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赤蝦夷対策談義 <C2335>

 西丸下にある田沼様上屋敷・老中役邸の奥にある離れ座敷には、江戸の中で神託にかかわりを持つものが一堂に会していた。

 老中・田沼意次様、田沼意知様、北町奉行・曲淵景漸様、浜野安兵衛さん、椿井庚太郎様、椿井甲三郎様、細江紳一郎様、それに元巫女の富美(阿部)と義兵衛の9人にもなる。

 皆の目が畳の上に広げられた、今朝ほど義兵衛が書いた本邦の絵図に集まっている。

 義兵衛は説明を始めた。


「この北海道・蝦夷地ですが、東廻り航路の起点である弘前藩・青森港の対岸であり、航路の安全のためには、ロシア・赤蝦夷対策が必須です。

 この地域について地理を知ることが全ての焦点です。私が知る地形はかなり精度の低いものですので、この地形図を完成させること、この地域に住むアイヌ人・蝦夷を掌握し、御公儀に帰属していることを認識して貰うこと、この2点を優先的に行う必要があります。

 まずは、描いてみますので、紙と筆を貸してください」


 義兵衛は、オホーツク海を真ん中に、北海道・樺太、国後・択捉を含む千島列島、その先のカムチャッカ半島、オホーツク海を囲むようにアジア大陸の東端部分、シェリホフ湾、日本海、間宮海峡、そしてアムール川をざっと書き、ロシア側拠点のオホーツクとペトロパブロフスクカムチャツキーの場所を示した。


「ほお、樺太というのは蝦夷地と同じ位の広さか。それで、赤蝦夷の船はこの2箇所の拠点から来航するようになるのじゃな。

 樺太と千島列島、赤蝦夷との領土を巡って問題となるのか。話として聞くのと、実際に地図を見ながら説明されるのでは、随分理解するところが違うのぉ。

 富美、いつぞやお前も似たようなことを口走っておったな。ここで手を打つと外れる神託であろうが、なにもせぬ場合にこの領土がどうなるか、今ここで言ってみよ」


 部屋の隅で意見も出さずひっそりと控えていた富美が少し前ににじり寄り、深く一礼した後口を開いた。


「まず、ロシアとの間では、千島列島の国後島・択捉島はわが国の領土、それよりカムチャッカ半島寄りの島々はロシアの領土となっております。

 そして、樺太については、我が国の領有を示す標柱を何度か立てておりますが、北側からロシアが哨戒所を設営するなど雑居状態となりました。

 1855年にロシアとの和親条約を結び、千島列島では択捉島と得撫島の間に国境線を設定し、樺太は両国の雑居地として国境線を規定しておりません。

 いくつかの事件から、外交として全島我が国の領土と何度も主張・宣言しておりますが、国際的に領土と主張できる根拠がなく、今から90年後の1867年に国境線を決めぬ日露雑居地とする『日露間樺太島仮規則』を結んでいます。

 その後、ロシアは樺太を囚人の流刑地にしたり軍事的圧力を増やしてきます。

 結局は、仮規則を結んだ8年後の1875年に、樺太をロシア領と認める代わりに、千島列島の全島を我が国の領土と認めるという『樺太・千島交換条約締結』を締結します。この結果、得撫島からカムチャッカ半島手前の占守島までが平和的に我が国の領土となりました。

 その30年後の1905年に隣国・清の権益を巡ってロシアとの戦争になり、辛うじて勝ったところで講和して樺太の南半分が割譲されます。

 そして、その40年後の1945年にアメリカ・イギリスとの戦争でボロ負けして終わる間際にロシアが樺太全島を占領し、千島列島も国後島・択捉島を含めて占領して我が国の領民を追い出します。

