工房にて(梅さんのしていること) <C2316>
工房奥での話は佳境に入ってきたが、寺子屋組が工房から寺子屋に向う時間になってきた。
組長の一人である万福寺村の桜さんが春さんを呼びに来ると、春さんはとても残念そうに部屋を出ていった。
梅さんは中断した話を繋げる。
「春ちゃんには私が後でちゃんと説明しておくから、話を続けましょう。
それで『名内村で練炭を製造する責任者がこの工房の様子を見たら、やりかたの違いに気づく』という点が問題ということですよね。
私にしてみれば『それがなによ』ですわ。こちらで作るのは薄厚練炭、名内村で作るのは普通練炭でしょ。大きさが違うのだから、作り方が違うのも当然よ。助太郎さんが苦労を重ねて作り上げた薄厚練炭の製造方法、悔しければ真似してみなさい、です。
私たちは気にせず、上が決めた目標以上の個数を作り出すのに邁進すれば、後はなんとかしてくれますよね、義兵衛様」
梅さんはこういった場面でも独自の見解を臆することなく言ってくる。
要は『薄厚練炭と普通練炭の差である』と開き直ることができれば良いというのは正論だ。
「梅さん。製造方法はともかく、結果として価格の差として見えてしまう所が問題なのだよ。
工房からの卸値は薄厚練炭が1個45文で普通に相当する4個だと180文になるのに対して、普通練炭は140文ということなのだ。同じ350匁(約1.3kg)量の木炭を使って40文も差が出るところを気にせねばならないのだよ。同じ作るなら、少しでも高い価格、付加価値というのだっけ、をつけたほうが良いと思うのが人情だよ。
おそらくこの工房を見たら『名内村でも薄厚練炭を作りたい』と言い出すに違いないのだ。そうなると、ここで頑張って薄厚練炭を作る意味が無くなる」
助太郎は梅さんに問題となる点を解説した。
「いや、助太郎さん、それは違いますわよ。
この工房では物を作るだけで、値段は義兵衛様がお決めになられるのでしょう。だとすると私たちが気にすることはありません。
そして、今でこそ、生産するための道具を工夫し慣れてしまいましたが、薄厚練炭1個作るのも普通練炭1個作るのも、長さが4倍あるだけで手間は対して変わりませんよ。だから、薄厚練炭の加工手間賃が15文、普通練炭の加工手間賃が20文と説明してしまえば良いだけです。普通練炭のほうが手間に対する取り分が5文多いだけ、と言えば納得できますわよ」
梅さんの答えに皆驚かされた。
見せるのが問題だと最初に指摘したのは一体何だったのだろう。
「ええと、梅さん、でしたか。最初に文句を言いながら、その裏でそんなことも考えていたのですか。
ははぁ、義兵衛さんにもっと考えてから物を言え、ということですか。こりゃ凄い。
いやあ、この工房には驚かされることばかりです。春ちゃんの数字を使った説明もそうでしたが、梅さんの指摘もきちんとしている。ここの工房に居る娘さん方は、一体どうなっているのですか」
一番驚いている安兵衛さんに助太郎が説明を加えた。
「安兵衛様、ここに居るのはこの工房を支えてくれている重要な人達です。事情を皆で共有して、絶えずどうすればよいかを考え、それを数字で説明する訓練をいつもしているのですよ。
寺子屋では読み書き・算盤という基本を教えてくれますが、ここではその技量を使って切り盛りさせているのです。本当に口は悪いですが、正直ですよ。
今、梅が言ったことが妥当かどうか、実際に見てみませんか。
丁度、寺子屋組が出発してその後始末と次の段取りにとりかかっているところです。居るのは、組長と副組長、それに主担当だけになってしまいましたがね」
助太郎さんの指示により、梅さんは部屋から安兵衛さんを連れ出した。
そして同じく部屋を出た米さんは、弥生さんから現場指揮を受け継ぐと、弥生さんに普通練炭を1個作りだすことを指示した。
