば、御武家様への負担は少なく、また興業の希少価値は減じないと思います。あと、興業に伴う関係する各奉行所への上納金のことをそろそろ考えねばなりません。
この方向で詳細を詰めていきませんか」
義兵衛がここまで述べると、方向がこれで定まったのか、あとはそれぞれが意見を言い合い詳細を詰めていくことができるようになった。
当初の混乱の状況が嘘のように収まり、話が進み始めているのを見て安堵した。
「それで、まずは満願寺へ地区興業開催の趣旨説明をして了解を得ておく必要がありますぞ。義兵衛様、明日朝から同行して頂けますかな。もちろん、千次郎さんも一緒ですぞ」
善四郎さんの強引な要求に、思わず顔が引きつった義兵衛だった。




