接待席で有力情報 <C2310>
八百膳での接待と灘の上物のお酒に気を良くしているのか、加賀金沢藩御家老の横山様は結構機嫌が良い。
もう随分入っているようだ。
それが影響しているのか、加賀藩の面々は最初の厳しい表情が大分緩んできているようだ。
「そもそも『地の粉』などというものは大量に使うものではございません。郷里では主に砥粉として使ってはおりますが、普通の粘土として使うのは不向きなものでございます」
義兵衛の正面に座った渡邉勘三郎様が曲淵様にこう問いかけてきた。
しかし、曲淵様は見届け役のような恰好でこの接待に参加しているので、左端に座る義兵衛の方を目で指示した。
「『地の粉』は砥粉としての用途に使う時の名前ですが、その特徴は軽くて熱を伝え難いところにあります。そこに目を付けて、火鉢のように燃える木炭を納める器の材料として使うことを考えたのです。普通の粘土で作ると、器の外側が熱くなり過ぎますが『地の粉』を混ぜると手が触れても火傷するようなことはありません。
それで、この土を使うようにしましたが、江戸でこの土を買うと結構な値段になるのです。なんとかして安く手に入れたいと考え、この土を扱っている問屋を尋ねたのですが、はっきりと教えてくれないのです。商売のことですから、自分の所の儲けのネタを正直に話すようなことは無いと思っておりましたが、よくよく聞けば大坂の問屋が間に入っているためどうにも手が出ないのです。
能登の石崎村で採れた土を福浦の港に運んで、そこから大坂に船で運んでいるところまでは聞き出せたのですが、それぞれの値段は教えて貰えませんでした」
義兵衛は聞いて貰えそうな渡邉様に愚痴のように事情を話す。
しかし、御家老の横山様はもはや興味を無くしたのか、正面に座る曲淵様と別な話をしており聞いていない。
結局、義兵衛の話を聞いているのは湯浅様・渡邉様の2人だけで、向こう3人の横山様・牧様・廣瀬様の3人は曲淵様・戸塚様が話相手をしている状態になっていた。
酒が入る宴会の席としては、全員で同じ話題に入ることはなく、声が届きやすい範囲の4~5人で固まってしまうのは良くあることなのだ。
横山様と湯浅様が上機嫌で話題の中心であれば、接待として正しい。
ただ、一番端の安兵衛さんがこちらの様子を気にしているが、両端なのでどうしようもなく、すぐ空になる横山様の杯に酒を注いで回ることに意識を合わせてくれているようで助かっている。
「下世話な話じゃが、江戸で購った『地の粉』はお幾らだったのかな」
今度は湯浅様が義兵衛に話しかけてくる。
「はい、今回1貫(3.75kg)あたり133文(3350円)という値段で仕入れました。6千貫程入用だったので、200両の支払いになりました。ただ、聞くところによると、その値段のあらかたが運賃という言い方をしておりましたが、どうも納得できないのです」
1貫で133文という言葉に渡邉様が激しく反応した。
「私は石崎村に近い七尾のことを良く知っています。『地の粉』そのものではありませんが、七尾でも『地の粉』の元となる『味噌岩』という石は採れます。村人はこれを集めて売ることもしますが、1貫でせいぜい10文程度ですよ。石崎村でもおそらく同じでしょう。
考えられるとすれば、石崎村から福浦港まで人足が運んでいるということでしょうか。半島を横断して6里(24km)ほどなので、一人が一日で20貫程運べましょう。人足代に100文かけると、福浦港では1貫15文になりましょう。それが、江戸で133文。
6千貫の『味噌岩』、石崎村で15両かけて集めたものが江戸で200両、ですか。
商家は右から左に動かすことで185両ものお金を得るなど、欲丸出しという結果ですな。やはり商に携わる者は卑しいこと、夥しいではないですか」
これは今回お接待に見合う良い話が聞けた。
江戸で5両もしているあの地の粉が、俵詰めされた150貫の固まりが、石崎村だと1500文程度の価格なのだ。
これだけ価格差があるということが判ると、いろいろ考える余地も出てくる。
