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耐火煉瓦 <C2338>

「義兵衛、よくぞ申した。そのような意見が欲しかったのじゃ。大筋さえ決まれば、あとはこちらで進めていけよう。いずれはロシアとの交易も考えねばならぬ時期じゃ。オランダは邪魔立てするであろうが、それはそれで異国側の都合じゃ。さあ、他に申すことはないか」


 意次様が口を挟んだことで、4人による密談は終わったものと理解したが、言い残したことがあった。


「お願いがございます。異国との交渉は、一度交わした条約を国内事情により反故にすることは難しいし、許されません。なので、お上に依らず、長期を見通して継続して扱う部局を設けることが必要です。そして、こういった案件の相談には松平越中守(松平定信)様を交えて頂きたくお願い申し上げます。田安家の当主になられる方向で話を進めておられるように伺っておりますが、本邦の領土にかかわる案件を将軍家につながる御三卿の方が知っていることは、とても重要だと考えます。

 越中守様は御年20歳であらせられますが、かなり英邁な方でございます。ものの道理をわきまえ、考察は鋭く、新しいことを進める胆力が充分備わっている方とお見受けしました」


「おお、言っている意味は判る。さすれば交易掛・海防掛でもこさえようかの。そこの管轄を奉行職として寺社奉行同様に御公儀直轄にでもすればよいのかな。

 富美の話では、越中守殿は内政に向いておるように聞いておったが、さて人事はどうしたものかいのぉ。

 ただ、越中守殿の資質云々を16歳の義兵衛に言われるとは、ちと片腹痛いもの言いじゃな」


 確かに60歳の意次様からすればまだ子供としか見えないだろう。

 実際に16歳の義兵衛は孫世代として見られても不思議ではない。

 だが、この政局を動かそうとしている面々もまだ若いのだ。

 意次様の頭の中には、その中でも年長の意知様30歳を筆頭老中据え、11代将軍・家基様17歳を盛り立て、一橋治済様28歳、田安定信様20歳が支えるという次世代の首脳陣構想が浮かんでいるに違いない。

 清水重好様34歳は、現将軍・家治様42歳の兄弟であるため同世代という認識に思える。


「恐れ入ります。今後家基様を盛り立てていく陣容として、越中守様は必要ではないかと思いました。

 以前、家基様落馬の神託を伝えましたところ、鬼のような形相で叱られております。即座に『同日同行し、身を挺しても事故を防ぐ』とおっしゃられまして、この件は御老中様が承知して事故を防ぐべく動いている旨を言上し、私も一命を取り止めた次第です。忠義には篤い方で間違いございません」


 越中守様の御屋敷で白刃の下に晒された顛末を話すと、意次様は大層笑いながら呼び出しの鈴の紐を引いた。


「また難儀なことが起きたら、この面々で話をしたい。

 そしてこの内輪として越中守殿を入れるについては、どうするか少し考えてみよう。越中守殿が、どの程度真相を知っておるのか、にもよるが、知る人が多ければ多いほど、お主等の身は危険にさらされよう。ワシの構想を受け継ぐ者は意知に、と思っておったが、その息子にすらまだこの真相を明かしておらぬ。ここに更に2人も引き入れるのは、どうかな。そして、越中守が御三卿の田安家当主様に戻った折に構想を引き継がせると、将軍家に責任問題が起きよう。難しいところじゃな。

 さて、今日はここまでじゃ」


 小姓に用を言いつけ、向こうの控えの間で待つ人が来るまでの間にこう愚痴ったが、それだけ真剣に富美と義兵衛の身の安全を考えてくれていることが伝わってくる。

 この思いに応えるかのように、甲三郎様、富美と義兵衛は深く頭を下げた。

 間もなく意知様、曲淵様、庚太郎様、紳一郎様、安兵衛さんが入室すると、意次様は場を仕切った。


「先ほど4人で赤蝦夷についての神託の中身を確認させてもらった。誠に有意義であったが、内容が内容だけに、甲三郎・義兵衛にどのような話だったのかを問うことは止めて頂きたい。

 あと、加賀金沢藩へ渡した絵図は、大藩ゆえ実際に動くまでは時間もかかろう。庚太郎殿が『安い土が江戸で手に入るのは間に合わん』と言っておったが、これは確かであろうなぁ。場合によっては、安兵衛が言うように御公儀が先んじて動くのも良いであろう。そのあたりは、まず意知、お前が構想をしっかり固めよ。

