接待の首尾と練炭・萬屋にて <C2311>
八百膳を出る間際、善四郎さんが擦り寄ってきて教えてくれた。
「今日はお酒が2升出ました。量としては一人2合ですので普通ですが、上灘物ですので全部で800文ほどになります。御膳は1280文のままで良いですが、お酒だけはきっちり頂きますのでよろしくお願い致します。
加賀100万石と威張っておったお侍達でしたが、充分満足されていた様で、帰りは随分柔らかくなっておりましたぞ。
あと、この接待のことで先方から問われたときはこのようにお答えください」
善四郎さんは、この接待が特種な・特別なものであることを説明する言い訳を教えてくれた。
それにしても、お酒は一人2合といいながら、義兵衛と安兵衛さんはほとんど口にしていない。
おそらく主賓の横山様は4合近く飲んでいたのだろうから、ご機嫌になっていたのも良く判る。
「おかげ様で、とても良い接待ができたようです。いろいろと配慮頂きありがとうございました。
加賀藩の方からの問合せがあった場合は、教えて頂いた内容をお話します。
また、この接待については改めて御礼に伺います」
「いや、義兵衛さんからはいつも良い知恵・刺激を頂いており、今回のことで少しはお返しできた積もりです。
もし、お礼ということであれば、ラー油のような新しい物を教えてもらうということで充分です。それを今回のお代に替えても良いですぞ。いや、そうなると、こちらからお釣りを出す必要がありますな」
冗談の様に話す善四郎さんに感謝しつつ、一行は八百膳を出る。
「義兵衛、練炭の委託製造先について萬屋には伝えておるまい。これから行って話しをまとめてこい。ワシは昨日の面談と今日の接待で相手に感じたことがあり、ちと曲淵様に相談をしたいと思っておる。曲淵様、この後奉行所に寄せてもらってよろしいでしょうか」
御殿様は加賀金沢藩からの扱いに何か感じたようで、曲淵様も同様に思ったのか、頷いた。
義兵衛は御殿様の指示に従い日本橋で別れると、安兵衛さんが当然の風で付いて来た。
萬屋さんの裏口から入り、奥の部屋に腰を下ろす。
「昨日の今日で、あのような接待の席を準備できるとは、流石ですね。それで、首尾のほうはいかがでしたか」
安兵衛さんが無邪気に聞いてくるが、気分としては結構ギリギリの連続で危ないのだ。
そもそも接待というのは、相手の無理をこらえることも重要で、こういった気持ちになってしまうのだ。
さらに、安兵衛さんとは宴席では両端同士だったので、一番肝心の所を聞けていなかったようだ。
義兵衛は、石崎村では1貫10文程度だったという聞き取り結果を教えると、飛び上がる程驚いた。
「ええと、6千貫(22.5t)を江戸で買うと200両(2000万円)でしたよね。それが石崎村で買うと15両(150万円)ですか。185両も間で抜き取っているのですか。そりゃ商人の悪口にもなりますよ」
「いや、だからこそ、考える余地が出てきました。本当に良い話を聞けました。
ただ、山口屋さんは『江戸にある土を金に糸目をつけず集めた』と言っていて、石崎村から買い入れたものの金額を提示していません。ひょっとすると、江戸に着いた時点での値段は、思ったより安い可能性はありますよ。このあたりは、やはり大坂の問屋次第でしょうね」
少ししか口を付けていない酒が抜けて落ち着いてきたこともあり、そろそろ中に居るお婆様と話ができる感じになってきた。
店の中を縦断する廊下を茶の間まで進み襖越しに声を掛けると、お婆様は入ってくるように返事をした。
「義兵衛様、安兵衛様、やっとおいでになりましたなぁ。八百膳での接待、お疲れ様でございました。いえ、話は聞いております。
加賀金沢藩の方々を接待なされたのでしょう。昨日の今日ということで無理難題を吹っ掛けられたそうで、災難でございましたな。まあ、善四郎さんは今までの働きに少しでもお返ししようと一生懸命務められたことと思いますよ。
