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蝦夷地の扱い案 <C2337>

 田沼様上屋敷の奥の離れで、意次様・甲三郎様・富美・義兵衛の4人だけが座って向き合っている。

 昨日の幸龍寺の離れで意次様が言ったことが早くも成ってしまった。


「神託と申しておるが、義兵衛と富美に取り付いている240年後の者が持つ知識であろう。富美を引き取ってから問い詰めて、そのような感じの話を聞き出した。

 それまで富美は『こうあらねばならぬ』など政道に口を突っ込んでワシに意見しておったが、このことを聞きだしてからは『知っていることしか申せぬ』として、知識を生かした提案をせぬようになった。要は『材料は出すが、その料理は、料理方法は知らぬ』ということじゃ。それで、ことの次第を甲三郎に問い詰め、身を守るために擦り合わせしたことを察したという次第よ。

 ワシが知りたいのは、今からどのように手を打つのが本邦の行く末にとって良いのか、将軍家にとって良いのか、である。

 手を打つことで富美と義兵衛の知識が役に立たなくなり、かえって身の危険を招くという心配は判る。そこは、ワシが安堵しよう。また、そのために必要な神託という作り話は守ろうぞ。

 ただ、ワシは富美と義兵衛に取り付いた者の知識を完全に信じて居る訳ではない。壮大な与太話ということも考え得る。さしあたって明確になっている、京都におわす天子様が来年10月には御崩御なされるという、外れぬという神託の結果を見て、処遇を決めるつもりでおる。ただ、天子様の御崩御も人の生業なりわいであろうから、処遇の実施は5年後の7月にあるという浅間山の大噴火まで待つつもりでおる。世間を騒がせた重罪人になるかどうかじゃ。悪い場合の処遇は覚悟しておけ。

 まあそれまでは、おおよそ今まで通りじゃ。義兵衛は椿井家の家臣として、富美はワシのめかけとして振舞うが良い。ふたりとも抱えては、何か起きたときに全部を失うことになる。特に、義兵衛。お前には曲淵が安兵衛という達人を付けてくれているが、口までは庇えぬ。用心いたせ。

 さて、義兵衛、富美。ワシはもう意見は言わぬ。その方等の話をただ聞くだけじゃ。

 甲三郎、この待遇と赤蝦夷対策について、義兵衛と富美から意見を引き出してみよ」


 意次様はかなり長い発言をされたが、後桃園天皇在位期間は判断保留、浅間山大噴火までは執行猶予という感じで、外れれば死刑確定、当たればそれなりの処遇、当面は神託という方便を守ってくれることになったようだ。

 そして、今はロシア対応につながる政策への助言を求めている、ということらしい。

 内容を理解した義兵衛はまず待遇についてのお礼から申し上げることとした。


「我が身を守るためとは言え、神託という方便を用いましたこと、ご容赦下されまして誠に有り難き幸せにございます。

 また、当面従来のように行動して良い、ということについても大変感謝致します」


 甲三郎様、富美も畳に付くように深く頭を下げ、甲三郎様が話を切り出した。


「では、赤蝦夷・蝦夷地・松前藩・蝦夷人アイヌについて、思うところを述べ合うこととしたい。大殿様(意次様)が臨席されておるが、聞くに徹するというお言葉であるので、身内言葉で良い。存分に意見したいと思う。

 富美は何か申すことはあるか」


「はい、まずは私の思い違いについて話させてください。意次様は賄賂まいないによって政治まつりごとわたくししたと後世喧伝されており、そう信じこんでこの屋敷に引き取られた当初色々と諫言に近いことを申しました。今思えば大変失礼なことをしたと深く反省しております。

 意次様が私心なく、将軍家をいかに良くしていくのか、という観点で日々努力されている方ということが判ってから、私としては問われれば知っていること・事実と思われる事象を説明する、という態度に終始することで、この反省の意を表しておりました。しかしながら、それは意次様の意に沿わないということが判りましたので、その態度を改めたいと考えております」


