バレていた設定 <C2336>
田沼様の上屋敷最奥にある離れの間で神託に関係する9人が集まり、義兵衛が描いたオホーツク海周辺の地図を見て談義している。
「ここで休憩して夕餉など取らぬか」
意次様がそう言えば誰も異を唱える者はいない。
鈴紐を引き小姓を呼んで9膳分の支度をさせる。
「余人を交える訳には行かぬので、富美が給仕を致せ」
そして離れの間は隔離されたまま夕餉が始まる。
「昨日の幸龍寺は宴会用の膳ゆえ、それと比べれば格段に見劣りはしようが、ここは料亭でないゆえ普段通りじゃ」
その場に参加した関係者が4人も居れば、どうしても膳の上の料理の話が出る。
煮物・汁物・香の物に茶碗飯という大名の殿様が召し上がるにしては質素な膳を前に、意次様は普段から倹約質素を心掛けている旨を口にしてこの話題を制した。
とは言え、料理比べの興業による利益構造については意知様から質問があり、義兵衛が答える羽目になった。
「最初の料理比べは大変盛況でしたが、興業としては赤字ということで失敗でした。参加された料亭や勧進元の八百膳さんには随分迷惑をかけたと考えます。そこで、今回は興業単独で黒字という目標を立て、いかに銭を集めるか、というところに皆で知恵を出したのです。結果として、おかげ様で前回の赤字を埋める黒字を達成できました。これでやっと座にも運営資金を得ることができました。
次回の料理興業は、参加する店が多くなり過ぎているため、地区予選と本選という格好を考えています」
義兵衛は、今回の興業で行われた銭を集める仕組みのいくつかを紹介し、意知様がいろいろ詳細な仕組みのところを聞きたがった。
そういった話も一息つくと、意次様はこういった雰囲気が気に入ったのか、たえず質問と意見をまき散らし、気が抜けない食事となっていたが、それでもそれぞれの本音が出始めた。
「主殿頭様、今丁度松前藩の所へ通商を求めるロシアの船が来ているということを先ほど言われましたが、これは松前藩からの報告でしょうか」
義兵衛は記憶にない安永7年のロシアとの通商交渉の件を詳しく知りたいと考え、慎重に発言した。
「いや、松前藩からの報告ではなく、隠密からの報告よ。おそらく、松前藩は、この接触の件はこちらに報告せず内々で済ます魂胆と見て居る。なんやかや理由をつけて追い返すのであろう。おおかた『何の準備もできておらぬゆえ、来年来られよ』位ではぐらかし、時間稼ぎするつもりじゃろう。赤蝦夷から何か受け取っているやも知れぬが、まだ中身はわかっておらぬゆえ、そのあたりの探索が肝心じゃて。
松前藩はご公儀が知らぬと思うておろうが、見ておるものも大勢おる。所詮隠すのは無理ということが少しも判っておらぬ。
実は松前藩について、赤蝦夷と荷抜け(密貿易)をしておると睨んでおり、そのため重点的に調べをしておったのじゃ。
松前藩からこの件の公式な報告が最終的になされぬようであれば、これも松前藩を追い詰めるための札となろう。いずれ、蝦夷地は直轄地として組み入れて、郡代官を置くことを考えておる。そして、長崎と同様に赤蝦夷と交易を行うのも良いと思っておる。
米がとれぬので、今の格付けでは松前藩は苦しかろうの。松前下志摩守(松前藩主・松前道広)殿にはこの近辺の領地を渡して大名とする代わりに、蝦夷地を御公儀のものとするのが妥当じゃろう」
幕府の考え方が良く判る回答だったが、少しひっかかった。
確か江戸幕府は一時攘夷勤皇を掲げる明治新政府との対立を経て政権交代に至ったはずで、その攘夷とは異国との交易・異国排斥の動きだったはずだ。
鎖国という考えはどこへ飛んでしまったのだろうか。
周囲の目も気にせず、義兵衛は勢いで意次様にそのことを尋ねた。
「義兵衛、そちもなにやら富美のようなことを申すのぉ。『鎖国』が祖法など、誰が言うことなのじゃ。確かに、出島の商館長が江戸出府の折には、毎度御条目を読み聞かせ、我が国と交易するための条件・5箇条を説明しておる。
