練炭委託生産先の候補 <C2304>
萬屋の裏口に近い小さな奥の控え間、そこは義兵衛が越中守様のお屋敷と連絡を取るときに丁稚として変装するために萬屋が用意してくれた部屋なのだ。
義兵衛と安兵衛さんの変装用の衣装が一式置いてあるだけのガランとした部屋にお婆様が入っていく。
「義兵衛様、練炭の扱いについて、奈良屋・重太郎さんへ率直に話し、意見をうかがいました。
興業の行司役席を今回も譲るということで、随分恩義を感じさせることができ、話が上手く切り出せました。この手土産は、凄く有効なので、1席を萬屋預かりとさせてもらっているのは、ほんに有り難いことです。ただ、毎度重太郎さんに振り分けると、当たり前になってしまう気がしますので、一度は譲らずに入札に出して利を得るか、他にもっと有効なところへ回すなどを考えたほうが良いのでしょうねぇ」
なかなか本題に入らず、その手前のことを面白可笑しく話すお婆様に、聞いてくれる相手がいないのでは、と内心心配してしまった。
安兵衛さんもそれを感じたようで『ゴホン』と空咳を一つして余計な話を止めたのだった。
「それで、まずは七輪と練炭の扱いについて、薪炭問屋全体で共通に扱うため、萬屋が中間に入ってそれぞれの店に卸す、という件でございます。
炭屋にはそれぞれ得意な客層がおりましょう。萬屋でその全部に対応することはできない、という話は判ってもらえるのですが、果たして『七輪・練炭をどれ位欲しがるものかがはっきりせん内は、萬屋の下に入って取り扱う店はなかろう』と言うのですよ。便利な物ゆえ爆発的に売れること間違いなし、とこのお婆がいくら申しても『薪炭問屋全体がその方向にはなるまい』と言うのです。
そこで『最初の1~2ヶ月は萬屋が色々な所に売ってみるがよかろう』という話が出て『10月一杯までは各店の得意先であろうと萬屋が割り込んで売っても良いように旦那衆の集まりで話してみよう』という話に落ち着かせましたよ。
お婆が頑張れるのはここまで、でしょうか。
後は10月末まで萬屋だけで売る道を広げ、悔しいですが、得意先を元の炭屋に渡し、その代わりに萬屋から練炭を卸すという感じになるのでしょう。七輪は椿井家から直接卸されるのでしょうな。
義兵衛さんは、それでも良いとお思いなのでしょう」
そこは判っていたところなので、問題はない。
むしろ、たった2ヶ月にせよ『他の炭屋の得意先へ萬屋が声掛けしても良い』という言質を重太郎さんから取ったというのは、お婆様の功績だ。
売り方次第では、そのまま萬屋の得意先となる可能性もある。
ただ、9月・10月は人手が足りなくなるのは間違いない。
「お婆様、10月末までということで人を雇うことはできましょうか。おそらく、9月・10月は萬屋にとって勝負をかける時になります。売るものがあり、買うお客が居るにもかかわらず、捌く人がいないという状況になります。
10月を過ぎると、開拓した得意先を元の店に見てもらう格好になりますが、まとまった量を扱わない江戸市中の町民は萬屋へ練炭を買いにきますよ。手代も丁稚も10月にどう動くかを見据えて手当てしておく必要がありましょう」
義兵衛の提案にお婆様は考えている。
「しかし、人を増やすというのは容易なことではございません。店独特の符丁や作法があります。他所の店にもそれぞれ独自のものがあり、丁稚なんかも簡単に借りるという訳にもいかないのでございます。新規に人を雇うとなると、期間限定で雇い止めする訳にもいかないのでございます」
「いえ、そこは人の使い方です。手代や丁稚でないとできない仕事と、店の丁稚でなくてもできる作業を見極め、丁稚でなくてもできる仕事の所だけ人足を雇って出来るように準備しておくのです。繁忙期は丁稚に雑用をさせず、その分萬屋の丁稚でなければできないことを、2倍ほどもさせれば良いのです」
「そういった方法もあるとは驚きです。理屈は判りますが、上手くいくのでしょうか」
安兵衛さんが口を挟む。
「いいや、これは良い知恵を頂きましたぞ。上手くいくように準備する、とおっしゃるのでしょう」
察しの良いお婆様には助かる。
「それで、練炭を委託生産できる里についても話を聞いてまいりましたのよ。
有体に言えば、奈良屋さんが目を付けている場所、佐倉藩近辺の旗本・御家人領の村をいくつか教えてもらっておりますよ。
ただ、教えてもらうにあたり、いくつかやっかいな条件を付けられております」
無論、奈良屋さんが関与している地域であり、そこへ手を出させようというのだから条件をつけるというのは妥当な話だ。
むしろ、そのような条件を付けるということ自体が有望な場所ということを示しているに違いない。
「それで、その条件なのですが、まず、その地域の木炭の出荷に大きな影響を与えないこと。
作った練炭について、全数萬屋が固定価格以上の値で引き取ること。但し、奈良屋が申し出た数量は別枠で直接買い取ることができるように配慮すること。固定価格については、奈良屋を交えて相談して決めること、などでございます。
なんとも奈良屋に都合の良いように言われてしまっておりますが、問屋の源泉となる産地に踏み込まれることを思えば、仕方ないものと思われます」
奈良屋さんにしてみれば『自分が開拓した木炭の供給元は大切にしたい』という一心で、『新規事業を始めるにあたってのリスクは全部持ちかけてきた萬屋さんに持ってもらおう』という姿勢がありありなのだ。
お婆様もそこは承知しているのだろう。
「一応紙に認めましたので、お持ちくださいな。
ただ、奈良屋さんのご様子から見るに、本当に木炭作りが盛んな村はあえて外しておるようです。当然のことではございますがね。また、先に椿井様から縁者の場所を優先したい旨もありましたので、旗本・御家人の差配する御領地に絞ったという経緯もございますけれどもね」
お婆様が広げた紙を見ると、下総国の印旛郡・千葉郡の中にある村の名前が4個ほど書かれている。
そして、そこの領主の名前も併記されていることを確認した。
元いた世界では千葉ニュータウンとして開発されてしまい、江戸時代の面影もなくなっているのであろうが、この時代では金程村ほどの寒村ではないがそこそこの田舎に違いない。
「お婆様、ありがとうございます。この紙は持ち帰りまして、御殿様と相談してきます。おそらく実地検分をしてから委託生産先となる村を決めてから奈良屋さんとの交渉になると思います。村には、御領主から名主・庄屋さんを経由して話を進めていくことになるでしょう。その折には、奈良屋さんに申し入れも必要でしょう。
いずれにせよ、これからも萬屋さんには大変お世話になります。よろしくお願いします」
義兵衛はこうお礼を述べたが、土に関する借財の相談だけは切り出すことができなかった。
加賀藩組分侍帳という資料を入手しました、これを解き明かすのに時間がかかっております。(楽しんでいるのですがね)「武士の家計簿」(磯田道史著)という本といい、加賀金沢藩に関する資料は集め始めると結構膨大にありますが、なかなかストーリーに沿う情報が得られなくて大変なことになっています。
一生懸命調べながら執筆していますが、月・水・金の投稿が守れないこともあるかもしれません。その折はご容赦ください。(能登の和倉温泉に行きたくてしょうがありません。地図や資料だけでは飽き足らない!現地取材したい)