 まず富美は今までの姿勢についての説明と反省の意を述べた。

 教科書に書かれていたことが、必ずしも事実で正解ではない、ということがやっと判ったようだ。


「それで、まず申し上げたいのがアイヌのことです。

 松前藩が御公儀からアイヌ人統治を任されているという認識ですが、松前藩は本来アイヌ人のものである漁場を和人の大商人に与え、商人はアイヌを奴隷のように扱い利益を吸い上げております。他にも、『アイヌ勘定』と言われるような買い上げ品は特別に安くなるよう、例えば縄に挿した魚は予め両端の2匹は除外してその内側だけを購入対象にするなど、不条理な方法を使っています。アイヌの人たちの欲のなさや優しさに付け込んだ騙しで儲けているのです。

 あまりにもの扱いに耐えかねて、ロシア領に逃げ込み保護されたアイヌ人もあったように記憶しております。

 先ほど『たけー』いや、義兵衛様が申し上げておりましたが、アイヌおよびその漁場・猟場については御公儀の庇護を与え、理不尽な干渉はしない扱いとすることが肝要と思いました」


 やはり人権擁護派の阿部あべみが口にしそうなことだ。

 後世の教科書や教えてくれることが真実ではない、と知った上でこの発言とは多少あきれている。

 この分では、アメリカが捕鯨基地獲得のため和親条約を締結し港を整備する、なんて方針が表面化してしまうと、どこかの団体のように『捕鯨反対』を口にして、捕鯨船の寄航を排除する案を出すに違いない。


「それより領土の確定が先でしょう。島嶼部を含む蝦夷地全体・オホーツク海周辺はアイヌという先住民が居りながら、国の形を成していない、ということから無主地と西欧諸国からは認識されています。そうすると、無主地先占むしゅちせんせんという規則を使って、領土の主張をすべきでしょう。そして、領土であればそこに住む住民を国が保護する、という一般的な形ができます。

 住民の保護ということでは、先に富美が述べたように奴隷のように搾取するというのは論外でしょう。

 アイヌとの交易はお互いの利益になるので、それなりの見識を持ったもの同士が相対して納得のいく取引ができるよう管理・監視していくことが必要ですし、お互いの生活圏を侵さないように慎重に交流していく必要があります。また、アイヌ人はオホーツク海周辺に分布していくつもの部族にも分かれて暮らしており、それぞれの部族との慰撫も重要です。住民が我が国へ帰属している意識を持たせるようにすることも重要でしょう。合わせて、オランダ商館長の江戸参府の折に読み聞かせる御条目に、蝦夷地・アイヌ人に対する6項目目を追加しておくのが良いと考えます」


 義兵衛がこう言うと、甲三郎様が尋ねてきた。


「領土の主張とは一体どうすれば良いのか、その具体的な方法が判らぬ」


「3点実施すれば良いと考えます。

 まずは本邦の権益が及ぶ範囲を示したオホーツク海沿岸の地図を作製し、これをオランダ国経由で西洋諸国へ通告することが必要です。西洋諸国は、オランダ・イギリス・フランス・ロシア・アメリカ・イスパニア・プロセイン・オーストリア・スイス位かな。通告先はオランダの協力を仰げばよいのです」


「たけー、アメリカはまだ独立戦争の最中じゃなかったっけ。まだ国としての体をなしておらんぞ」


「そうでした。今の時点でアメリカは不要です。

 それから、国境地域への標識の設置です。こうすることで、無主地であるということを回避し、先占という要件を満たすことになります。

 後は、ロシアから住民への狼藉を抑え、軍による侵略を防ぐことが重要です。そのために、拠点へ監視所を置き、軍船の動向を見張る必要があります。必ず船での移動ですので、侵攻してくる人員は限られています。複数個所への同時侵攻はまず無いと思いますが、2個所に各2隻の軍船が上陸したと想定し、それを上回る軍勢を遅滞なく送り込める体制を組めば良いと考えます。

 準備ができたら、オホーツクとペトロパブロフスクカムチャツキーというロシアの拠点に通告します。『問題があれば、ロシア皇帝・エカチェリーナ2世に指示を仰げ』と言っても良いでしょう。できれば、蝦夷地にロシアとの交易拠点を設け、長崎のオランダと同様にロシアを遇すれば良いと考えます。

 これらの処置は、松前藩には重すぎます。なので、早急に幕府直轄地とし準備を進めるべきです」


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