さて、今日は如何なされましたのでしょう」
まるで見てきたかのように接待の様子を想像して語るお婆様からの質問に義兵衛は答えた。
「練炭生産を委託する先について、御殿様から指示がありました。
候補として下総国・印旛郡の名内村を挙げられ、領主の杉原新右衛門様にはこの件に関する手紙を昨夕に出されております。
私は明日から18日まで御殿様のお供で金程村へ行きますが、戻ってから杉原様の御代官様と一緒に名内村へ行く予定です。おそらく名内村・名主の秋谷修吾様を紹介頂き、ことの趣旨と生産条件・環境などの相談をすることになると思います」
「おお、すでに手紙を出しておるとは、御殿様はせっかちじゃのう」
「いいえ、私も悠長にしていたのですが、9月の売り出しを考えると、もうあまり日がありません。委託生産先で100万個以上作る必要があるのですから、今直ぐに毎日1万個作ったとしてもギリギリです。こういった視点で御殿様はこの企てを心配して発破をかけているのです。
お婆様は、奈良屋重太郎さん経由で、名内村・名主の秋谷様へこの旨を知らせておくようお願い致します」
「義兵衛様、いま少しお時間がありますでしょうか。おそらく奈良屋・重太郎さんは店に居ると思いますので、今一緒に挨拶に行きませんか」
いきなりの申し出だが、良い機会なのでお婆さまの申し出に乗っかり一緒に出掛けた。
奈良屋・重太郎さんの店は楓川沿いの松幡橋袂・本材木町7丁目にある。
何のことはなく、萬屋さんから越中守様のお屋敷へ向かう丁度中間にある店だった。
「重太郎さん、萬屋のお婆が参りました」
そう名乗りを上げて店の中にズカズカと入っていくお婆様にくっついて、義兵衛と安兵衛さんは店に入っていく。
お婆様は勝手知ったる店なのか、土間を通って中ほどまで進むと座敷の外から声を掛けた。
「重太郎さん、こちらに椿井家の細江義兵衛様をお連れしました」
そう声を掛けると、障子が開き千次郎さんと同じような歳の者が顔を出した。
「義兵衛様、こちらが奈良屋・重太郎様です」
実は前回の料理比べで行司をしてもらった関係で、お互いに顔は知っていた。
お婆様は興業の場に居なかったため、そのことを失念しており、初顔合わせという感じで紹介したのだ。
「ご挨拶させて頂くのは初めてとなりますが、椿井家で財務見習いをしております細江義兵衛と申します。萬屋さんで帳簿の修業をさせてもらっておりました」
「ああ、先月の興業で裏方を仕切っておったのでお顔は存じておりますよ。まだお若いのに隅まで目が行き届いているのに皆驚いておりました。お婆様より色々話を聞いておりますが、練炭の件でございますな」
挨拶もそこそこ、一通りの経緯説明をした後に依頼をした。
「それで、20日の料理比べ興業が終わった以降、旗本・杉原様の御代官様と一緒に名内村・名主の秋谷修吾様を訪ねていこうと考えております。名内村で作られる木炭は、奈良屋さんで買い取っていると聞いております。そこへ練炭を作る話を持ち掛けるので奈良屋さんの買い付けに多少影響が出るのではと思っておりますので、事前にお伝えしたかった次第です」
結構長い説明をしたが、重太郎さんは目を反らすことなく説明を聞いてくれた。
「晩秋の寒くなる時期までであれば、多少木炭を加工したところでさしたる影響はないと思っています。
ただ、そのあたり一帯の村にこの作業の影響が広がるのは困るので、そこだけは勘弁してください。
私のほうから、秋谷さんの所へこの経緯を記した手紙を書いて渡しておきましょう。
それはそうと、義兵衛さんの横のお方はどちらさまでしょうか」
安兵衛さんが町奉行の手の者で義兵衛の護衛、という役回りを説明すると、果たして大層驚いていたが納得はしてもらえた様だ。
一応、これで事前の用向きについて終えることができた。