 これが、神託で得ているロシアとの領土の推移でございます」


 とても丁寧な口調で説明し終わるとギロリと義兵衛を睨むと、また後ろに下がった。

 睨まれた意図が解せぬまま、意次様が話しを継いだ。


「富美は頑固者でな、神託では同じことしか申さん。どうしてそうなるのか、何をしてこうなったのか、どうすれば避けることが出来るのかは一切言わぬようになってしもぉた。

 今回、領土という切り口で言わせたので、見事にその話ししかしておらん。

 以前にも聞いたのじゃが、大清国とロシアとの領土を巡る話もなかなかなものであった。

 樺太と大陸が接近しておる所に川を書いておろう。図にして見るのは初めてじゃが、これが後の大清国とロシアの間の国境となっておる時期もある。ただ今はこの川の両岸は大清国の領土で、外満州と呼ばれる地域じゃ。

 富美、そうであろう」


「はい、今から約90年前の元禄2年(1689年)に清露国境紛争の結果『ネルチンクス条約』が結ばれ、この川のもっと北側の山脈に国境が設定されております。

 ただ、この国境は今から81年後の1858年にロシアが武力を持って大清国に割譲を要求し締結した『アイグン条約』でこの川が国境線に変更され、さらにその南岸以遠も共同統治地に設定されてしまいます。そこから2年後の1860年に、大清国はイギリス・フランスと戦争を行い、それに敗北し『北京条約』を結びますが、この講和の仲介を行ったロシアも領土関係に口を挟み、『アイグン条約』の川南岸以遠の共同統治地をロシア領と確定させてしまいます。これによって、ロシアはウラジオストックという不凍港を日本海側にやっと得ます」


「うむ、間違いはないのぉ。

 それで、80年、90年後の話をしても仕方無いとは思うが、その時期になってどんどん押し込まれる状態はとても困ると思うのだ。

 赤蝦夷に末代まで本邦をどんどん侵食されずに済ますには、どうすれば良いかという方法を考えておかねばならぬのじゃ。

 義兵衛、意見があるなら申してみよ」


 これは困ったことになった。

 しかし、この時代を客観的に見ることができる義兵衛の中の竹森氏は躍り上がって喜んでいる。

『しかし、竹森様。貴方様のお役目は飢饉対策でございましょう。そして、甲三郎様以外は中に居る竹森様のことは知らず、ただ巫女が行き詰まったときの代用の依代で、その時の知識が残っている設定ですぞ』

 義兵衛の強い意志が伝えられた。

『ならば、一般論を教えるという方法で乗り切ろう』

 その方向で、考えながらゆっくり、はっきり口にしていった。


「国の領土については、直に接する者同士が調整して設定するのが基本です。そして、その調整には武力行使も含まれるというのが一般でしょう。ただ、無地主の土地については、先に占有した者に領有を認めるというのが西洋諸国の一般通念でございます。しかも、この無地主の土地は、西洋諸国が無地主と認識するかどうかが鍵で、非常に身勝手なものでございます。

 この西洋諸国というのは、神君東照宮様が居られたころは、スペイン・オランダというのが通り相場でございましたが、今なら、イギリス・フランス・ロシア・神聖ローマ帝国(=オーストリア+プロセイン:ドイツ)・オランダ・スペイン(イスパニア)というところでしょう。少し後から、アメリカという国も現れます。

 あと80年、90年先には、この無地主の土地について、どちらが先に占有したかを競い、また調整して再設定することが起きています。

 そこで、考え得る策として、樺太・千島列島の地形を計測し、本邦の一部と宣言し西洋諸国に通告することが手始めでございます。

 また、樺太の北端・南端および良港となり得る拠点に砦を築き代官を常駐させロシアに対抗し得る一定の武力を持たせること、その拠点に生活物資を常時輸送し連絡を怠らぬことでしょう。ただ、気候が厳しい所ゆえ、極寒に強い住居を用意し、米・塩・薪などは充分持たせることが肝心です。

 あと、地元民のアイヌですが、決して粗相に扱わず、御公儀の庇護下にあることを認識してもらい、かつ暮らしには干渉せぬようにすることが肝要かと考えます。

 それぞれについては、もう少し細かく見極め考えていく必要はあると思いますが、私では知恵も知識も足りず、この件は全く手に負えません。

 この件を長い目で見て対応する必要もあると思いますので、ご公儀の中に、異国との条約・協定などを司る奉行を置き、そこで50年先を見据えた策を継続的に扱うというのが良いように思われます」


「うむ、ひとつの意見として聞いておこう」


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