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事務方寄り合いが大変 <C2292>

6月7日が14話かけてやっと終わり、6月8日の朝がやってきました。

片付けできていなかった案件が鬼のように義兵衛の上から降ってくるのでした。

■安永7年(1778年)6月8日(太陽暦7月2日) 憑依120日目


 日の出の随分前に台所から響いてくる歓声で義兵衛は目が覚めた。

 今日は、江戸時代の義兵衛に憑依して丁度4ヶ月経過した日になる。

 ただの寒村の名主の次男坊という何の権威もない義兵衛に憑依して、たった4カ月という短期間であるが今までになしえたことを考えると身震いするほどの感動とやる気を覚える。

 もし、あのまま平成の時代で平凡なサラリーマンを続けていたら、このようなやりがいは生まれなかったに違いない。

 だが『天明の大飢饉でも飢える人を無くす』という目標はまだなんら準備し終えている訳ではなく、まだ始まったばかりなのだ。

 まだまだ知恵と努力が必要なのだ。

 それにしても、階下が騒がしい。

 はて、どうやら大番頭の忠吉さんが店の清掃を始めたようだ。

 義兵衛は下に降り、奥庭の井戸で躰を拭いてさっぱりすると、台所へ向かった。


「義兵衛様、おはようございます。夜通しで辣油作りをしてしまいました。胡麻ダレの時もそうでしたが、材料の量や組み合わせによって出来が、香りや味に与える影響が随分違うことが判ってきました。時間をかけて馴染ませるということまでは叶いませんが、何か見えて来た気がします」


 坂本の板長は勢い込んでそう話しかけてくる。

 徹夜明けで気持ちが高揚している感じだ。

 一方、善四郎さんは全体の様子から教えてくれた。


「辣油でなんとかなりそうだと目途がついた夜半に、女将と主人は店に戻った。おそらく、この後の算段を考えているに違いない。

 それで、残ったワシと板長で、量や組み合わせを変えながら幾通りか辣油を作ってみたが、これは恐い調味料になると見た。板長は胡麻ダレにチョイ足しする調味料ということで考えておるようだが、主な成分は油であろう。ならば、これをただの油と見做して料理に使ってみれば面白い料理ができるのではないかな。なので八百膳でも作って研究してみようと考えておる。おそらくは、茄子なすに合うと見ておる。

 ああ、坂本の商売の邪魔はせんし、材料や作り方なんかは外には出さん。

 とりあえず今は胡麻ダレを引き立てる辣油がどうやら出来たということで騒いでおったのだ」


 そこへ、日の出前の早朝にもかかわらず安兵衛さんが裏門から入ってきた。


「おはようございます。皆様、何をなされておるのでしょうか」


「ああ、安兵衛さんか。料亭・坂本が百川の挑戦を受けるということで、対抗できる方法はないか聞きにきたのですよ。それで『しゃぶしゃぶ』の胡麻ダレを一層引き立てる『辣油』という調味料を教えて、それから徹夜で色々試して、どうやら物になりそうなところまで漕ぎつけた、というところのようです」


