萬屋さんで状況の確認 <C2303>
萬屋さんの茶の間は10日後に迫った興業の作戦中枢に成り果てていた。
八百膳の善四郎さんだけでなく、版元さんも、そして幸龍寺のお坊様も来ている。
昨日の緊急寄り合いの内容を瓦版にする前の状態で、細かい所を詰めているようだった。
「これは、丁度良い所に御出で頂きました。明日にも撒く予定の瓦版で仔細な所を皆で確かめておりました」
千次郎さんの説明に義兵衛はかぶせる。
「武家側の目付役席ですが、我が殿の席は白河藩主松平越中守様に譲ることで先ほど話を決めてきました。この部分は修正をお願いします。
ところで、瓦版に料亭名を掲載する件でしたが、応募の状況はどうなっておりますか」
義兵衛としては気になっていた所だった。
「はい、10個の場所ですが、載せて欲しいという料亭からの申し出が沢山ありましてな。まずは寄進額の大きい料亭から10か所を選びました。
沢山と言っても、昨日の今朝締め切りでしたから、だいたい50軒位の申し出でしたでしょうか。残った40軒は、次に出す直前の瓦版で扱うことになりますよ。様子見の料亭や時間切れとなった料亭が入札するでしょうから、寄進額も増えようと思っております。
それで、上位10軒の寄進額は合計で28832文(約72万円)でございます。最低が2021文でしたので、次回の入札はこの金額と平均の2880文を念頭に競ることになりましょう。いや、端数の1文に注目されて金額を書き入れた目黒・橋和屋さんは、入札の面白さを御存じですな。切りが良い金額に揃えると、横並びになってしまい不利になることをご存じです。
こういった実情をまとめたネタとして、また瓦版が出せるとなると、それだけで食いつく料亭もございましょう。裏事情ではありますが、表に出すことで料亭の名も売れましょうほどに、料亭は2度も良い思いをします。
ああ、この件での座への寄進額は半分の14416文、3両2分1朱と166文ですな。ちまちまと瓦版を1枚売って4文集めるというお金ではなく、こうやって一気に申し入れを処理して集めるというのは、この商売を長くなっておりますが、随分と楽なことでございますよ。もっとも、支払いについては、一部の料亭では半分現金を頂き、残りは盆までの掛けということを認めましたがな」
この金額は、思ったより高値ではなかった。
今回が初回の募集であったこと、応募期間が一夜と短かったこと、こういった件で入札という制度がまだ理解されていないなど悪条件が重なったこともあるに違いない。
今回の瓦版は明日11日に5000部、その後に出る直前の瓦版は17日に1万部を売るつもり、と版元さんは言っており、15日朝に応募の締め切りと通知すれば、今回の効果を見た上で同額以上の広告収入が見込めるだろう。
実際の所、瓦版に載せた効果が料亭仲間に広く知られるようになると、2021文という値段が破格値で、1両位はついても高い値とは思えないはずなのだ。
しかし、版元さんは今得ている成果で満足して意気揚々としている。
「行司・目付席の公開入札について、参加希望者は14日朝までに八百膳まで、規定の項目を記載した札を出すこと。札が出揃ったところで開封し、一番高い値を付けた札に書かれた者を仮落札者とすること。落札確定時に、座の事務方から連絡がつかない場合や現金を座に渡せない場合、その札は無効とし、次の高額入札者へ席の権利が渡ること。現金もしくは信用のある手形相当を納めた者を落札者とすること。入札の札に書かれた内容は、落札有無にかかわらず瓦版に掲載することもあることを承知すること。
こういったことを11日の瓦版に載せますが、抜かりはないでしょうか」
善四郎さんがことの準備状況を説明し、問題の有無を聞いてくる。
「まあ、大丈夫な様ですが、日程が詰まっているところが気になりますね。何か仕損じると取り返すゆとりがありません。特に非公開入札は気をつけてくださいよ。
それで、前回の轍は踏まないように、次回の閏7月の興業は日程を前倒しして計画を立てるようにしてください」
細かい所は介入せず、善四郎さんと千次郎さんに任せる方針なのだ。
お坊様も聞いてもらいたいことがある様だが、皆に聞かせるかのように善四郎さんへ向けて続けて話しかける。
「今私が細かい所まで言及するより、とりあえず皆が今考えている手を打つ、ということで良いと思います。私とて全部を見通している訳ではなく、助言できる限界もあります。
重要なのは、不測の事態が起きた時に、どう手を打つべきかを決めておくことなのです。基本的な考え方、軸がしっかりしていれば、そこに照らして対策を考えることが容易になります。なので、この興業の軸をよく考えて、関係する方々に原則を周知しておくことです。そうすれば変なことが現場でおき始めた時に、担当する方がそれを察知することもできますし、初動で軌道を微修正して貰えることが期待できます。
まあ、細かなところを決め始めると切りが無いので、大筋だけ合わせて、あとは現場に任せるというのも手ですよ。
実は、近々に御殿様のお供で里へ一旦戻ることになります。興業の前々日の18日までには戻ってくる予定ですが、それまでは皆様で頑張って頂くことになります」
この発言でお坊様は悟るところがあったのか、深く頷くと深く座りなおした。
善四郎さんも義兵衛の姿勢に気づいた様で、なるほどと思ったようだ。
「それで、私としては興業のことも然ることながら、練炭の委託生産先のことが気になっているのです」
「ああ、誠に申し訳ございません。実の所、その話はお婆様に肩代わりしてもらっています。今お婆様は、奈良屋・重太郎さんの所へ、行司役のお願いに上がっており、間もなく戻ると思います。勿論、委託生産先の件についても相談に行っており、その答えも持ち帰ってくることと思います」
千次郎さんは、ややこしい問題をお婆様に丸投げしたようだ。
確かに千次郎さんには時間がなく、一方実力のあるお婆様は時間があったのは確かである。
版元さんが持ってきた原稿を皆で確認するうちに、お婆様が茶の間に入ってきた。
「難儀なお使い、終わりましてよ。千次郎、重太郎さんは『謹んでお役目を承ります』とのことじゃったので、安堵するが良い。それでの、練炭の件じゃが……
ああ、義兵衛様、こちらに御出でで御座いましたか。これは丁度都合がよう御座いました。ご報告したいこともございますが、この場では何でございますので、奥にある義兵衛様の控えの間でお話させてもらってもよろしゅうございましょうか」
茶の間の奥隅に目立たないように座っていた義兵衛を見つけて、お婆様は目を輝かせた。
「はい、ではこの場は皆様にお任せして、お婆様と相談して来ます。そのまま屋敷に戻ることになりますので、ご了解ください。
あと、練炭を12個持ち帰ります。先に頂いた8個と併せ、近々きちんと清算します」
皆は口々に了解の旨、お礼の言葉を返した。
そして、義兵衛は席を立ち、安兵衛さんを連れて控えの間へ向ったのだった。