並行して梅さんも薄厚練炭を1個作る作業を始めた。
「使う材料の量と型が違うだけで、手順は変わりませんよ。ただ、厚さが4倍あるので、型からの抜き出しにちょっと力と時間がかかりますけど、1回で4倍の量を練炭にできちゃいますよね。これを強調すれば、説得は容易ですよね」
梅さんが得意げに説明し、助太郎も同意したかのように頷いた。
作り方と出来上がった練炭を見て、かかった時間を確かめて、安兵衛さんは説明の妥当性を認識した。
そして安兵衛さんの目は、工房横にある隔離された石室に向いた。
そこは、計測室なのだが、安兵衛さんは尋ねてきた。
「この部屋では何をしているのですか」
「この部屋では火を使った作業をしています。安全面から石室で行っています。主担当は近蔵さんですが、一緒に細山村の種蔵さんも主任となるべく一緒に作業させています。
今日使う練炭の材料は、寺子屋組の面々が朝の内に捏ねて準備しますが、その品質が同じかを調べているのです。一番簡単な方法が、それぞれの盥から決められた少量の試料を取り、火をつけて燃焼時間が規定通りかどうかを調べる方法なのです。もし、規定の時間より短かったり長かったりすると、その盥の炭は製品に使いません。
毎朝この儀式をきちんと行い原料の品質を担保することで、出来上がった製品の均一性を保証しているのですよ。決しておろそかにはしていけない工程です」
助太郎さんが安兵衛さんに説明する。
近蔵さんが名内村に派遣されている間は、種蔵さんが品質管理を担うことになる。
助太郎さんは品質管理のことを事も無げに言うが、実際に毎日決まった手順で地道に行う管理作業は大変なことなのだ。
ただ、安兵衛さんにこの工程の重要性が理解されたかどうかまでは判らなかった。
「登戸村まで練炭を運ぶという仕事を名主さんにお願いして、ここの面々を割かなくてよくなりました。その分、粉炭を作ったり、乾燥室と保管庫での商品積み直しなんていう裏方の仕事を、向いた人に割り付けることができるのですよ」
梅さんは、この工房で人の配置を仕切っているのだ。
「梅さんは、この工房で働く全員の能力を把握しているのですよ。一番重要な工程を担う中心の13組ですが、指揮している5人の組長と6人の副組長を決め、その配下をどう組み合わせるのか、入れ替えて組を作るのかを一生懸命考えているのですよ。梅さんと私も、組長より上の立場ですがそれぞれ組を持っていて作業を指揮しています。
兼業しながらですが、梅さんは作業内容の向き・不向き、一緒に作業する人との相性なんかを良く見て、1個でも多くの製品が作れるようにしてくれているのです。義兵衛様から見ると口は悪い娘に見えるのかも知れませんが、一緒に暮らしていると、誰よりも真剣に助太郎さんの工房のことを考えているのが良く判りますよ」
米さんの歯の浮くようなお世辞込みの解説に、安兵衛さんはニコニコしながら聞き入っている。
「なるほど、米さんと梅さん、それに春さんという3人が工房を動かす要ですね。
そうすると助太郎さんは何をされているのでしょう」
「ああ、上から目線ですが、裏方全般の担当です。
設備の補修とか、不満を聞いて道具の手直しをしたり、新しい器具を工夫したりといつも大忙しですよ。
本当は今の時点で強火力練炭を量産するための実験をしてなきゃいけないんですけどね。薄厚練炭の増産騒ぎで、それどころではありません。『もっと軽い操作ができる釣瓶分銅なら今任せることができない小さな子でも扱える』と梅さんに言われて二重梃子を組み込んだ器具を考案したのさ。調子がよければこれを12基作って、そうさな日産千個増産という見込みかな」
助太郎が現場改善を形にする役目を担っている、ということは理解されたようだ。