「しかし、この土は、北前船で福浦港から大坂へ送り込み、そこから菱垣廻船で江戸へ回しているのであろう。船だと、最悪沈没してしまうことがあるだろうし、嵐に出くわすと荷を捨てて船乗りが生き延びることもあると聞くぞ。こういった、いわば命がけで運んでくるものなので、値が高いということもあるのではないかな。命を張って金を稼いでいる者がおることは忘れてはならんだろう」
一概に商業を悪とまでは思っていない御殿様は擁護する意見を述べた。
この言い方に湯浅様が噛み付いた。
「船乗りはよいが、彼等をあやつっている商家が問題なのだ。安く買い叩いて、高く売る。どちらの立場に立っても足元を見る。命をかけて物を運ぶ船乗りも、あやつらに絞り取られておるに違いない。
さらには額に汗することなく、金を持っているということを武器に、武家に頭を下げさせることを強いる。折角の加賀特産の漆器も、商家の金蔓になってしまい、一向に藩は潤わん。椿井殿、こういった風潮をどう思われますかな」
どのような商家と付き合いがあるのかは判らないが、かなり鬱憤が溜まっているようだ。
多分、いろいろなところから借財しており御算用方としては苦い思いをしているのだろう。
昨年までは、椿井家も米問屋からの借財で頭を下げざるを得なかったのだ。
「湯浅様、借財に利を、しかも御公儀が年利で1割5分までと結構高い利を認めたことが問題なのではないのかと思いますぞ。
100両借財すると年15両を利息として払わねばならぬ。最初は良い顔をして貸すが、その内に高利を受け入れねば借りることもできんようになる。借財を返す金を借りるようになっては終わりであろう。
せめて、年利の上限をもう少し下げるようにせねば、この江戸に居る旗本・御家人は立ち行かぬようになります。
もっとも、安易に借りる方にも問題があります。金がないと立ち行かないのに、金を扱うことを下賤と見下す風潮をなんとかせねばならない、と思っております。
財務を扱う方々の御苦労を上の方にもっとご理解して頂きたい、と思うのも無理なからんことで御座いましょう」
相手にしている湯浅様が、江戸藩邸の御算用方と知っていて御殿様が話を上手く合わせている。
湯浅様は大仰に頷きながら、我が意を得たりと満足した顔をしている。
義兵衛は、杯に気を配りながら空にならないように注いで回る。
やがて膳の上は空になり、御飯物を載せた平膳が運ばれてきて、膳の入れ替えをした。
一応、ここで酒席は終わりとなる。
「八百膳が提供させて頂きました特製御膳はいかがでしたでしょうか。この膳は普通では提供できないもので御座います。この後は御飯物と〆の茶菓となります」
善四郎さんが部屋の入り口から声をかける。
見ると、板長も並んで頭を下げている。
「うむ、流石に八百膳じゃ。酒も料理も満足いくものであったぞ」
横山様が赤ら顔で答えると、善四郎さんは深く礼をし「では引き続きごゆるりとお楽しみください」と返事をして引っこんだ。
「いや、なかなかどうして椿井殿も大したものだ。主人だけではなく、挨拶に板長が並んでおったではないか。この料理も普通ではない、と言っておった。なかなかどうして、八百膳と昵懇にしているということが良く判りましたぞ」
湯浅様は満足してこう話しかけてくる。
平膳の御飯物が終わると、中間の女性が茶菓の設定をして平膳を下げていく。
土瓶の茶の湯はちょくちょく交換され、下座の義兵衛が受け取っては皆に注いで回る。
やがて、再び善四郎さんが顔を出した。
「これにて、御接待の料理は全て出し終わりましてございます。今暫く御歓談され、終わりましたら中間の者をお呼びください」
歓談も一息つき、横山様から「この接待は満足であった」の声を頂いてお開きとなった。
御殿様は、横山様が来た時にしたように座布団から降りて丁寧にお礼の挨拶をした。
そして横山様、湯浅様の一行5人は中間に付き添われて退室して行った。
渡邉様は義兵衛と話をしてまだ何か聞きたい素振りではあったが、この場ではここまでだろう。
座敷に残った面々で顔を見合わせていると、曲淵様が言った。
「では、我々もお開きにしますか。さすがに八百膳、見事な料理と首尾であった。
それから義兵衛、気難しい相手に苦労であった。なかなか良い接待であったぞ。後を引かねば良いがな」
帰り際に曲淵様から御殿様を飛び越えてお褒めの言葉を頂き、いたく感激し恐れ入った義兵衛だった。