 義兵衛は昨夜のあらましを説明し、善四郎さんが試食を進めた。


「それで、丁度辣油を入れたものと入れてない胡麻ダレがここにあるので、試してみてはどうでしょう。ああ、その横に置いてある胡瓜きゅうりにつけて齧ってみて下さいよ」


 安兵衛さんは、辣油が入っていない方のタレで味を確認した後、辣油入りのタレに胡瓜をチョンと付けて齧った。


「エェッ、これは同じものなのですか。味が全然違うじゃないですか。この赤い油を小匙で垂らしただけなんて信じられませんよ。

 ははぁ、坂本の主人が義兵衛さんを信じているというのは、こういうことを裏でやって助けているからですね。

 それはそうと、今日の事務方の寄り合いについて、緊急のお知らせがあります。

 今日の事務方の寄り合いには戸塚様だけではなく、御殿様が直々に出られるということで、それで日の出前ですが飛んできた次第です。

 ああ、私が言う御殿様というのは北町奉行の曲淵甲斐守様ですよ」


 この発言に善四郎さんは目を剥いた。


「なに、御奉行様が直々に八百膳にこられる、ということか。これはこうしては居れん。義兵衛さん、後は頼みましたぞ」


 何を頼まれたのかは判らないが、善四郎さんは萬屋を飛び出して行った。

 ただ、義兵衛にも大事おおごとだ、ということだけは理解できた。

 坂本の板長にそろそろ撤収するよう話した後、店の掃除を指揮している忠吉さんに千次郎さんを至急呼んでもらうよう頼んだ。

 丁稚が八丁堀の本宅へ走る間、安兵衛さんを奥の間に引っ張り込み、一体何があったのかを問うた。


「たかが興業準備のための町方の寄り合いに、御奉行様が直々に出られるというのは驚きです。どのような事情でそうなったのか説明ください」


「それについては、萬屋・主人の千次郎さんが来てからにしましょう。どうせ同じことを言わねばならないのです。ここで説明しても状況は変わらないのですから。実は昨夜、屋敷に戻ってから興業のことの説明でもうクタクタですよ。何か説明する毎に、御殿様は『それはどうなっておる。判らんのであれば聞けばよいではないか。なぜそんなことも気付かんのだ』と責められっぱなしだったのですよ。

 御殿様が直接出ると言われるということは、私では力不足だ、と言われたようなものです」


 この愚痴を聞いて、おおよその見当はついた。

 懸念していた席の入札の件に違いない。


「それで、ちょっと話は反れますが、大坂の件はどうなりましたか」


「それについては、御殿様が直接ご説明されるそうです。大坂にも与力・同心が居り、彼らを使わねばならないため、調べを進めるには結構面倒なことをする必要がある、とか申しておりました。何でも西町奉行の京極伊予守様へ話を通しておかねば配下の与力への依頼ができぬそうです。義兵衛さんの目論見をお話頂ければ『その線に沿った調べもできよう』とのことで御座います」


 安兵衛さんはことも無げに言うが、調べた結果から何か考えようとしていたのを逆にする、ということは結構難事なのだ。

 こういった話をするうちに千次郎さんが駆け付けてきた。


「これは安兵衛さんでございますか。このような早朝から何事でございましょう」


「おはようございます。本日の事務方の寄り合いですが、奉行所から戸塚様だけでなく御奉行様が直々に出席されるとのご沙汰があり、その旨を一刻も早く伝えねばと考え呼びしました」


 突然のことに面喰らっている千次郎さんに義兵衛は伝える。


「善四郎さんには先ほど伝えたところ、やっていた辣油作りを放り出して八百膳に飛んで戻りましたよ。どのような意向で臨席されるのかは安兵衛さんから聞こうとしていたところです」


 そこで安兵衛さんが話始めた。


「20日に行われる料理比べの興業実施が難しくなっていることを、私が見聞きしたままに報告しました。すると、何点かの下問があり、そのいずれにも御殿様に満足いくまでその内容を説明しきれなかったのです。そのことに業を煮やして『ならばワシが行って直接問うしかあるまい』とおっしゃるのです。町民の寄り合いの事前相談ごときに直接首を突っ込まれるのはどうかと思い、御役目不備で罰せられることも覚悟で敢えて意見を致しました。すると『9日の座の緊急寄り合いで、万座の中で恥をかかせる訳にはいかんだろう。むしろ裏方と率直な話を事前にしておいた方が良い。ワシはお飾りではない』とまで言われてしまいました。

 それで、主に気にされていたのが、興業単独での黒字化の目途ということと、行司・目付役の席のことでございます」


 やはりそう来たか。

 義兵衛預かりにしてもらった武家行司枠は、本来曲淵様預かりのものなのだ。

 そして、1席を大名枠にしたいという義兵衛の意向は全然伝わっていない。

 ここは膝詰め談判せねばならないところで、義兵衛にとっての正念場でもあるのだ。


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