だが、そこで言うておるのは、南蛮人のいるイスパニア(スペイン)・ポルトガルとの通交(通商)禁止を第一条としておる。世界を意のままに分割し、侵略の先兵となるカソリック教徒を送り込み、親切顔で容赦なく領土を侵食する輩として、この国との通商を禁じ、キリスト教の持ち込みをされぬようにしたものと心得ておる。
他の4箇条は、交易を続けるため他国の動向を報告すること、清国との交易船(唐船)を奪い取らないこと、オランダとの交易圏内で南蛮国と接触を持つ国・地域について報告すること、琉球は日本の支配下にあるので琉球船を奪い取らないことであるかな。
きちんと管理できる港であれば、同じ条件で御公儀が交易するのは問題なかろう。ただ、御公儀に申し出をせずに隠れて交易を行うことは国禁であることは明らかで、これさえ守れれば何も問題はない」
この話を聞くと、幕末の外交の混乱は何だったのだろうかと思ってしまう。
ロシア、アメリカ、イギリスがそれぞれ和親・通商を求めてきたのだが、何がなんでも鎖国という雰囲気でもない。
そうすると、原因は『田沼意次様憎し』の老中・松平定信が全部ひっくりかえした結果、ということになるのではないだろうか。
こう考える内に賑やかな、そしてささやかな夕餉は終わりとなった。
膳を片付けると、義兵衛の描いた2枚の絵図を真ん中に、額を集める格好となった。
「この絵図には、いろいろと思うところがある。
以前より、富美にロシアについてどのように扱えば良いのかを尋ねておるのだが、ある時から一向に考えを述べず、こんなことが起きるとしか言わぬのだ。それで、義兵衛と話がしたいと考えたのよ」
意次様が屋敷へ呼んだ理由の一つが明かされた。
日本史の暦女だった阿部が変質しているとしか思えないが、ここで問うと神託という前提が全く狂ってしまう。
240年先で習ったこと、覚えたことしか判らないのだが、そういった知識を持つ魂がたまたま富美と義兵衛の中に入っているということを知っているのは、ここでは甲三郎様だけなのだ。
義兵衛がしかめ面をしていると、それを察したのか、意次様が声をかけた。
「甲三郎、ワシは神託の本質を富美から聞いておる。意知は知らぬであろう故、しばし退席せよ。曲淵も同様じゃ。廊下の向こうの控えの間に居れ。
義兵衛よ、庚太郎殿や紳一郎、安兵衛は、どの程度知っておるのか」
冷や汗を噴出しながら、考える。
神託の本質、それは未来の歴史知識を知っているということに違いない。
意次様に『全く知らない』ということを告げると、その3名も退席となり、合わせて5名は渡り廊下の向こうの控えの間でしばし待たされることとなったのだ。
そして、部屋には意次様・甲三郎様・富美・義兵衛の4人となった。
「富美・義兵衛。その方等が今から240年後に教えられた知識を持つ者の依り代であることは判っておる。甲三郎に直接は聞いておらぬが、経緯から見るに、このことは知っておるのであろう。
それで知っておるのは、この4人だけということで良いのか」
やはり、隠しておくべき内容を富美が漏らしてしまっていたのだ。
妾然とした待遇で、沢山話をするうちに判ってしまったのかも知れないが迂闊なことだ。
ただ、相手が今この国で一番権力を握っている者というところが今までと大きく違う。
これが吉とでるかどうかだ。
「いいえ、金程村に居ります実父、伊藤百太郎には明かしております。ただ、実父は私の身を案じ、神の依り代・神託という方法を考案・流布しました。なので、そこから真実が漏れる恐れはございません。兄・母という身内にも、ことの真実・次第は隠したままでございます」
ストック0状態がやっと解消されてきたので、週2回の月・木投稿から週3回の月・水・金0時投稿に戻してみます。
また多忙状態となって、ストックが無くなると、また週2回に戻すかも知れませんが、そうならないように頑張りますのでよろしくお願いします。(勝手にランキングで応援して頂ければ嬉しいです)