 ところで、義兵衛。江戸でその土の需要が七輪だけ、というのでは心細い。他にも用途があるのではないか」


 義兵衛は、この土の特徴である断熱性に優れしかも軽いという特徴と、金属を溶かす炉に必要な材料となり得ることを説明した。

 日本では砂鉄を原材料とする『たたら』によって、優秀な玉鋼という鉄を得ているが、それで生産できる量は少ないため、清国から銑鉄を輸入しているという実態があることは何かの知識で仕入れていた。

 そして、イギリスの産業革命を後追いし、銑鉄を大量に利用するためにも炉が必要になるのだ。

 そうすると、珪藻土で作るレンガが大量に消費されることになる。

 先ほどの雰囲気を引きずっていたのか、こういった背景まで説明して顔を上げると、驚く面々の顔があった。

 もっとも、この話を既に知っている曲淵様・安兵衛さんは別なところ、清国から銑鉄を輸入している件に驚き、富美を除く他の面々は耐火煉瓦で鉄を溶かす炉を造れるという点に驚いていたのだ。

 富美が平然とした顔で声を出さぬまま、口元を小さく『馬鹿』と動かして義兵衛を見ている。

 こうやって話過ぎることが身を滅ぼすのだ、と言っているようだった。

 そして、曲淵様と意知様、富美のそれぞれの表情を、意次様はじっと観察している。


「ほう、それは一体どういうことかな。何か新しい神託かな」


 この件のことを意次様から任された意知様は、義兵衛の説明に食いついた。

 しかし、意次様が遮った。


「意知、そこの追求はもう良い。能登の土にいくらでも需要が充分あることが判れば、それで良いではないか。

 それよりも、江戸で買える土の値段を下げさせる方法を早く編み出すことじゃ。

 曲淵、お前はなにやら煉瓦のことを知っておったようじゃな。お前等はしばしここに残れ。後で良いから、いつ・どのような場所で聞いたのかを教えよ。他にこのことを知っておるものが居ると、厄介なことが起きるやも知れぬ。もっとも、江戸で安い土が買えるようになってからの話で、それまでは何ほどのこともあるまいがな。

 それから義兵衛、安直にそのような大事だいじを口にするでない。下手に周囲に広まれば、危惧しておったように身を危うくするぞ。おお、それで曲淵は安兵衛を付けておったのか。合点したぞ。慧眼である。

 さて、話が随分長くなってしまった。今日の中身は他に漏らすことはならぬぞ。

 それから、この面々で今後もしばしば話をしたい。こちらから使いを送るので、その時には応じて頂きたい。誰を呼ぶかはワシが指名しようほどに、それで良いな」


 義兵衛に安兵衛さんを付けていた理由を前に納得していたのだが、ここであえて口に出して曲淵様を褒めるとは、意次様も意外に芸が細かい。

 皆は平伏し、それに同意したことを示した。

 実は耐火煉瓦の件は、6月8日に行われた料理比べ興業の事務方寄り合いで話した内容である。

 八百膳で行われた事前寄り合いであったが、町奉行の曲淵様だけでなく、大名である寺社奉行・太田備後守様がいたのだ。

 あの場で太田様は鉄が大量に必要な訳を聞いてきたので、覚えている可能性が高い。

 他には、瓦版版元さんも居たが、どこまで話が聞かれていたのかは定かではない。

 質問されたので答えたのに、叱られてしまったのだが、余計なことを言い過ぎたようだ。

 曲淵様が同席していた場所でのことなので、弁解は御奉行様に任せる格好にして、庚太郎様と一緒に田沼邸を後にし屋敷にもどった。

 御殿様や紳一郎様はよほど気力を消耗していたのか、そのまま義兵衛は無罪放免となっていた。

 義兵衛も、微熱を感じてまる一日休むはずのつもりが、とんだ一日となってしまったことに気づき、もう微熱も治まったにもかかわらず頭を抱え込んだのだった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 初めは薪炭問屋の支店でさえ敷居が高かったのに、気付けば本店の旦那は指示する相手で、老中や町奉行とも膝を交えている日々。
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